第五話 鉄サビの匂いと味
「ウグッ!?」
こらえきれない脇腹の痛みで、僕は眼をさました。
まぶしい光が、網膜をやく。
数秒かけて意識のピントをあわせた僕は、両腕をチームメイトにかかえられ、選手用通路を移動している最中だということに気がつく。
僕は、一瞬で自分の身体の状態をチェックする。
プロテクトスーツは身に着けている。ヘルメットはかぶっていない。
意識は? かすかにめまいがするものの、はっきりしている。
鼻の奥に鉄サビの匂い。大量の鼻血をながしたらしい。
左の脇腹に激痛。どうやら、あばら骨二、三本にヒビがはいっているか、骨折しているようだ。
手足は……、なんとか動く。
「気がついた?」
両手を握りしめる僕の動きに、肩をかしてくれているワンダが反応する。
「……試合は?」
喉をふさぐ血の塊をのみ込みながら、僕は、なんとか声をしぼりだす。
「そんなこと、きくまでもないと思うけどね」
僕をささえているもうひとりは、ブロニスワフだった。言葉の端々に、いつものように人を揶揄するひびきがある。
「知りたいんだ。教えてくれ」
「73-12で、うちらの負けよ」
「……けっこう差がついたな」
「そうね。でも、善戦したほうじゃない? リタイヤ続出で、中盤からは、一二人対八人で戦っていたし……」
ワンダは、人ごとのように解説する。
「そうそう、もともと勝てるはずない相手だし。けが人だって、おたく以外はいない。これを善戦といわずして、なんと――」
「もういい!」
僕は、ふたりの腕をふりほどいた。
競技場とちがい、ここには、わずかながら重力がかかっている。僕の身体は、通路の床面に転がった。
「おい、クロフォード……」
「いいって、ほっときなさい。プライドの高いだれかさんは、うちらみたいな負け犬の手は借りたくないんだってさ」
ワンダが、冷たい鳶色の瞳を僕にむける。
「さあ、いきましょう」
「あ、ああ……」
ワンダとブロニスワフは、一度もふり返ることなく、去っていった。
僕は、床に座ったまま、壁にもたれかかる。
こんなところで醜態をさらしている自分が、まったく情けない
日々の鍛錬で強化された肉体は、自分自身を守る鎧になってくれている。だが、その鎧には、一カ所大きな裂け目がある。
それが、ファウンデーション・ボールだ。
文字通り地に足のついた競技なら、僕は、同年代のプレイヤーにはけっして負けない。短距離走や長距離走、球技や格闘技など、あらゆる種目で、僕は、他のものをよせつけない実力をもっている。
だが、ファウンデーション・ボールは、地に足をつけた競技ではない。
地球で生まれ、月面都市で育った僕は、無重力への適応という点では、軌道生活者に一歩も二歩も遅れをとっている。
無重力空間での位置把握や最小のエネルギーでの移動、重心位置をずらすことなく攻撃と防御を切り替えるコツなど、正直な話、僕は、まったく太刀打ちできない。
普段、意図的に僕を無視している彼らが、これを利用しないわけがない。
彼らは、僕が手も足もでないと知ったうえで、これを好機と反則すれすれの、いや、時には反則そのものの攻撃をしてくるのだ。
僕は、脇腹に手をおく。痛みがはしるが、折れてはいないようだ。これなら、医務室にいくまでもない。自分で手当できる。
「うッ!!」
身を起こそうとした僕は、脳天につきささるような激痛に、硬直する。
低重力とはいっても、ここは競技場とはちがう。プロテクトスーツの重さを計算にいれていなかった僕は、無理な体勢で立ちあがろうとしてしまい、結果、負傷した箇所に衝撃をあたえてしまったのだ。
「ぐぅ……!」
必死でうめき声をもらさないようにたえる。
その僕の目の前に、金属繊維につつまれた掌がさしだされる。
「つかまれよ、クロフォード」
その声に顔をあげると、胸に人狼の紋章をつけたプロテクトスーツが、僕の目の前に立っていた。ヘルメットは跳ね上げられ、流れるような金色の髪とすみきった青い瞳の青年が、僕を見おろしている。
「ギュンター……」
僕の二学年上で、チーム・ベイオウルフのキャプテン、ギュンター・シューリヒトが、にこやかな笑みをうかべて手をさしのべている。
ベイオウルフは、過去二年間、リーグ総合優勝を勝ち取っており、今年も優勝候補の筆頭だ。キャプテンのギュンターは、個人成績でも、防御、攻撃ともに、最優秀選手の座を三年間、保持している。
僕たちのチーム・ドルフィンとは、まさに太陽と軌道ゴミ(スペースデブリ)ほどの差がある。
だが、このギュンター・シューリヒトは、僕を無視するか敵視する学生たちの中で、こちらにかかわってこようとする数少ない人間のひとりだった。
「どうした、動けないんだろ?」
「……ちょっと休んでいるだけだ。放っておいてくれよ」
僕は、差しだされた手を無視する。
「強がるなよ、クロフォード。いや、カズマってよんでいいか?」
「いやだ」
「あいかわらずだなぁ。いいかい、クロフォード、次が僕たちのチームの出番なんだ。もうじき、ここにチームメイトたちがやってくる。みんなに、そうやってへたばっている姿を見られたいのか?」
「…………」
僕は、笑みをうかべるギュンターの顔と差しだされた手を交互に見つめる。
そして、不承不承、彼の手をにぎった。
ギュンターは、傷にひびかないように、慎重に僕を立たせた。並んで立つと、拳ひとつ分、彼のほうが背が高い。
「さっきの試合、見させてもらったよ。なかなかよかった」
「皮肉かい? 73-12だぞ」
「得点は、どうでもいい。失点の73は、ほとんどが君のチームメイトのミスによるものだ。一方、得点は、すべて君が奪いとった。実質、一二対一の勝負にもかかわらずね」
「それでも負けは負けだ。結果、僕は、気絶して退場。ゲームオーバー」
「ディフェンスラインが壊滅していれば、そうなって当然だ。まったく、最低のチームだからな、ドルフィンは。本当に、スペースデブリの吹き溜まりさ。君も、いつまでもあそこにいちゃいけない」
「どういう意味?」
ギュンターは、口許に笑みをうかべた。
「うちのチームにこいよ、クロフォード。委員会には、僕が話をつけるから」
「それ本気かい?」
「もちろん」
正直いって、いい気持ちがしなかった、といえば嘘になる。一流中の一流チームが、この僕をスカウトしたいというのだ。
けれど――。
僕は、しずかに首をふる。
「せっかくの申し出だけど、遠慮しとくよ」
壁に手をついて身体をささえながら、僕は、通路を歩きはじめる。
「おい、待てよ、クロフォード。どうして断る? 信じられないな」
「僕だって、信じられないさ……」
傷にひびかないようにゆっくりと歩きながら、僕は、ギュンターにこたえる。
「チーム・ドルフィンは、たしかにスペースデブリの吹き溜まりだ。そして、その中で一番大きいデブリは、この僕だ――」
僕は、なにを話しているのだろう? いままで、こんなふうに考えたことはなかったというのに……。
でも、僕の口からは、すらすらと言葉がつむがれていく。
「僕を重力中心として集まってきたデブリなら、その責任は、僕にある。ひとりだけ、抜けだすわけにはいかない」
「おい、おい、ゴミは、いくら集まったってゴミにしかすぎないんだぞ」
苦笑とともに発せられたギュンターの言葉が、僕の背中をうつ。
「太陽だって、宇宙の塵があつまってできたんだぜ。宇宙学の基礎を勉強しろよ、ギュンター」
それっきり、僕はふり返ることなく通路を進んでいく。
いつのまにか、傷の痛みが多少うすらいだようだ。
たぶん、気のせいだと思うが――。