勇者マウ
長い眠りから覚め、重い目蓋を持ち上げる。
目の前にあったのは、男の人の顔。彫りが深く、前髪を後ろに倒し、カソックを身に纏っている。城に入る前に出会った、僧侶団のミッカさんだった。
「もう心配ないようですね。では、私は次がありますので」
ミッカさんは額に薄く汗をかいて、私の顔を覗き込んでいた。
その言葉から考えるに、たぶん私は彼から奇跡を受けていたのだと思う。私は気を失っていたのだ。
けれど、どうにも記憶が不明瞭だ。魔王と戦っていたことは覚えてるんだけど……。
「あの」
と、口を開いたところで、ミッカさんは軽く頭を下げて、すっと私の視界から消えてしまった。
何がなんだかわからなくて、身を起こして首を動かすと、隣に魔王の首が落ちていた。
「死んでる……? 良かった、けど」
私が倒した記憶はない。ということは、勇者である私の代わりに、誰かが魔王を倒してくれたんだろう。
しかし、それはチュウジさんのはずはなくて、ツネツキさんでもなくて……。傷口を見ると刃物を使ったらしいから、ワンダでもない。
――――。
そうだ! チュウジさん、ツネツキさん、ワンダ!
魔王との戦いの中、三人がどうなってしまったのか、私の中に僅かな記憶は残っている。
あれから、三人は私と同じように助かったのか。まさか、まさか死んでしまったなんて、そんなはず――。
ともかく立ち上がり、部屋の中を見渡す。
と、すぐさま目につくものがあった。
壁にもたれかかったツネツキさん。そして、その手前に、右手を光らす僧侶団の一員。
奇跡を使って、彼はツネツキさんの怪我を治しているんだろう。
「あ、あの、ツネツキさ――」
「治療中です。話しかけないで」
びしゃりと、僧侶団の人に言葉を断ち切られる。
……ツネツキさんの首は、おかしな方向へ折れ曲がってしまっている。
僧侶団の人が治療を続けているってことは、まだ希望はあるってことなんだと思う。
でも、私が奇跡の邪魔をしてしまったら、彼女の命は潰えてしまうかもしれない。そんなのは駄目だ。
振り返り、部屋の隅々まで視線を巡らすと、今度は血溜まりの中に倒れるワンダの姿が見えた。
彼女の手前にも僧侶団の人がいる。治療を続けているのだ。
「ワン――」
と言いかけて、先程の二の舞になってしまうだけだと思い至った。
私にできることはない。
声をかけてはならない。邪魔をしてはならない。
それが二人の命を救うための、最善策だ。
◇ ◆ ◇
部屋の中には、他に人の気配はなかった。
私たちのパーティは4人だ。
私、マウ。ツネツキさん。ワンダ。チュウジさん。
……チュウジさんの姿が、どこにも見当たらない。
段々と思い出してきた。確か、最後の最後、チュウジさんは魔王のファルシオンで足を斬られてしまって……床に倒れていたはず。
けれど、部屋の奥、チュウジさんが倒れていた辺りには、血溜まりがあるだけで、チュウジさん本人の姿はなかった。
ということは、チュウジさんは、助かった? だから、ここにはいない?
――捜さなきゃ。
そう思い、歩を進めたところでふいに気付いた。
床に落ちた魔王の首の端から、うねうねと血管が伸びている。
「え……な、何で……?」
おぞましい光景に身が少しだけすくんでしまったけど、そういえば、この現象に説明のつく事実に覚えがあった。
『魔王はコアを破壊しない限り復活し続ける』
コアを破壊できるのは、マルコガラスだけ。
しかし、床に落ちたそれは、刀身が柄の辺りから折れてしまっていた。
「私は……勇者……」
手を打たなければ、魔王は復活してしまう。
コアを破壊しなければならない。
――だとしたら、それは勇者である私の役目だ。
折れてしまっているからなんだ。刀身だけでも、コアを刺し貫くことはできる。
落ちた刀身を拾い、その重みに少しよろめき、魔王の首へ寄り、床に膝をつける。
刃先をコアに当てて、上から体重をかけるように刀身を垂直に。
「ふっ!」
と、私は全体重をマルコガラスの刀身にかけた。
魔王のコアは音を立てて砕け散った。
◇ ◆ ◇
役目を果たしたところで、私は柔らかく肩を叩かれた。
振り向いてみると、そこにいたのは――、
「ワンダっ!」
ローブが右胸の辺りで裂けてしまっているけど、普段と変わらない様子で立っている。思わずその体を抱きしめると、そっと背中に腕を回された。
「良かった……良かった……助かったんだ」
無口なワンダは私の言葉に返事をしない。けれど、それがかえって嬉しかった。魔王との戦いが終わったことを実感できたから。
ふいにワンダは私の体を押す。
「ごめんごめん、つい嬉しくて、暑苦しかったよね」
ワンダは続けて、私の右手を取り、手のひらを合わせた。そのまま握りしめる。
「……ワンダ?」
私が問いかけると、小さな声で、ワンダは呟いた。
「お父さんが倒した」
その言葉を耳にして、私は全てを察した。
部屋の中にあるのは、ツネツキさんと僧侶団の人の姿、それに私たちだけ。
――まだ、この城の中にいるはず。
私は床を蹴り、ワンダの手を引いて走り出した。
◇ ◆ ◇
城の捜索を始めて、間もなくのこと。
廊下の奥から響く足音に気付くと、そちらからチュウジさんから駆けてきた。
「マウ! 良かった、生きてたな」
「チュウジさんっ!」
さすがにチュウジさんを抱きしめはしなかったけど、近寄って、手を叩き合う。軽く鳴る音が心地良かった。
「と、こんなことしてる場合じゃねえんだわ。お前の親父、見つけたぜ」
「お父さんっ!?」
「覚悟だけしとけよ。こっちだ」
チュウジさんが来た道を戻ってゆく。不安に思いながらも、私とワンダはその後に続く。
再び魔王の部屋を通過して、奥の廊下を進み、角を曲がる。そこにあった階段を降り、さらに歩くと、右手の小部屋の扉が一つだけ開いていた。
チュウジさんが部屋の中へと入る。
私も扉を抜けると、部屋の奥で屈む、カソックを着た後ろ姿を見つけた。
「ミッカさん?」
声をかけると、彼は振り返らずに言葉を返す。
「――残念ながら、息はありませんでした。けれど、全力を尽くせば、あるいは、蘇るかもしれません」
脈絡のないミッカさんの言葉を不思議に思って、頭上から首を伸ばすと、その奥で壁に背もたれる人影があった。
左腕がなくて、へその辺りから脇腹にかけて分断されていて、そこから臓器が飛び出していた。
その顔は、見覚えのある、見覚えのありすぎる、髭面。
間違えるはずがない。
「お父さん……」
何で、来ないでって、言ったのに。どうして。
「どうして、来ちゃうかなあ……」
壁にもたれたお父さんは動かない。だって、腕がない。お腹は半分以上なくなってる。
さっき、ミッカさんはなんて言った? 息がない? それって、死んでるってこと? お父さんが、死んだ? 死んじゃったの?
「うぁ、ああぁ……嫌だ、嫌だよ、そんなの」
顔が熱くなって、うあ、頬が濡れるのがわかる。前が見えなくなって、景色が幻覚のように揺れる。ふらふらと足がもつれて、膝に痛みが走って、それで私は転んでしまったのだと気付いた。
「マウ。落ち着けよ。まだ死んだわけじゃねえって。まずはこれを読んどけ。お前の親父が持ってたそうだぜ」
背後からチュウジさんが手を回す。その手に持った紙束には、赤い文字が並んでいた。
「こんなのいらないよおっ!」
「読んでおけって。気も紛れるだろうぜ」
腕ごと押しのけても、チュウジさんは全く譲ろうとしない。
「…………お父さんが、持ってたって言いましたか」
「おう。もしかしたら遺書かもしれねえだろ。だったら、最初に読むべきは、お前だ」
「お父さんは死んでません」
「だとしてもだ」
お父さんの遺書を読むのは、お父さんが死んじゃったんだと認めるみたいで嫌だったけど、確かにチュウジさんの言う通り気は紛れそうだ。
何かしていないと、ただ待つだけでは胸が張り裂けそうだった。
私は、貪るように文字を目で追い始めた。
◇ ◆ ◇
あまり長くもない文章で、読み終わるのに大して時間はかからなかった。
紙束は、やはりお父さんの遺書だった。船を出てから、魔王を倒すまで。私たちが気を失っている間に何が起こったか、そして、私たちに対する遺言が書かれていた。
そこに残されていた、最後の言葉。
『マウの人生に幸多かれ』
だから、悲しむなって?
「それでも、私は、お父さんが死んじゃったら、幸せになんてなれないよ……」
壁に背もたれるお父さんは動かない。ミッカさんが奇跡を続けることによって、お腹の傷は塞がって、いつの間にか消えたはずの左腕も元通りになっていた。
けれど動かない。奇跡は、失った命を取り戻せない。
「ぅうう、お父さん……、お父さん」
嗚咽を漏らすと、背後から現れた腕が私の手からお父さんの遺書を奪った。
「――遺書、ねえ」
腕は、ツネツキさんのものだった。
首は元通り真っ直ぐに伸び、ツネツキさんの綺麗な顔を支えている。
「ツネツキさん……生きてたんですね、良かった……」
「まあ、このおっさんのおかげだよねえ」
言って、ツネツキさんは遺書をこちらへと突き返す。もう読み終わってしまったのだろう。
「でも、お父さんは死んじゃったんです……。こんなことになるんなら、お父さんには来てほしくなかった。最初から来てほしくなかったんです。なのに、なのにお父さんが勝手に付いてきて、それで」
「あのさ、この手紙、読んだんだよねえ? だったら、それを言っちゃ駄目さ。おっさんは後悔なんてしてない。これで幸せだって書いてるよ」
「お父さんの勝手です。私は望んでない。付いてきてほしくなかった。遺言なんて残してほしくなかった。生きてて、ほしかった」
ミッカさんの手から光が消える。奇跡を止めたのだ。
もう、ミッカさんも諦めてしまったのだろう。お父さんは助からない。死んでしまったのだ。
「う、うぅうううう……っ」
涙が止まらない。お父さん、お父さん。
どうしてこんなことになっちゃったの?
私がちゃんとしてれば、ちゃんと勇者の役目を果たせてれば、こんなことには――、
「いぅっ!?」
ぱあん、と小気味の良い音がして、背中に痛みが走った。
振り返ると、ツネツキさんが意地悪そうな笑みを浮かべていた。彼女が私の背中を手のひらで叩いたのだ。
「な、何するんですか……っ」
「おっさんが、こんなところで死ぬわけないだろ。どれだけの死地を潜り抜けてきたと思ってるんだ。……あはは、私としては、遺言が有効になった方が得するんだけどねえ。でも、悪くないかな、こんなオチも」
ふいにツネツキさんの目元が光った。それを慌てて指で拭って、ツネツキさんは私の背後を指さす。
振り返った先にあるのは、お父さんの体。
「お父さん?」
問いかけに応えたのは、ミッカさんだ。
「……諦めたから、奇跡を中断したわけではありませんよ。治療が終わったから、止めたのです」
……て、ことは。
まさかっ!
すぐさま私はお父さんへと駆け寄る。
顔を覗き込む。
じっと、じっと、息を飲んで見つめる。
その唇、鼻、口ひげ、些細な変化も見逃さないように。
――目蓋がぴくりと動いた。
そしてあっけなく目蓋は開いていく。
現れたのは、瞳。
口元が歪み、もごもごと、喉の奥から低い声が届く。
「……マウ、生きていたか」
「こっちの台詞だよ」
震える唇を押し殺して、私は言葉を続けた。
「いい加減、娘離れしてよね、お父さん」
これにて物語は終了です。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。
……ご感想などいただけたなら、それが私にとっての幸せです。