第三話 異変を探る
両親によれば、水里近辺の気のめぐりが悪くなったのは、この二・三年のことらしい。
また、この春からはさらに大変になっている、と。
動物の様子だけではなく、植物も大きすぎたり育たなかったり、同じ里内なのに実りに斑が出ていることも分かっている。
これからの時期は、冬篭りする熊や、餌場を求めて山の裾野へと下りてくる動物たちも増えるので、さらに注意が必要だ。
「そういうわけだから、頑張ってね。次期術師さん」
母は、笑顔でそう言った。
動物たちは、人に危害を加えに来る訳ではないが、食べ物を求めてやって来るので気が立っている。
どちらにしろ危険であることに違いはない。
術師の引き継ぎまでの間に、汎諳は父から結界の場所とその種類を教わっていた。
里をくるりと取り囲むように張られている結界は、単純なものを幾種・幾重にも重ねることで、術力を最低限に抑えて、効果を最大限引き出すような配置になっていた。
汎諳はいくつもの街や村を回ってきたが、こんなに無駄のない実用重視な術は初めて目にした。
父にそう言うと、経験の差だ、と軽く返された。
引き継ぎを終えて、里長の前で交代の儀式を行い、両親は母の地元へと引っ越していった。
ほんの十日ほどだが、親子で久しぶりにゆっくり過ごせて、細かいことも話しておくことができたので安心した。
そして、ここからが汎諳の本当の一人前の術師としての仕事始めである。
術師の正装は、白い上着に色物の袴という上下に、位ごとの上がけを羽織り、いくつか装飾も必要になる。
それらは、術力には関係のない飾りであり、あくまで術師であることを明らかにするための服装と装飾。
毎日正装しているのは、都で役職に就いている術師か、術師が権力だと勘違いしている者か、よほどの生真面目である。
汎諳はどれにもあたらない。
むしろめんどうだと考えているので、いつもは染めていない着物の上に、緑色の袴を着けている。
袴には術師ごとに独特の文様が入っている。
汎諳の袴には、波紋と川が重なったような文様が染め抜かれていた。
術師・医術師・薬師と、幅広い役割を担う術師は、小さな村ほど必要とされる存在である。
そんな術師には、納税義務がない。
村でも町でも都でも例外はなく、国に認められている特殊な役職なのだ。
納税を免除される代わり、術力があると分かった者は必ず都で術師になるために集められる。
一人前になると、派遣されて村や町を守るのだ。
また、国が定める仕事以外に、個人からの依頼も受ける。
個人の依頼の場合は、お金や物など、対価をもらって術を施す。
占いなどは全額払ってもらうが、病気や怪我などの場合は、大部分を村や町が負担することになっているので、比較的低価格ですむ。
水里の場合は、村の中で金を使う機会がほとんどない。
そのため、ほとんどが何らかの対価で済ませる。
畑で採れた物の場合もあるが、掃除や洗濯、食事の用意などの労働も可能だ。
あまり家事が得意でない汎諳には、とてもありがたい対価である。
汎諳は、落ち着きのない物之気たちに対応するため、七日に一度、村の外に出て見回りを行うことにした。
動物除けの結界のほころびを直したり、物之気の様子を見たりしている。
大人たちは汎諳を知っていたが、子どもたちのほとんどは初めて会う。
汎諳の緑色の袴に、村の人たちが慣れてきたころ、少しでも打ち解けられないかと考え、子どもたちにちょっとした術を見せてあげた。
色づいた葉を使って、蝶を作って飛ばしただけだ。
汎諳には簡単な術でも、常人にとっては摩訶不思議な現象。
子どもたちから見れば不可思議で面白かったらしく、それからは会えば何か見せてくれと言われるようになった。
秀二郎は、同じ年頃の青年たちとよくつるんでいる。
ちょっとした悪さをすることもあるようだが、基本的にはまっすぐな心根の者たちだ。
畑仕事に力仕事も進んで引き受けるし、肝試しのように日夜見回りなども行っていたらしい。
ただ、汎諳にとっては仕事が増えるだけなので、夜の見回りだけはやめてもらった。
それでも、秀二郎だけはたまに夜中に馬で遠出していると聞いた。
里長夫妻が少し心配して、汎諳にちらりと漏らしたのだ。
もっとも、成人を済ませた男の行動だから、と尊重するつもりのようであるが。
遊ぶことはかまわないのだが、夜の方が物之気は活発であるし、やはり気になる。
少し様子を見てみよう、と汎諳は夜中に村の入り口付近へと歩いて行った。
ざわつきというよりは落ち着きのなさ。
今日は少し遠くに感じるが、それだけだ。
何が原因か分かれば対応のしようもあるが、現状は動物除けを維持するしかない。
すでに湯あみを済ませているので、今は部屋着の着物に上がけを羽織っているだけ。
入り口にたどり着いたものの、特にすることもないので暇だ。
岩の向かいにある梅の木の根元に座って待つことにした。
木には、丸く可愛らしい緑や茶色の物之気が必ずついている。
しばらくすると、木の物之気たちが汎諳の近くに寄ってきた。
見ていると、少しずつにじり寄ってきて、何もしないか確かめはじめた。
そして、汎諳が術師であることに気づくと、遠慮なく膝や頭の上に乗ってきた。
覚えている限り、水里周辺の木の物之気たちは、人懐こくて危機感がまったくなかった。
しかし、汎諳の様子をうかがっていたので、やはり何か感じるものがあるのだろう。
しばらく待っていると、馬の蹄の音が聞こえてきた。
月明かりに照らされ、遠くに秀二郎が見えた。
秀二郎も汎諳に気づいたらしく、こちらに向かっていた馬の足を緩め、目の前で立ち止まった。
「こんなとこで、何してるんだ?」
「月見酒よ」
汎諳は、右手に湯呑、左手にとっくりを持っていた。
秀二郎は、ひらりと馬から降りて、俺も、と隣に腰かけた。
徳利のふた代わりにしていた猪口に酒を注ぎ、秀二郎に渡す。
しばらくしゃべることもなく、ぼんやりと酒を飲んでいたのであるが。
「…重くないの?」
「へ?」
ふと見ると、秀二郎の頭や膝などに、これでもかと物之気がのしかかっていた。
木だけでなく、人の前にあまり出てこないはずの草や岩の物之気たちもいる。
どうも懐かれているように思えるのだが、秀二郎本人には見えていないので分からないらしい。
過去の彼はそんな風に物之気に好かれていただろうか、と思い、秀二郎の顔をじっと見た。
そういえば、十年も経ったのだ。
一見して気づかないほど、成長して男らしくなっていた。
顔つきはもちろん、がっしりした肩、太い腕、丈夫そうな足。
華奢ながら走り回るいたずらっ子だったのに、面影は目元くらいしかない。
「な、なんだ?」
汎諳にじっと見つめられて、秀二郎はほんのりと頬を染めた。
満月に近い月明かりは結構明るい。
汎諳は小さく微笑んだ。
「ん、秀ちゃんも男の人になっちゃったんだなぁ、と思って」
「そりゃそうだ。汎諳だって、いろ、…大人になったじゃねぇか」
ごまかすように言葉を繋ぎ、秀二郎はふいっと目を逸らした。
「てか、そろそろ“秀ちゃん”はやめてくれ。もう誰もそんな風には呼ばない」
「そう?うーん、じゃあ…秀二郎?」
「うん、それで」
分かった、と頷き、汎諳は湯呑の中身をぐいっと飲み干した。
そして、またなみなみとお代わりを注ぐ。
秀二郎はそれを見て、あきれたように口を開いた。
「飲みすぎじゃねぇか?」
「そう?まだ五杯目なんだけど…」
「え?」
右手の湯呑は、汎諳の手にはあまる大きなものだ。中の酒は、ほぼぎりぎりまで注がれている。
「ざ、ざるなのか…?いやでも、ほどほどにした方がいいだろ」
秀二郎が驚いたあと、苦笑して言った。
本当はまだ許容量の半分もいっていない、という言葉は飲み込んで、汎諳は頷いた。
「そうね、このへんにしとくかな」
こくり、と酒を飲みこんでみると、なんとなく心拍が早い気がする。
月は綺麗で物之気たちは可愛い。
珍しく酔ってしまったのか、と思いながら、秀二郎の猪口にお代わりを注いだ。
「そういえば、秀ちゃ…秀二郎は、こんな時間に何してたの?見回りじゃないんでしょ?」
「あぁ、えーとまぁ、ちょっと…」
言葉を濁す秀二郎に、理解したように汎諳が頷く。
「あ、花街か」
「はなっ…ち、ちげーよ!!と、隣村のやつらと話してたんだ!!!」
力いっぱい否定する秀二郎。
その慌てた様子が面白くて、くすくすと笑ってしまった汎諳であったが、どこかほっとする自分も感じて、少し困惑してしまった。
それをごまかすように、秀二郎から目線を外した。
「ふぅん、違うんだ」
しかし、秀二郎には疑っているように聞こえたらしい。
「いや、本当に違うからな?!」
「秀二郎だって男なんだし、そんなに否定しなくても…」
「興味はあるが誤解だ!…うぅぅ」
秀二郎は頭を抱えた。
「って、こんな話になったって言ったら、また弧艽の兄貴に笑われる…」
独り言のような小さな声だったが、汎諳の耳にはしっかりと届いた。
「えっ?!弧艽?弧艽兄ぃのこと?!」
「ん?汎諳も弧艽の兄貴知ってんのか?」
知った名前が出てお互いに驚き、顔を見合わせてしまった。
秀二郎は、去年の春ごろ、一人で馬に乗って夜の見回りに出た帰り道、ちょっとした怪我をしたらしい。
そこでたまたま弧艽に出会い、手当てをしてもらってから夜に遊ぶようになったようだ。
汎諳は、術師になる前に、何度か遊んでもらったことがあった。
「へぇ、元気なんだ。久しぶりに会いたいなぁ」
懐かしそうに言う汎諳に、秀二郎はにかっと笑いかけた。
「じゃあ、明日行くか?俺もあっちに用があるし、乗っけてってやるよ」
「本当?ありがとう、嬉しいなぁ」
汎諳も笑顔になった。
弧艽やその仲間たちの話を少しして、両方の杯が空になった。
そろそろ帰ろうか、と秀二郎が立ち上がった。
猪口を受け取り、湯呑や徳利と一緒に風呂敷に包み終わったら、秀二郎が手を差し出して、ひょい、と立ち上がらせてくれた。
力があるな、と思った。
持たれた腕が、少し熱い気がした。