トイ月ロヘ日
出航は早朝となった。
理由はただ一つ。なるべく昼の内にシ海を渡るためだ。
魔物の目は昼だろうと夜だろうと関係なく我々を捉える。
しかし、人間である俺たちには、日の出ている昼間にしか魔物の姿を見つけることはできない。
距離数十メートルというところまで近付いてようやくリヴァイアサンの存在に気付くなんてことがあっては終わりなのだ。
キャンプ地からシ海までは結構な距離があるのだが、船は昨夜の内に船大工と兵士たちの手で運搬が行われていた。おそらくは夜通しの作業となっただろう。
マウ一行、そして俺が浜まで辿り着くと、船はすでにシ海へ浮かんでいた。
航海に要する時間はおおむね半日といったところだ。
シ海に渡るための船に帆はなく、サウストで加工された放風の魔具で進む。速度重視だ(魔物の襲撃による乗員へのダメージを避けるため船首も高くしてある)。
なるべく夜を避けるとはいえ、トラブルはあって然るべき。
魔物を警戒して進めばそれだけ速度も落ちるのだし、シン到着が夜になる可能性も十分考えられた。
それに備え、昼の内はツネツキは眠っておくこととなり、俺との交信は代わりにネズミが務めた。
俺の隠れ場所は船央甲板に設置された倉庫だった。
マウは航海士兼船長として不眠不休で航海にあたる。倉庫に用のあるはずがない。
倉庫には、ワンダのための記録魔具が無数に備蓄されていた。
初めに戦闘となった魔物はシーサーペントだった。
それまでにもケルピーやスライムなどと遭遇していたのが、やり過ごせば良いだけの相手だった。
しかしシーサーペントは違う。形状自体は海蛇によく似ているのだが、サイズが馬鹿でかく、性格は凶悪無比である。
海底から突然に現れたので接近を予期できなかった。
対処しなければ船底が食い破られる恐れがあった。実際、気付いた時にはすでに左舷へ囓りついていたのだから。
とはいえ、俺は扉の隙間から顔を出し様子をうかがうだけだった。
手助けをすることももちろんできたのだが、連中だけで対処できるのならそれに越したことはない。
マウとワンダはさすがだった。
狼狽えるだけのネズミを尻目に、ワンダは海上のシーサーペントへ向かって何度も雷撃を飛ばす。
するとシーサーペントは動きを止めるので、そこへマウが弓を射る。
殺す必要はなく、あくまで足止めができれば良いのだ。
そこまでやったところで、マウは放風魔具の出力を上げ、船を最大まで加速させた。
マウが舵へ向かっている隙に倉庫を出て海面を眺めていると、しばらくしてシーサーペントは見えなくなった。
カリュブディスと遭遇したのはそのすぐ後だったか。
あくまで遭遇である。
カリュブディスは渦潮を発生させる怪物で、船に乗った我々の天敵といえる。近付けばたちまち渦潮に飲み込まれ、海の藻屑と消える運命となるからだ。
奴も結構な巨体なので、マウであればそれに近付くような愚行を犯したりはしない。
その後もしばらくは何のトラブルも発生しなかった。
船に乗るリザードマンの集団を見かけたりもしたが、いちいち構ってはいられない。
結構な数を見送ったからキャンプ地では大規模な白兵戦が起こるだろうが、あそこは兵の数も豊富だ。きっとオオイバラの二の舞にはならない。
マウが集団を全て見送ったのも、その判断に至ったからだろう。
マウには辛い選択だっただろうが、よくぞ決断したものだと思う。誇りに思う。
ガワを発って6時間ほど経過した頃だった。日の位置は、ちょうど我々の真上だったかと思う。
クラーケンが現れた。
初めに奴を見つけたのはもちろんマウだった。
途端にマウはツネツキを起こし、臨戦態勢を取るように伝えた。
クラーケンは前方に現れてしまった。迂回を許してくれるほどのろまな魔物ではない。戦闘は回避できなかった。
シ海で最強を誇る生物、クラーケン。
15年前には奇跡的に遭遇せずにシンへ辿り着いたため、俺にとっても伝説の中でしか知らない存在だった。
攻撃方法は幾本も生えた足による打撃だ。
クラーケンは頭が良い。乗員を狙うよりも船自体を破壊した方が効率良く人間を殺せることを知っている。だから近付かれる前に可能な限り攻撃手段である足を削っておく必要があった。
これら全て文献から得た知識だ。うちの書庫にあった本なので、おそらくマウも読んでいたことと思う。
マウはまず放風魔具を止めた。さらにワンダへ風の刃を放つよう、ツネツキとネズミには爆発魔具を投擲するよう指示し、自分はそれを矢の先端に取り付け弓で射った。
接近されるまでに、ワンダの魔法によって3本の足を削った。残る内、4本は爆発によって損傷を与えた。
クラーケンの足は何本なのか文献に記載はなかったが、俺の数えたところによれば全部で10本。船にまとわりつく足は残る3本である。
俺はここで倉庫の外へと出た。マウの視界に入らないよう警戒をしながら。
幸いにも1本は甲板に叩き付けてきた。これはネズミが怯えながらも切り落とした。よくやった。
1本は船首の方でマウ・ツネツキ・ワンダの三人が対処をしていたので、俺は最後の1本を警戒。きっと頭の良いクラーケンは足を一カ所に集めないはずだと船尾を監視していると、予想通り、目の前にクラーケンの足が現れた。
倉庫には爆発魔具の貯蔵も大量にあった。拝借してきたそれらをクラーケンへ投擲すると怯んだ足は退いていった。
船央へと戻り、隠れて船首の方を覗くと、甲板に切り落とされた足が転がっているのが見えた。
直後、船が揺れた。
原因にすぐさま気付けたのはきっと俺とマウだけだったろう。
クラーケンが、海中で船を攻撃していたのだ。
もちろんこの時点で全ての足にダメージは与えていた、水圧によって威力も海上よりは下がっていただろう。けれど、それでも船を破壊できる程の膂力をクラーケンは持っていた。
俺はクラーケンとの戦闘を一行に任せると、甲板を開け、船底へと降りた。
船底には、ひび割れが発生していた。
急ぎ俺は船底に放置されていた工具と予備の木材を拾い、補強を行った。これでも船大工のはしくれだ。勘どころは押さえていた。
しかし、その間にもクラーケンの攻撃の手は止まず、ひび割れは至る所に発生していった。
その内の一つはついに穴が開いてしまい、水の侵入を許してしまった。どうにか木材で侵入口を塞ぎ、上に樽やなんかを運んでやったが、じわじわと水漏れは続いていた。
背後から声をかけられてみて気付けば、ネズミが立っていた。
この時は俺も焦りと緊張で警戒心を怠っていたのだ。もしあれがマウだったらまずかった。
ネズミはマウから船底の様子を見てくるよう頼まれたのだといった。
水漏れをしていると正直に伝えると大慌てでマウへ報告に行こうとしたため、頭蓋骨を鷲掴みし「何もなかったと伝えろ」と言ってやった。
確かに水漏れは防げなかった。しかし、シンへ到着するまで、この時から数えても残り5時間ほどだった。そのくらいであれば、なんとか保つだろう。
クラーケンの攻撃による振動も、いつの間にか止まっていた。ネズミに訊くと「クラーケンは海底に引いてきましたよ」と。
なんとか危機を乗り切ったのである。
以上。それで、どっと、疲れてしまった。
ツネツキとも話したのだが、残り5時間、我々は眠っておこうということになった。ツネツキは甲板で、俺の方は、万が一水漏れが悪化した時にすぐさま対処できるよう、船底で就寝する。
異常なしと伝えさせたのだから、マウも船底まで様子を見にはやってこない。航海士として、舵へ向かう方が優先される。俺とマウが鉢合わせることはないだろう。
文献に記載された、シ海における人間の天敵は、クラーケンとカリュブディスの二匹。両方ともすでに遭遇を終えている。
残る魔物は、対シーサーペントの動きを見る限り、マウとワンダで対処できるだろう。
ツネツキから「シンに着いたら起こすよ」と言われたので安心して眠ることにする。
到着後、休まず航海にあたっていたマウにも休息の時間が必要だろうから、魔王の元へ攻め込むのは明日になってからのことだと思う。
一旦、ここでペンを置く。
シンへ到着後、夜になってから続きを書く。




