10.1日目の終わり
生者と死者が闘争を繰り広げる狭い島国に、夕闇が迫り始めていた。
怨霊の軍勢が復讐戦を開始して、未だ半日――にもかかわらず、すでに政治経済の中枢、東京都心は完全に機能を喪失。犠牲者の数は、執拗な空襲、艦砲射撃、地上戦、核攻撃により、200万にまで達した。
東京湾沿岸はいまや帝国陸軍の姿で顕現した死霊の橋頭堡と化しており、千代田区・中央区・墨田区・江東区・台東区・文京区・港区は、彼らの占領下におかれている。また東京都内では陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊が、千葉県北西部では陸上自衛隊第1空挺団が、抗戦を継続しているものの、戦況は芳しくない。
苦境を迎えているのは陸上自衛隊だけではない。
日本近海に湧き出し、あるいは押し寄せる敵艦艇への対応に海上自衛隊は忙殺され、航空自衛隊は連続の空対空・空対地・空対艦ミッションにより、稼働率が急低下しつつある。
だが一方で、帝国陸軍もまた侵攻速度を鈍らせ始めていた。
これは陸上自衛隊を散々に悩ませている放置車両の列が、今度は帝国陸軍に対して障害物として機能し始めたためである。普通乗用車ならば中戦車で踏み潰して行けるものの、大型トラックともなればそれも難しい。
こうして95式軽戦車や97式中戦車は市街地で立ち往生し、戦車の支援を失ったまま前進した歩兵達は、絶大な火力の前に斃れていく。
また電力供給の途絶えた鋼鉄のジャングルという戦場が、彼らに対して不利に働き始めた。帝国陸軍将兵の姿をとって物理的顕現を果たした亡霊たちは、夜間暗視装置を持たない。そのため防戦側に有利な建造物が密集する東京都心では、どこから撃たれているか分からないまま全滅する、という事態が続出した。
「敵武装勢力は夜間暗視装置を装備していないようです」
「時間が稼げそうだな……第1戦車大隊(静岡県御殿場市)の現在位置は?」
「すでに多摩川を越え、世田谷区まで進出しております。普教連(普通科教導連隊)も同様です。戦車教導隊は戦闘準備を済ませ、2000時に富士駐屯地を出発」
「よし――翌朝までには新たに第1師団第32普通科連隊、第12旅団、富士教導団を投入できるな」
「特科も弾薬の補給が済み次第、東京都内への反撃が可能です」
帝国陸軍の動きが鈍ったことで、東部方面総監部は蘇生する思いがした。
日没から日出までの時間があれば、関東圏内の部隊を掻き集め、防衛線を再構築し、反撃を計画することは十分可能だ。またこの貴重な時間を使って、量は限られるものの弾薬を補給処から搬出し、前線部隊へ輸送することも出来る。輸送さえ出来れば、これまで実弾がほぼ皆無のために、何の活躍も出来なかった特科部隊の砲戦力を、自在に運用出来るようになる。
「この度は国籍不明の武装勢力による武力攻撃、またわれわれ陸海空自衛隊の出動と自衛権の発動につきまして、お集まりいただきまして、ありがとうございます。現在、この日本国は、そして日本国民の生命と財産は未曾有の脅威に晒されております。陸海空自衛隊としては直接、メディアのみなさま、国民のみなさまに、国籍不明の武装勢力による武力攻撃に関してご説明を申し上げたいと思いまして、本日会見を開かさせていただきました」
「現在、この日本は武力攻撃に晒されているのですか!?」
「申し訳ありませんが、ご質問は最後に受けさせていただきます。まず私どもの方から事態の全推移をお話させていただきます」
東京都内で闇夜の死闘が始まろうとしている中、陸上自衛隊の各方面総監部では記者会見が開かれていた。
各方面総監部の幕僚たちの前に集ったのは、大手メディアの地方支社から地方紙の記者、政党関係者、市民運動家など、多種多様かつ大人数。
みな、情報に飢えていた。
悪鬼悪霊の東京侵攻により、在京メディアは全滅したため、東京都外の国民は武力侵攻に関する情報を、断片的にしか手に入れることが出来ていなかったからである。SNSや動画視聴サイトには目を疑うような画像や映像がアップロードされており、またBBSには「東京都心が核攻撃された」「岩国基地がテロ攻撃された」といった情報が飛び交っていたものの、その真偽は分からないままであった。東京方面へ派遣した報道ヘリは戻らず、陸路による東京都内への取材も、渋滞と交通規制により現地入りさえかなわない。東京都内への電話は、いっさい通じない。
明らかだったのは、東京都心と西日本の幾つかの都市で「なにか」が起きており、陸海空自衛隊が法規的手続きを取らずに、独断で出動している、ということである。
「本日1130時――失礼、11時30分。航空自衛隊の自動警戒管制システムが、東京湾上空に3000を超える国籍不明の航空機を捕捉。また同時刻、海上保安庁東京湾海上交通センターのレーダーが、東京湾内に入航予定のない船舶――約100隻あまりを捕捉しており、海上保安庁より海上自衛隊および在日米軍へと連絡が届いていました。これが最初に掴めた事態発生の前兆となります。
11時48分、防衛省庁舎および統合幕僚本部および各幕僚監部より、国籍不明機からの攻撃を受けている旨が、陸上自衛隊各方面総監部、航空自衛隊航空総隊司令部をはじめとする陸海空自衛隊諸部隊へと伝達されました。以降、防衛省庁舎および統合幕僚本部・各幕僚監部との連絡が途絶。
11時49分、航空自衛隊航空総隊司令部が各航空隊が緊急発進。付け加えておきますと、これは平時の任務――対領空侵犯措置の一環であり、なんら違法性はありません。
そして12時10分、緊急発進した第301飛行隊機が、国籍不明機から発砲を受け退避。この時点で緊急発進機は、自衛戦闘を開始しています。また第301飛行隊機および偵察任務を負った第501飛行隊機の報告から、航空総隊司令部は国籍不明機が、機関砲、航空爆弾等を用いての武力攻撃を行っていることを認識。
また陸上自衛隊東部方面総監部は、第1師団第1偵察隊が武力攻撃を目視確認した旨、第1師団司令部より報告を受け、内閣総理大臣の承認を待たず、自衛権を行使するべく出動を開始しました」
記者会見の会場には、ただただ事態の推移を読み上げる幕僚の声だけが響く。
それを記者たちは咳ひとつせず、一語一語聞き漏らさないように聞き続ける。当然ながら、彼らの心中は穏やかではない。
そして長い長い事態説明の末に、幕僚は最後に日本国民へと呼びかけた。
「内閣総理大臣以下閣僚および国会議員が行方不明の現在、われわれは自衛隊法第73条をはじめとする法に反して出動し、超法規的措置をとり、自衛権を行使しています。
しかしながらこの超法規的措置は、憲法前文にある“国民の平和的生存権”および憲法第13条で定められている“生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利”を守るための、やむをえない措置であるとわれわれは考えています。
現在、我が国の存立が脅かされており、国民の平和的生存権や生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利が根底から覆されようとしていることは明白であり、行政法を遵守するあまり、憲法で定められている国民の権利、そして国民の生命を守ることが出来ない、というのは、日本国憲法の精神と陸海空自衛隊の存在意義から、到底許されるものではありません。
そして最後に日本国民のみなさまにお願いがあります。
われわれ陸海空自衛隊は超法規的措置として、自衛権を行使するために出動しています。そのため自衛隊法で認められている物資の収容や、緊急業務従事を、法令に基づく形でお願いすることが出来ません。
しかしながら前述のとおり、短期的な事態収拾がかなわない以上、日本国の平和と安全を守るためには、自衛隊法第103条で認められている緊急業務従事命令や物資の収容、同法第104条で認められている電気通信設備の優先的使用が絶対不可欠になります。
どうかご理解とご協力をお願いいたします」
ここで総監部の幕僚からの事態説明は終了し、記者たちの質問がはじまる。
――法に基づいた命令がない以上、武装勢力へ発砲し殺傷した自衛官は、殺人罪や傷害罪に問われるのではないでしょうか?
「自衛官が発砲した個々のケースの状況を全て把握しているわけではありませんが……自衛官は刑法第36条で認められている正当防衛、刑法第37条で認められている緊急避難を根拠に、武装勢力に対して発砲をしています」
――武力侵攻中の武装勢力について、現在の時点で他に何か分かっていることはあるのでしょうか?
「現時点では武装勢力の国籍や目的については、特定できておりません」
――武装勢力と交渉する余地は?
「ありません。我々はあらゆる通信方法を用いて、武力侵攻中の武装勢力と話し合いのチャンネルを開こうと努力していますが、それらは全てことごとく黙殺されています。そして彼らは現在も非戦闘員を殺傷し続けています。現在のところ、交渉の可能性はありません。我々は被害を最小限に抑えるべく、これからも自衛を継続します」
――彼らは旧日本軍の銃器や戦車で武装しているとのことですが、旧軍の武装はすべて戦後に廃棄されたはずではないのですか?
「仰るとおりです。大日本帝国陸海軍の装備の大半は、戦後まもなく処分されました。彼ら武装勢力がこれを調達・保有できた理由については、現段階では推測さえ出来ません。しかし不可解なのは、核実験により標的艦となった戦艦長門や、爆沈した戦艦陸奥といった通常の手段では再就役が困難な艦艇が、我々の前に現れているということです。これに関しては、手掛かりが掴め次第、順次発表していくつもりです」
――神奈川県横須賀市、東京都千代田区が核攻撃されましたが、この核弾頭の出所は。在日米軍が日本国内に持ち込んでいた核弾頭が奪取され、今回の攻撃に用いられたのでは、という噂がSNSでは頻繁に囁かれていますが。
「核弾頭の出所については不明です。核攻撃について明らかになっていることは、武装勢力は前述の戦艦長門より、20キロトン級以上の威力をもつ核兵器を、神奈川県横須賀市および東京都千代田区へ発射したということだけです」
――結局のところ、この武力攻撃は現内閣と防衛省が結託した結果の、自作自演なのではないですか? 突如として東京が攻撃され、自衛隊が出動、かつての国家総動員法を彷彿とさせる宣言をするなど、これは出来すぎている。クーデターにしか思えません。
――そんな陰謀論じみた質問はやめろ!
――マスメディアの役割は権力の監視にある、我々はこの疑惑を追及すべきだ。
――いや、いまは国民全員が一致団結して、この危機を乗り越える時だ。いたずらに不用意な報道は……!
――これは戦前の総力戦体制の復活だ、絶対に看過してはいけない!
「静粛にお願いします!」
先程までの静寂はどこへやら、記者会見場は誹謗中傷さえ飛び交う議論の場と化した。
が、ともかく陸海空自衛隊からのメッセージは日本国民へと発せられた。
あとは日本国民が、本土決戦への覚悟を固められるかの問題である。