第八話 あの日の記憶
配送されていた夕食セットを食べ終えると、僕は残り物とトレーを分別し、リサイクルシュートに放り込む。
完璧に再生処理されて、明日にはまただれかの家に配送されるであろうゴミは、移送管を圧縮空気で運ばれていく甲高い音を広々とした室内に残して消えうせる。
朝とおなじく、夜も、この家には僕しかいない。こういう生活は、もうあたりまえのことになっている。
それでも、ガランとしたリビングになんとなく寒々しい感覚をあじわいながら、僕は、自分の部屋へと移動する。
僕たちが生きる世界、軌道都市ニュートン04は、いくら大きいといっても有限の広さしかない。
その中でこれだけ優遇された居住施設を与えられている、ということも、僕が、陰に陽に人々に敵視される理由のひとつになっている。
僕としても、父の名を騙って当局に何度も移転願いをだしているのだが、いっこうに受理されない。
ショウマ・D・クロフォード。オムニメンバーという重要なグループに属している科学者で、僕の父親――。
けれど、あらためて考えると、僕は、いまの父のことをほとんど知らないことに気づく。
僕は、自分の部屋に入ると、ベッドに寝ころんで、ここ最近、父と、いつ、どこで、どんな会話をしたか思いだそうとした。
ひょっとして、父はフィリスのことをなにか話していなかっただろうか?
だが、しばらく考えていても、ぼんやりとした父の顔と、半年以上前に、食卓で交わしたたわいない会話――。
「えっと……、最近、学校の方はどうですかね、カズマくん?」
「うん、ああ、まあ、だいたいうまくいってる」
「そうですか……」
というようなものしか思いだせない。
父が、自分の研究のことや、オムニメンバーのことを話た記憶はないのだ。
たしかに、オムニメンバーとしての研究は、最高レベルのセキュリティが必要なものだろう。けれど、僕は、父がどんな地位にいるのかすら知らないのだ。
ボサボサ頭に今時めずらしい銀縁眼鏡をかけ、だらしなく白衣をひきずり、きちんと食事をとっているのかと心配になるほどガリガリにやせて背だけひょろりと高い、四〇歳にもなってまるで貧乏学生のような父の姿を、僕は脳裏に思いおこす。
あの父が、名高いオムニメンバーの重要な地位についているとは、とても思えない。
いや、この住宅のことを考えれば、きわめて高い地位にいるはずなのだが、うまくイメージが一致しないのだ。
いったい、父はなんの研究をしているのだろう? フィリスとは、どういう関係なのだろう?
彼女と出会ったことで、まったく意識にのぼっていなかった父のことが、すこし気になるようになってきた。
いったい、いつから、僕はこんなにも父との間に距離をおいてしまったのだろう?
僕は、ベッドの上で、腕をまくらに横向きになる。ギブスでかためた脇腹は、もうほとんど痛まない。
そして、膝をまげ、どこか子宮にうかぶ胎児にもにた姿勢で、僕は、記憶の糸をたぐっていく。
二年前、三年前、四年前……。
それは、僕と父との接点のなさを確認する作業だった。
僕たちは、まるで、ふかくコミットすることを恐れるかのように、距離を保ちつづけていた。
たぶん、意図的に――。
たぶん、お互いに――。
どうして、そんなことになったのだろう?
僕には、この広い部屋で、ほとんどひとりで暮らしてきた記憶がある。
だとしたら、ニュートン04にくる前から、父と僕とは、こういう関係だったのだろうか? でも、ここにきたときの僕は、もうちょっとで十歳の誕生日をむかえようとしているほんの子供だったはずだ。
ニュートン04に到着して、入国審査をうけ、宙港ロビーに通された時のことはよく覚えている。あの時の感動は、いまでも宇宙港にのぼってあのロビーに入る瞬間に、僕の心をはげしくゆさぶる。
窓一面にひろがる青い地球。
(あまりにうつくしすぎて、泣きたくなるようなせつなさにあふれて、ただ、しずかにかがやいて――)
(僕は……、しっかりと父の手をにぎって……)
(父の顔を見あげて、僕はほっぺたをまっ赤にしながら地球のことを……)
横たわる僕の身体の中を、表面が沸騰した氷塊のようなものがゆっくりと蠢く。
それは、僕の記憶の中に、はっきりとした父の姿が見あたらないことに気づいたからだ。
それ以外のことは、きのうのことのようにまざまざと思いだせる。
けれど、父については、霞がかかったように不鮮明な像としてしか記憶にない。
なぜ?
どうして、僕は――。
(父さんなんかキライだ! 大キライだ!)
(ボクは、大声をあげて部屋をとびだした。そのまま研究ドームのエアロックに泣きながら走った)
(手近にあったハードシェルタイプの宇宙服を着たボクは、サンドバギーを発進させて……)
(父さんは、母さんが死んでもいいの!? イヤだ! ボクはイヤだ!)
(帰るんだ! 母さんの地球に帰るんだ!)
(あの青き星へ。ボクらの故郷へ帰るんだ……。ボクは、号泣しながらサンドバギーを走らせた。そうすれば、いつかは、地球に帰れると信じているかのように……)
(こんな月面都市なんか、一秒だっていたくない! ボクは帰る。ぜったいに、地球に帰るんだ!)
(ボクは、地平線にのぼる地球にむかって、ただひたすらサンドバギーを走らせた。そうすれば、故郷に……、母の元に帰れるかのように……。でも、本当は、ボクにだってわかっていた。けっして、帰れない……。ボクは、もう、母に会うことはできないのだということに……。それでも、ボクは……)
(母さん……、母さん……、母さん……)
(サンドバギーから投げだされたボクは、クレーターの――)
(そして、ボクは――)
(あれはいったい……)
(見た……、出会った……)
(ボク……)
それは、過去の記憶であったのか、あるいは、夢であったのか――。
僕は、いつのまにか、夢幻の境をさまよっていた。
あの時、なにかがあった。
だが、それがなんなのか、なにがおこったのか、僕の意識は、混濁し、それを思いだすことができない。
ただ、母への想いでとはちきれんばかりの哀しみだけが、僕をつつんでいた。
僕は、生まれ出でるまえの胎児のように、我が身をいだきながら、眠りの世界へと落ちていく。
どこまでも。
どこまでも――。
「う……ッ……」
起床用に調光されたライトが、まぶたを通して僕の目をてらす。
僕は、うめきながらベッドから起きあがった。
昨夜は、いつのまにか、眠ってしまったらしい。
たしか、はじめてニュートン04にやってきたあの日、父さんと一緒に青くうつくしい地球を見たことを思いだしていたんだ――。
それから……、
なんだったっけ……?
「やれ、やれ……」
父さんのことを真剣に考えようとすると、いつもこうだ。ひょっとして、僕の頭は、人間関係の考察をするにはむいていないのかもしれない。あまり人づきあいが得意なほうではないのは、脳の問題なのではないだろうか? そういう学説って、なかったかな?
どうでもいいことをブツブツ考えながら、僕は、いつものようにストレッチをして身体をほぐし、室内用のマシンをつかった運動メニューを予定通りにこなしていく。
もう、脇腹もその他の怪我も痛みはない。
クラブチームの専属ドクターは、とてもいい仕事をしてくれたようだ。もっとも彼らの仕事は、すこしでもはやく故障したプレイヤーを完璧な状態に修理し、あの戦場へ送り返して、また壊しっこをさせることなのだから、感謝することもないだろう。
感謝するなら、医療用ナノマシンにしておこう。
筋肉の強化運動とスクワット、クールダウンのためのストレッチと、問題なくフルメニューをこなした僕は、シャワー室にはいる。
何気なく鏡をのぞいた僕は、そこで、絶句する。
なんだ、これは!?
僕の両方のまぶたは、ぼってりと腫れ、頬には、かわいた涙の跡がくっきりと残っていた。
これでは、まるで号泣しながら眠ってしまったみたいじゃないか。
鏡の中の顔は、まるで他人のようだ。僕は、しばらく呆けたように見つめていたが、かぶりをふると熱い湯ですべてを洗いながす。
今日もまた、きつい一日がはじまる。集中力を高めないといけない。
柔軟な鋼のような筋肉となににも脅かされない強い意志。それが、僕をタフにする。
タフでなければ、獲物にされるだけだ。
いつものように、キッチンでシリアルの朝食をすませる。時計をみると、活動時間がせまっている。
僕は、ハウスユニットをあとにすると、学校へとむかう。
今日は、午前が、通常の授業。午後は、チーム・ドルフィンの単独練習が予定されている。
授業はもちろん、ファウンデーション・ボールの練習も、単位認定されるカリキュラムの一部だ。欠席することなど許されない。
そのことが、僕の気を重くさせる。
できるなら、ファウンデーション・ボールなどとは無縁で生きたいのだけれど……。
心の中でため息をつくと、僕は、ポーカーフェイスを崩すことなく、文教地区へのゲートを通りぬけた。
さあ、きょうも戦いの一日がはじまる――。




