第七話 術師は守る
祭りも近づき、村が活気づいてきた。
このところ物之気や動物たちも大人しいし、思ったよりも山で木の実やきのこなどを確保できたらしい。
にこやかな村民に対して、汎諳は一人悩んでいた。
秀二郎にかけられた術を解く方法は、二種類あった。
一つはすぐに解けるが、対価が大きく、汎諳も躊躇してしまうもの。
もう一つは、面倒であるが十年はかかるものだ。
こちらは、今から学院に入って術師になってしまう方法。
術師になれば、自ら術を抑え込めるはずなのである。
しかし、秀二郎の術力の大きさから考えて、ごく低層の術師にもなれるかどうか怪しいし、彼の未来をそうやって決めてしまうのは本意ではない。
それに…と悩みながら、汎諳は秀二郎が待つ里長の家へと向かっていた。
今日は、抑える術をかけ直す予定なのだ。
いつものように裏口から入り、声をかけた。
「こんにちは」
すると、珍しく侍女ではなく奥方が出てきた。
「汎諳ちゃん、待ってたわ。ささ、こちらに上がってちょうだい」
秀二郎に用があっただけなのだが、奥方に勧められては断ることもできない。
はぁ、と従って草履を脱いで土間から上がると、どたばたと秀二郎がやってきた。
「まぁ!その寝ぼけた顔、洗っといで!」
奥方は、有無を言わさず秀二郎を追いやってしまった。
案内された部屋で座布団に座らされて待つと、まず里長がやってきた。
ちょうど借りていた書物を持ってきていたので、その場で返した。
そして、すぐに奥方が茶を四つ持ってきた。
汎諳の向かい側に奥方が座り、奥方の隣に里長が収まっていた。
秀二郎を待つことなく、奥方が話し始めた。
「あのね、悪い話じゃないと思うのよ」
「そうだな、その方が我々も安心だし、何より嬉しいことだ」
「せっかくだから、今度のお祭りに合わせても良いかもしれないし」
「里も落ち着いていることだしな」
奥方と里長が口々に言うが、何のことを言っているのか要領を得ない。
なんのことか聞こうと口を開いたとき、やっと秀二郎がやってきた。
「汎諳は、俺に用があってきたんだよ!」
開口一番、不機嫌にそう言ったが、奥方は意に介さず、里長の向かい側を指した。
「お座りなさい、あんたにも関係のある話なんだから」
むっとしながらも、秀二郎は汎諳の隣に座った。
「まったく、改まってなんの話だよ?」
そう言いながら、目の前に置かれた湯呑を手に取り、茶を口に含んだ。
「汎諳ちゃんを、あんたの嫁にもらう話よ」
秀二郎は、向かい側に座る里長の顔に、思いっきり茶を噴きかけた。
あらあら、と慌てる様子もなく布巾を手に取り、机を拭く奥方。
「花江…」
奥方の名は、花江という。
濡れた里長に対し、奥方は呆れた顔を向けた。
「あなた、何を濡れていらっしゃるの?早く拭いていらっしゃいな」
しょんぼりと肩を落として部屋を出る里長は、これで奥方にぞっこんなのだ。
その背を見送り、奥方は汎諳に話かけた。
「どう?汎諳ちゃんが嫌でなければ、ぜひ」
秀二郎の意志など確認もせず、乗り気な奥方に、気を取り直した汎諳が困ったように切り出した。
「えー、実はですね、その前に…」
言いよどむ汎諳の言葉を受け、口元を袖でぬぐった秀二郎が口を開いた。
「汎諳を嫁には貰わねぇぞ」
奥方は、えぇ?!と驚いた。
「だって汎諳ちゃんが帰ってきてからこっち、何かにつけてべったりだし、話も汎諳ちゃんのことばかりじゃないの」
秀二郎は、汎諳の手を取って立ち上がった。
汎諳も、手を引かれて立ち上がった。
「いや、俺が婿に貰われるんだ。そういう『約束』だからな」
婿?と小首をかしげる奥方に、汎諳は頷いた。
「はい、術師になる前だったとはいえ、『約束』は有効なので…」
汎諳の言葉に、今度は秀二郎が不思議そうな顔になった。
術師の『約束』は、一種の契約であり、破られることはない。
いわば絶対のものである。
そう説明すれば、秀二郎はなるほどと頷いた。
「覚えてたのね」
汎諳が頬を緩めると、秀二郎は苦笑いで答えた。
「あー、実は、祝言をあげよう、っていう口約束くらいにしか覚えてなかった。だけどさっき、夢を見て思い出した。俺が大人になって、汎諳が術師になった年の秋祭りまで覚えてたら婿に貰ってやる、って汎諳が言ったのを」
「あらまぁ、それならそれで良いわよ、素敵な約束ねぇ」
奥方は、どうやら満足そうである。
そこへ、茶を拭くついでに着替えてきた里長がやってきた。
「どうなったんだ?」
「汎諳ちゃんが、秀二郎を貰ってくれるんですって」
「…逆じゃなくて、か?」
「そうよ」
楽しそうに語らう夫婦を残し、汎諳は秀二郎に手を引かれて部屋を出た。
秀二郎の部屋へ向かう廊下で、秀二郎が静かに問うた。
「俺が思い出さなかったら、どうしたんだ?」
「…あたしが、秀二郎の嫁にきただけだと思うけど」
部屋に入ると、秀二郎は拗ねたような、不満げな表情で汎諳を見た。
「秀二郎が嫌なら、無理はしないでいいよ?」
「汎諳は、どうなんだよ」
腹の探り合いのような言葉に、汎諳は自分が折れた方が良さそうだと考えた。
「あたしは、秀二郎が好きだよ。というよりは、もう一回好きになった、って言うべきかしらね。でなきゃ、ちょっと痛いけどほかの方法もあったのに、わざわざ口移しで術なんかかけないわ」
それを聞いて、秀二郎は満面の笑みを浮かべた。
「俺は、汎諳が好きだ。俺と一緒になってくれるか?」
「もちろんよ」
汎諳も笑顔になると、秀二郎が広げた腕の中へ収まった。
ひとしきり体温を感じてから、汎諳はそんなことよりも、と顔を上げた。
「術の解き方が分かったのよ」
「え?!どうやったら解けるんだ??」
さらにもたらされた吉報に、秀二郎は嬉しそうに聞いた。
「…秀二郎、術師になる?それだと、対価は時間だけだわ」
「俺が、術師??うーん…動物は好きだし、村でも馬の世話を引き受けたりはしてるから、そういうのにも関わる術に抵抗があるわけじゃないけど…」
渋面になった秀二郎を見て、やっぱりそうか、と汎諳は頷いた。
「今からまた十年離れるって、結構辛いものね」
「は、じゅ?!それは嫌だ」
十年と聞いて、はっきり拒否した秀二郎。
汎諳は思わず笑い声を立てた。
「じゃあ、こっちの方法かぁ」
「もう一つあるのか?対価は…」
乗り気ではなさそうな汎諳の言葉を聞いて、秀二郎は不安そうに聞いた。
そんな秀二郎をじっと見上げて、頬を赤く染めてはいるものの、真面目な顔で汎諳は口を開いた。
「あたしを抱きなさい」
「え゛、あぅ、だ、だ、ては…?」
唐突に言われ、腕の中の柔らかな身体を意識し、真っ赤になる秀二郎。
とにかく初めて受け入れることに意味があり、あらゆる術を払う威力があるものだから、指を入れるようなこともせず本番に挑めなどと言い出す汎諳。
あまりの発言に沸騰寸前の秀二郎は、しかし据え膳を落ち着いていただけるような余裕もなく、不器用に汎諳の袴の紐を解こうとした。
「ここでする気?!だめよ、術をかけるんだから。場所もだめだけど、解術の日取りだってきちんとあるのよ」
「え??そんなぁ…」
「それに、対価にはそれ相応のものをもらうわよ。女の術師だけが、一生に一度だけ使える呪い解きなんだから」
情けない顔の秀二郎の腕から抜けだし、汎諳は紐を結び直した。
秀二郎の様子は気にも留めない調子で、さらに汎諳は続ける。
「月がない方がいいから、次の新月ね。今日が十日月だから…あと十八日。秋祭りが終わって落ち着いたころね」
「ええぇぇ…」
あまりのお預けに、がくりと首を垂れる秀二郎。
心なしか、目も潤んでいるようだ。
それから、秀二郎は汎諳のところに通いづめとなった。
里長はもちろん、村中に婿入りの挨拶をして、汎諳の両親にも挨拶の文を出し、秋祭りの準備の合間に汎諳の家への引っ越し準備も行った。
秀二郎は、お預けをくらった不満を晴らすように、必要以上に働いて回っていた。
当然、祭りでも汎諳にべったりと連れ添い、友人たちにからかわれるのも意に介さなかった。
新月の日となり、大掛かりなものは無理だったので家族だけでこぢんまりとした祝言を上げ、秀二郎はやっと汎諳と結ばれた。
汎諳は、秀二郎の腕の中で、ぐったりと疲れつつも暖かい幸せに包まれた。
「なぁ、俺が差し出す対価ってなんなんだ?」
何度も汎諳を求め、満足したらしい秀二郎が聞いた。汎諳は、くたりと秀二郎に身を預けたまま答えた。
「あぁ、対価…あたしに、子を与えてもらうわ。水里の術師になる必要はないけど、術師になれるくらい術力の強い子を、ね」
「子…」
「そうよ。絶対できるなんて保証はないんだから、万が一できなかったら外で作ってでももらうわよ」
「んな、汎諳!!嫌だ、汎諳との子どもしかいらない」
「はいはい、がんばって」
「じゃあ、さっそく…」
「ちょっと?!今日はもう無理だってば」
三代続けて術師の家から術師が生まれるのは、これから約一年後のことである。