トイ月イホ日
今日は深夜に目を覚ました。元々、仮眠のつもりだったのだから当たり前だ。
適当に身支度を整えると、腰のベルトに刀を一振り巻き付け、マウへ『仲間集めはさておき装備を購入して回れ』と伝言を残した。
占い婆の家は街の西、高台の上にある。街のどこからでも確認できる反面、その全貌は計り知れない。占いで儲けた蓄えが腐るほどあるのだろう、面積だけならばイース城を超えているのだ。ちょっとした村と呼んで差し支えない。
しかし、だからこそ敷地内への侵入はたやすい。
外壁を素手で登り敷地内へ降り立つと、目の前には畑が広がっていた。占い婆が新鮮な野菜を食したいがために使用人へ育てさせているものだ。畑を越えて右手には巨大な家屋、そこから少し左に逸れて、ノーストの魔道師が好みそうな円柱型の塔が見えた。
女将から聞いて、その塔に孫娘が生活しているのは知っていた。俺は腰をかがめて畑の中を進んだ。
畑の中心部に引かれたあぜ道の辺りで使用人に見つかった。油断と焦りがあったのだろう。
とはいえ、使用人如きに捕まる俺ではない。フェイクのために占い婆の眠る家屋へ向かうと、使用人の見えなくなったところで引き返して塔へと入った。塔には鍵がかかっていたが、まぁ、工具で壊してしまえばなんということはない。
塔の内部構造までは把握していなかったが、一部屋一部屋調べていくと、三階辺りで眠る娘の姿を見つけた。
今朝までは『天才魔法使いで占い婆の孫娘』という情報しかなかったから、この時は驚いたものだ。占い婆の孫娘は、第二次性徴も始まって間もない子供だった。
頬を叩きやがて目を覚ました娘に「すぐに出るから身支度をしろ」と告げたが、言葉は返ってこなかった。後で知ったところだが、あの娘は無口で、基本的に言葉というものを発さない。
苛立ちから「従わなければ命がないと思え」と言うと、無表情でぼろぼろ涙を流すものだからこちらも慌てて謝った。娘は名をワンダといった。
泣き止んだ後は、やけに素直に、ワンダは俺に従った。
着替えの間に俺は事情の説明をしていたが、やはり返答はなかった。しかし旅の荷物までいつの間にか整えていたのだから、すでに心は決まっていたのだろう(帰りの道すがら「外の世界が見たい」と呟くのを聞いた)。ワンダは魔法使いらしくノースト製のローブを羽織っていた。
ワンダを抱えて塔を飛び降り、そのまま侵入した外壁の辺りまで駆けた。
使用人の姿をついぞ見なかったのが不思議だが、ワンダの身支度を待っている時間は長かったから、向こうもこちらがすでに敷地外へ去ったと思っていたのだろう。
外壁を登っている途中でワンダが初めて言葉を発したかと思いきや、「おじさんは特殊な性癖の人?」などと無礼な質問をしてきた。すぐさま否定しておいた。背中でワンダが安堵の吐息を吐いたのがわかった。今後も誤解をされぬような行動を心がけたいものだ。
家でワンダと共に食事をとっていると、装備を揃えたマウ一同が帰宅した。ツネツキとネズミの二人とは朝から共に行動していたとのことで、仲良くやれているようで安心した。
マウとネズミはワンダの姿があることに驚いていたが、ツネツキは「お、かわいいじゃないか」などと言ってワンダの頭を撫でているばかりだった。
王から提示された出発の期限は正午だった。
もたもたしていては世界に被害は増すばかりだから王の気持ちはわかるのだが、それにしても少し急すぎるのではないのかと感じる。
とはいえ、こちらとて今はしがない船大工に過ぎない(ここ数日で散々無茶をしてきた身でなんだが)。強く王へ進言できる立場ではないのだ。
これ以上逆らうのも王の面子に関わるだろうと思い、出発予定日は守らせることにした。もう仲間が見つかるアテもなかった。
マウ――勇者・船大工、武器は弓。
ツネツキ――行商人、武器は突剣。
ワンダ――魔法使い、武器は杖。
チュウジ――戦士、武器は刀。
揃えてみれば、程良くバランスの取れたパーティだ。
神官がいないのが気になるが、そもそも世界に数える程しかいない神官だ。今から探して見つかるとも思えない。旅の途中で調達できると良いのだが。
まぁ文句ばかりでは始まらない。その分、こちらでサポートすれば良いだけのことだ。
ワンダをマウに紹介し、いざ出発という段になると、マウが表情を崩した。
旅が怖いのかと問えば、「もうお父さんと会えなくなるかもしれないのがやなだけだよ」と可愛い返答をする。
きっとまた会えると俺はマウの背中を押し、送り出した。
心中に何を抱えていようと、勇者は先頭を歩かなければならない。
マウの後ろにはツネツキ、ワンダ、ネズミが続いていた。
四人の背中は網膜に焼き付き、死ぬまで消えはしないだろう。
マウのパーティが見えなくなったところで、俺は行動を再開した。おちおち休んでもいられなかった。リュックに工具、筆記具、皮財布、飲料、食料、火薬、そして薬草や魔具の類を詰め、腰に刀、懐には短刀も備えた。ズボンのポケットにはもちろん遠聴玉も入れた。
船大工として依頼された仕事は王に呼び出された日に全て片付けておいた。手持ちの作業は何もない。
もしかしたら我が家とも今生の別れになるかもしれないと、机の上にマウへ向けた遺書を残し、俺は家を出た。
街の中心部を抜けた辺りでのことだ。馬上で遠聴玉を耳にあて、マウ達の会話を盗み聞き(昼間にマウの荷へ送手側の遠聴玉を入れておいた)、四人は山道を行くつもりだと知った。
それはまずかった。マウ達には、今の内に魔物との戦闘に慣れさせなければならない。ほとんどの魔物は河から現れるので、河沿いのルートを選ばせる必要があった。
幸いにもマウ一行が山道へ辿り着くのは明日の見込みだったので、猶予はあった。
俺は街の東側の獣道から愛馬に無理をさせて回り込み、山道までやってきた。
入り口付近の崖に爆薬を仕掛け、しばらくして爆発。見れば山道の入り口は土砂に潰されていた。つい先程のことだ。
長い一日だった。疲れたので、今日はもう眠る。
……あぁ、マウに見つからぬよう、身を隠さなければ。