第四話 稲荷山と秀二郎
次の日の夜、汎諳が術師の袴のまま村の入り口で待っていると、秀二郎が馬に乗ってきた。
後ろでいい、と言ったが、それでは安定しにくいらしく、結局秀二郎の前に抱え込まれて馬上の人となった。
なぜか、すこし照れる。
「…あれ、なんか美味しそうな匂いが…」
後ろの秀二郎から、香ばしい匂いがしてきた。
「あぁ、これだろ」
秀二郎の背中には風呂敷包みがあった。匂いはそこから漂ってくる。
「稲荷寿司だよ。そろそろ秋祭りも近いし、稲荷山だから、ついでに供えてこようと思って」
「あ、そっか。もうそんな時期なのね」
秋祭りが始まる前に、周辺の神々にお供えを持っていくのは、水里の風習だ。
汎諳は、昨日と同じ米酒の徳利を二本持ってきている。
「供える分のほかに、みんなで食う分もあるぞ。たくさんはないけどな」
「それじゃあ、きっと弧艽兄ぃたち喜ぶね」
「だといいなぁ」
どうやら、秀二郎は弧艽に傾倒しているようだ。
確かに大人だし、物知りだし、行動力もあるし、周りから信頼されているけれども、夜中に遊ぼうと誘うような人に憧れていていいのだろうか。
水里から少し南にある稲荷山に着き、鳥居をくぐって祠に稲荷寿司を供えた。
稲荷山の神は狐だと言われているため、供えるものは油揚げを使った料理だ。
用事は終わったので、山を少し登って開けた場所へ出る。
弧艽たちがよく集まる場所だ。
久しぶりの再会だったが、弧艽たちはすぐに汎諳だと分かったらしい。
弧艽に術師になったことなどを報告して、稲荷寿司を頬張りながら弧艽の仲間たちと仲良くしゃべっている秀二郎を見た。
「ねぇ、弧艽兄ぃ。秀二郎は知らないの?」
「あ?あぁ、気づいてねぇらしいな。おもしれーから、そのまんまにしてんだけど」
にやにやと笑う弧艽は、それはそれは楽しそうだ。
「面白い…まぁ確かにそうだけど…」
汎諳は苦笑して、酒を口に含んだ。
子どものころに遊んだ話で盛り上がっていると、月が中天を過ぎていた。
「そろそろ帰るか」
そう言いながら、秀二郎が汎諳のところへやってきた。
「そうね。また来られるし、今日は帰ろうか」
当たり前のように差し出される手を取って立つ。
ふらり。
「うりょ?」
「おっと」
ひっぱられて、そのまま秀二郎の胸へ飛び込むような形になった。
「ごめん、ちょっと飲みすぎたかも…」
「おいおい」
呆れたような秀二郎の声を近くで聞いて、汎諳は楽しくなってくすくすと笑った。
そんな二人を見てにまにましている弧艽が、秀二郎にだけ聞こえるよう耳打ちした。
汎諳には全く聞こえない。
「んなっ…」
聞いた秀二郎は、なぜか顔を真っ赤にした。
「…?あ、そうだ弧艽兄ぃ。その米酒、もう一本は狸凛姉ぇに渡してもらえる?夕山はすぐ近くだし」
「え゛ぇっ…あいつ、俺のこと嫌いだからなぁ」
「そうだったっけ?でもあたしからなら、狸凛姉ぇも取りに来てくれるんじゃないの?」
「んー、まぁそうかな。なんだったら、あっちに置いてくりゃいいだろ」
以前は弧艽と狸凛と一緒に遊んだものだが、喧嘩でもしたのだろうか。
事情は分からないが、引き受けてくれるようなのでお願いする。
この会話の間、ずっと秀二郎の腕の中で支えてもらっていた。
なんとなく、居心地が良い。
それじゃあまた、と歩きだしてもふらふらとしていたため、秀二郎が腰に手を回して支えながら歩いてくれた。
思ったよりも酔いが回っているらしい。
「ありがと」
「ん」
馬の上にも引っ張り上げてもらって、汎諳は良い気分で帰路についた。
そういえば、秀二郎は覚えているのだろうか。
次の満月、秋祭りのその日が、遠い日の約束。
いよいよ秋祭りが近くなってきた。
秋祭りは、年一回の収穫祭。
無礼講として昼過ぎから始まるお祭りだ。
ごちそうを作って近くの神々にお供えし、今年の作への感謝と、来年も加護をもらえるようにと祈り、手を合わせる。
神々は、供えられたものを受け取り、このところは残念ながら効果的ではなかったようだったが、大きな災害が起こらないよう加護を与える。
昼からは子どもが中心の祭りだが、夕方からは、満月の出に合わせて村の大人が総出で飲めや歌えのお祭りとなる。
汎諳も、この日だけは術師としてではなく、一村民として祭りに参加するはずなのだが、このところ物之気や動物たちの動きが活発になっているし、気を抜けそうにない。
しかし、最近気づいたのだが、物之気はざわつき、落ち着きなく動き回る動物の気配はあるものの、悪い気は発していない。
多分両親もそれを知って、あえて退治したりせず、結界で村を守るだけに留めたのだろう。
それでも、一昨日には物之気につられて、めったに見ることのない熊が餌を求めて村のすぐ近くまで来たこともあり、やはり原因を突き止めて何とかしたいと考えていた。
何か分からないだろうか、と見回りを強化してみたが、特になにも変わらなかった。
祭りまで一月をきったある日、秀二郎が幼い子どもたちと遊んでいるところに出くわした。
秀二郎は、意外と面倒見がよく、小さい子どもたちに囲まれていることが多い。
それは、『子どもだから』と扱いを変えたりせず、同じ目線で遊んでくれるからのようだ。
言い換えれば子どもっぽいのだろうか。
今日は、蒼水川の浅いところで、魚とりをしているようだった。
子どもたちの何人かが、汎諳に気づいた。
「じゅちゅしさまだー」
「じゅちしさま!」
「ちがうよ、じゅちゅしゅさまだよ!」
「じゅちゅ…?」
術師、と言い辛いらしい。
可愛らしい、と汎諳は微笑んで集団の方へ歩いて行った。
魚とりをしているのは、比較的大きめの子どもたちだ。
声をかけてくれた小さい子たちは、川原で見守っていた。
「みんな秀二郎が好きなのね」
汎諳が、川原で子どもたちに並んで座り、にこりと笑ってそう言うと、みんなが口々に言いだした。
「だって優しいよ」
「ほかの大人みたいに、子どもだらダメって言わないんだ」
「隠してごまかしたりもしないし」
「ちゃんと怪我しないように教えてくれるの」
「それに、動物も守ってくれるんだよ」
そして、魚とりをしていた子たちも汎諳のそばに寄ってきて、三年前のことを語り始めた。
それはある秋の日、秀二郎と子どもたち、秀二郎の友人たちが集まり、村の北東にある朝日山にきのこ狩りに出かけたときのこと。
山の中腹まで登ってきのこを採集していたときに、子猫を一匹見つけたそうだ。
近くにいた母猫は病気なのか弱って死にかけていて、秀二郎が二匹を館へ連れ帰った。
秀二郎が必死に世話をしたけれども、冬を前に母猫は弱っていって死んでしまった。
子猫はすくすくと育った。
春になって、子猫は館から姿を消してしまったらしいが、山の方へ帰ったと思しき足跡があったそうだ。
子どもたちは、僕たちも子猫の世話を手伝ったんだよ、と誇らしげに言っていたが、話を聞いて汎諳は顔色を変えた。
「猫?猫って…母猫は、どんな色だったか覚えてる?」
「えっとね、真っ白だったよ」
「ふわふわで綺麗だったの」
「目の色は、お空よりも濃い青色だった」
「違うよ、川の深いとこみたいな色の目だったよ」
子どもたちが口々に答えた。
さらに、子猫も同じ色合わせだったらしい。
難しい顔をして考え込む汎諳を見て、秀二郎が心配そうに寄ってきた。
川に入っていたから、膝から下がまだずぶ濡れだ。
「汎諳、どうした?」
汎諳は、そんな秀二郎を座ったまま見上げた。
そして手を伸ばすと、秀二郎がその手を取って立たせてくれた。
汎諳は秀二郎の手を握り、改めて秀二郎の術力を探った。
「なんてこと…」
どうして気づかなかったのか、とため息をついてしまう。
肌に触れれば、かすかに残っている術の気配。
周りのざわつきや、秀二郎への感情に戸惑っていて気づかなかったなんて術師失格ではないのか。
少し気落ちしたが、とにかく術の気配は掴んだ。
汎諳は、意を決して秀二郎に聞いた。
「本当に、白い毛並みに青い目の猫の親子を助けたのね?」
「あ、あぁ」
真剣な汎諳に、秀二郎は気圧されつつ頷いた。
「…。じゃあ、ちょっとうちに来て」
手をつないだまま、秀二郎をひっぱって歩きだした。
子どもたちには、ちょっと秀二郎に聞きたいことがあるから、ごめんねと断った。
魚は一通り取ったあとだったようなので、大丈夫だろう。
濡れたままの秀二郎の手を引いて、とにかく汎諳の家へ帰り、手元の着物に着替えさせて、普段は使わない奥の間へ連れて行った。
奥の間は、術の中でも高度なものを行使するときに使う部屋だ。
難しい顔の汎諳に、秀二郎は黙ってついてきてくれた。
秀二郎を奥の間の真ん中に座らせて、汎諳は重い口を開いた。
「…このところの物之気や動物たちの動きの原因は、秀二郎みたいよ」
「え…俺?!」
突然の言葉に、秀二郎はそれ以上何も言えないようだ。
「さっきちらっと見たけど、どうも物之気に好かれるような術がかけられているみたいで…それが、秀二郎の中に取り込まれてる」
それだけならまだ単純なはずだった。
人はそれぞれ強弱はあるものの術力を持っている。
力が強く、さらに操ることのできる者が術師になるのだが、操れずとも少し力の強い常人も少なくない。
秀二郎は、その中でも術力が多い方なのだ。
「その秀二郎の術力が、術を取り込んでいて、さらに無意識に強めてしまっているみたい」
「…?!!」
秀二郎は、口を開いたまま、言葉も出ないらしい。
とにかくどうなっているのか調べなくてはいけない。
詳細に調べる、と秀二郎に告げ、汎諳は水盆や香木を準備した。
香木を手に持ち、水盆を二人の間に置いて向い合わせに座る。
本来なら呪いの種類を探る高度な術だが、呪いと術の違いはもたらす結果と術力を操る者の感情くらいで、その構築過程は同じである。
通常は呪いの方が相手の魂の深くまで到達するので、術を探るときにここまですることはない。
「じゃあ、今から調べるから。何か気持ち悪いとか感じると思うけど、あたしが良いって言うまでは動かずしゃべらず、できるだけ我慢していてくれる?」
「…分かった」
秀二郎は、覚悟を決めたように神妙な顔つきで答えた。
汎諳は、右手に持った香木を振るって空中に印を結び、術力を開放しながら秀二郎にかかっている術を探りだした。