7.東京防衛戦――苦渋の決断――
「こちらアルファ・リーダーよりCP。国道17号および都道301号線は、北上する避難民で溢れている。放置車両による車列が形成されており、車輌による移動は困難と認む。送れ」
「こちらブラボー・リーダーよりCP。本郷三丁目交差点にて、千代田区方面より北上してきた小隊規模の敵集団と、警視庁本富士警察署署員(東京都文京区)が交戦を開始。また東京大学医学部附属病院(東京都文京区)の関係者より、救援を求められている。東大病院は徒歩による避難が困難と認められる入院中の患者や、重体患者を多く抱えているらしく、回転翼機か特別車両による輸送を求めている。送れ」
「こちらチャーリー・リーダーよりCP。国道254号線内は交通事故が複数箇所で発生しており、放置車両が多数発生している。車輌による移動は不可能。また巣鴨中学校・巣鴨高等学校(東京都豊島区)、帝京平成大学、東池袋中央公園には、高齢者や家族とはぐれた幼児など、避難困難者が動けずに残っている模様。人数は算定不能。送れ」
「こちらデルタ・リーダーよりCP。都道8号線および都道435号線は警視庁大塚警察署署員の努力により、交通管制が敷かれている。逆走車は取り締まられており、車輌による上り方面への進出は容易。送れ」
「こちらエコー・リーダーよりCP。核爆発の被害により神田川以南は壊滅。火災範囲の全貌については観測不能だが、神田川以北には広がっていない。また原子雲が広がっており、放射性降下物の危険性を認む。生存者の捜索は困難と判断する。退避を許可されたし。送れ」
21キロトン級41cm核砲弾の核攻撃を辛くも逃れた避難民たちは、一路北上を続けていた。
東京都心に存在する避難場所は、自然災害時を想定したものであり、武力侵攻を想定したものではない。東京都心の避難場所に留まることは、死を意味していた。
避難民の規模は100万人単位であり、その多くは徒歩による避難を余儀なくされている。
避難の最初期に頻発した交通事故と、キャパシティを超える規模の車両が殺到したことで、幹線・生活道路を問わず、道という道は渋滞。放置車両も現れたことで、車両による移動は事実上不可能であった。当然ながらJR東日本を初めとする鉄道網は、空襲により機能を喪失していたし、空襲による直接的被害が少なかった地下鉄道網も一部設備が破壊されたため、送電設備が機能を停止していた。
彼ら避難民はみな焦燥と疲労により消耗しながら、ただただ歩いた。
歩道も車道も関係ない。ガラス片や瓦礫が散らばる歩道。放置車両の車列が連なり、事故車両が転がる車道。どちらも危険なことには変わりはなかった。
時折、航空自衛隊の空対空攻撃を掻い潜ったレシプロ戦闘機が、彼らの頭上を翔け抜ける。その度に避難民たちは姿勢を低くするか、木陰や建物へと逃れた。惨めな逃避行。
避難民が通る道路沿いの商店からは、商品という商品が略奪されていったが、これは非難されるべきではないだろう。商店にもう二度と店員が戻って来ることはないだろうし、どうせ商品が残されていたとしても、その後の空襲か火災で灰燼になるだけなのだから。
道端では疲れ果てて動けなくなった高齢者が座り込み、親とはぐれた幼児が泣いている。
この100万単位の対し、警察・消防・自衛隊が出来たことはほとんどない。
東京都心が正規軍並の武装勢力に武力侵攻される事態や、千代田区が核攻撃され、日本国の上層が文字通り消滅する事態など、彼らが想定したことなどなかった。警察にも、消防にも、自衛隊にも、武力侵攻に対応しながら避難民を救援する力などない。
そもそも避難民を誘導するにも、東京都への武力侵攻を想定した避難所など存在しないため、警察・消防は避難民をどこへ誘導すればいいのか判断出来ずにいた。
また自衛隊側も避難民の避難先には苦慮した。
防衛省と統合幕僚監部を失った以上、現場の判断を下せるのは、陸上自衛隊東部方面隊総監部となる。
が、東部方面隊総監部は本来、実戦部隊の指揮を執るポストだ。
当然ながら彼らは東京都心に投入される第1師団と第12旅団の指揮に忙殺され、避難民の避難場所を計画したり、救援をする余裕などほとんどない。
「心苦しいが、都民の避難を支援することは不可能だ」
東部方面隊総監部は、そう結論づけた。
これが自然災害ならば手持ちの輸送ヘリや自衛隊車輌を総動員して、避難が困難な都民の支援を行っただろう。
だが今回は武力侵攻を受けている最中だ。航空自衛隊による航空優勢はいまだ不安定であり、東京都心においては敵レシプロ戦闘機がいまだに乱舞しているため、輸送ヘリによる救援は困難となっている。そして陸路は渋滞により、陸自車輌は救援どころか戦闘のための移動さえ出来ない。
「避難先と避難経路については、都民の自己判断と周辺の都道府県警察に任せるほかない」
陸上自衛隊東部方面隊総監部としては、そうするほかなかった。