17.陸海空決戦――沖縄消滅――
1944年の所謂「十・十空襲」を上回る大破壊が、沖縄本島を襲った。
沖縄県民約140万の平穏な暮らしが営まれていた島は、瞬く間に瓦礫と焦土の広がる1206平方キロメートルの荒野と化した。あらゆる存在を捻り潰す鉄量を前に、陸海空自衛隊の存在も在日米軍基地も、そして平和への誓いも反戦平和運動もなんの意味も持たず、この地上から消滅した。
数個野戦師団に匹敵する火力を有し、地上最強の防御力を誇る戦艦大和と戦艦武蔵が解き放った地獄の劫火――数百発の弾子を撒き散らす3式弾の連続投射は、市街地を容赦なく灰燼に変え、ろくに防護されていない地表の軍事施設を焼却した。さらに雲霞の如く押し寄せた艦載機が、軍民問わず航空機を銃爆撃により破壊していった。
惨いものだ。超ド級戦艦とそれを守る大小艦艇、艦載機が海空から沖縄本島全域を蹂躙すると同時に、沖縄本島の生者殲滅を行動原理とする悪鬼たちが強襲上陸した。それ故に彼らの主力が上陸したのは、在日米軍施設が集中する本島中部ではなく、100万人以上の沖縄県民が暮らす中南部都市圏。人口密集地のど真ん中に現れた幽鬼の群れは、瞬く間に市街地へと浸透し、避難民の群れと混濁し、無秩序な大虐殺を引き起こす。
これに対するのは陸上自衛隊第15旅団(沖縄県那覇市)であるが、離島の防衛に特化し、大規模な陸戦を想定していない彼らに、万単位の死兵を駆逐する能力などあるはずがない。第15旅団は、数百名の普通科隊員(歩兵)から成る第51普通科連隊を主力とし、主力戦車や自走りゅう弾砲といった大火力を持たない。火力らしい火力と言えば、第15偵察隊の87式偵察警戒車と重迫撃砲がせいぜいである。そのため満足な遅滞戦術もとることも出来ず、彼らは物量に押し潰されて消滅した。
在日米軍海兵隊第3海兵遠征軍隷下の第3海兵師団と第31海兵遠征部隊も、また同様であった。彼ら在日米軍海兵隊は、陸自第15旅団を上回る兵員と砲火力を有している。だがしかし緒戦では、県民と悪鬼が混濁した市街地へと砲弾の雨を降らせるのに躊躇した。この現代に事態が把握出来ていない状況で、避難民を巻き添えに反撃する決断を下せる指揮官などいない。そしてそのまま海空からの砲爆撃と、先の沖縄戦同様の物量を誇る人外陸軍に圧迫され、消耗し、殲滅される。
沖縄本島の戦いは、1日で片がついた。
首都圏防衛戦とは異なり、沖縄本島に駐留する地上戦力は極めて僅少だ。緒戦の奇襲により航空戦力が全滅すれば、あとは防衛の見込みなどなきに等しい。また本州とは異なり、沖縄本島には敵を防ぎ止めるだけの縦深がない。
……そして幽鬼たちを足止めするだけの“餌”もなかった。東京都民約1300万人が生命の危機に晒された首都圏防衛戦では、人外悪鬼どもは占領区域に残る東京都民の殺戮に尽力したために、侵攻速度が大幅に鈍った。だがしかし沖縄本島では同じ現象はまったく見られず、沖縄本島の在日米軍と陸海空自衛隊が態勢を整える前に、彼らは沖縄本島全域を攻撃し尽してしまった。
沖縄本島全域が劫火に包まれた。
この大火事を消し止める者は、いない。消火作業に従事する消防も、避難誘導にあたる県警も、機銃掃射と艦砲射撃により壊滅している。
横殴りの弾雨と無秩序に拡大する火焔により、沖縄本島に存在する歴史ある遺産と文化が、消滅していく。焼失と再建を繰り返してきた歴史をもつ首里城は、複数回に渡る機銃掃射を受け、弾痕おびただしい見るも無残な姿へと変えられた。著名な首里城守礼門は崩壊し、その下では20mm機関砲弾の直撃を受けた観光客の死骸が転がった。世界遺産をはじめとする観光地はあらかた航空爆弾の直撃を受けるか、艦砲射撃の標的とされ、徹底的に破壊された。
沖縄本島民約140万の墓標として上がる猛煙を後に、時代錯誤の大艦隊が北上を開始する。
半世紀前に沖縄近海へ無謀に思える突入を敢行した超ド級戦艦大和と、それを護衛する戦没艦たち。そして南方海域で戦没した艦艇たちは、離島群を蹂躙しながら、今度は本州近海への突入を開始した。