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第一話  青い星

 エレベータが上昇していくにつれ、ゆっくりと身体は重さを失っていく。


 その感覚が、僕はとても好きだ。


 居住エリアである周縁部リムからドックのある轂部ハブへ、

主軸部メインスポークの中を作業用のエレベータは、僕を乗せてゆっくりと移動していく。

 荷室カーゴの中の小さな世界にはなんの変化もおきてはいないのに、円環部トーラスの中心へと近づくにしたがって、僕の体重は羽の様に軽くなっていき、足は床面をはなれ、身体は宙にうき、しっかりと移動グリップを握っていなくては頭を天井に(もっともそんな区別はもう無意味なのだけれど)ぶつけてしまう。


 なにもかもが、自由な状態フリー・フォールにある。


 そう考えることは、とても素敵だった。

 もちろん、それは、あたりまえのことだ。水も、空気も、重力すらも、人によって造り出されたものだということを、僕だって知っている。

 軌道都市群オービタル・シティ・ポリスの巨大な円環体トーラスタイプの宇宙島スペースコロニー『ニュートン04』。

 これが、僕たちの住む世界であった――。



 2073年12月10日。

 この日、僕――カズマ・D・クロフォードは、15歳になった。

 ここ、ニュートン04でむかえる6回目の誕生日だ。

 だからといって、今日がなにかいつもとちがう特別な日だなんてことはない。

 IDパスを提示したときに、モニター表示される数字が、ひとつだけ増えた。それだけの意味しかない。

 と、いうわけで、多少なりとも今日という日について共通の話題をもつだたひとりの相手、つまり、僕の父が、朝、家にいないことを確認した時点で、僕は、誕生日のことをすっかり忘れていた。

 父はこのところ、正確にいうと、もう半年あまり、ほとんど家に帰らず研究エリアのほうにつめている。それ以前だって、家で食事をするのがめずらしいという人なので、ふたりでももてあますような広い部屋で、ひとりですごすことにはなれている。

 僕は、起床するといつものようにストレッチをし、室内用のマシンをつかって運動メニューをこなしていく。その後、ウエイトをつかった筋肉の強化運動とスクワット。最後に時間をかけたストレッチをして、シャワーをあびる。

 シャワー室の鏡の中に、僕の姿がうつる。ほっそりとした身体は、柔軟な鋼でできているかのようだ。

 肉体的な強さは、ある種のトラブルから僕を守ってくれる。それは、僕のような立場の人間には、絶対に必要なものだ。

 シャワーのあと、手早く身支度をすませると、キッチンでシリアルの朝食をすませる。時計をみると、活動時間ワーキング・アワーがせまっていた。

 僕は、ハウスユニットをあとにすると、学校へとむかう。

 居住エリアから文教エリアへ。

 各エリア間のゲートで、IDパスを提示する。モニターに、15歳と表示される僕の年齢。

 機械は過ちをおかさないし、覚えたことを勝手に忘れたりもしない。正しく扱うかぎり、命令された仕事をきちんとこなしていく。

 僕よりよほど優秀だ。

 父が、自分の家より研究エリアで機械を相手にしてすごすほうを選ぶ気持ちがよくわかる。

 おなじ立場なら、僕だってそう選択するだろう。

 ……たぶん。



 いくつかのエアロックをくぐり、僕は、文教エリアへと移動する。

 ニュートン04は、複数のドーナツを串刺しにしたような形の宇宙島スペースコロニーだ。

 おなじ構造のニュートン01から04までのニュートン群と、ガモフ群、ガリレオ群、チャンドラセカール群とで、科学実験を専門とした軌道都市群オービタル・シティ・ポリスを構成している。

 すべてのコロニーの総人口は、一二〇万人にのぼるそうだ。

 ニュートン04に住まう5歳から16歳までの修学義務世代数は、約1600人。居住エリアとなっている巨大なトーラスの一部が、文教エリアとして機能している。

 僕は、文教エリア内の出来のいい1600分の1のパーツとして、午前と午後の授業をきちんとうける。

 精密な機械時計の中の寡黙な歯車のように。

 トラブル皆無。

 そして、ゴキブリが進化して知能をもつぐらいの時間がたち、僕は今日の義務から解放される。

 帰路、IDパスを提示し、エアロックをぬけ、居住エリアへ。

 その日、まっすぐ自分のハウスユニットにもどらなかったのは、やはり今日が自分の誕生日だという意識が働いたからだろうか?

 ニュートン04を単純化し自転車の車輪にみたてたとき、タイヤ部分は居住区。車軸の両端は宇宙港。スポークが、両者をつないでいる。

 僕は、主軸部メインスポークの中を通る作業用のエレベータへとむかった。

 ポケットから、もうひとつのIDパスをとりだす。父の部屋から無断で借りているものだ。

 IDパスを提示すると、作業用エレベータのセキュリティロックは、あっけなく解除される。

 父がどんな研究をしているのか、僕は知らない。けれど、僕が試した範囲で、父のIDパスがはじかれた経験はない。どうやら、あの人はそこそこ重要な地位にいるらしい。

 周縁部リムから轂部ハブへ、作業用のエレベータは、僕を乗せて移動していく。

 それにつれて、僕の身体は、人工的に作られた重力のくびきから解放されていく。


 それは、すばらしい感触だ。


 重い鎧を脱ぎすてるような快感。それが、この世界ではあたり前のこと、ありふれたことであっても、僕はすなおに感動する。

 それは、僕が生まながらの宇宙そらの一族ではないせいかもしれない。

 ここで生まれ育ったクラスメイトは、だれも貴重な移行時間トワイライト・アワーを消費してまで、ここへ来ようなどとはしないのだから――。

 僕の体重が、一枚の羽毛ほどになった時、エレベータが停止し、ドアがひらく。すかさず壁面を蹴り、宙を飛ぶ。

 エレベータから飛びだした僕の眼前に、広大な空間がひろがる。

 全長3キロにもおよぶ轂部の円筒内部がすべて見渡せる。ニュートン04のベイエリアの全景だ。

 僕は、壁面の移動グリップをにつかまると、それをにぎりしめる。感圧スイッチがはいり、移動グリップは、壁面のリニアレール上を加速。僕の身体は、飛ぶようにしてベイエリア内を移動していく。

 広大な湾内には、一艘の小艇ランチもひとりの人間の姿もみえない。

 移動グリップにみちびかれて、僕はベイ・エリアを進んでいく。数ブロックを進んだところで、グリップから手を放す。身体は、慣性によって宙を飛び、交差する作業用通路キャット・ウォークの間を擦り抜け、目的のドアへとたどりつく。隔壁をかねた頑丈なドアだ。

 小さな照合音。父のIDパスを使って、僕はドアを開ける。エアロックをくぐり抜け、最後のドアを開いて、僕はその中、乗客の待合室である宙港ロビーへと宙をただよっていく。


 そして、僕は……


 ああ、なんと表現すればよいのだろう。この瞬間、僕はいつも言葉を忘れる。

 目の前いっぱいにひろがる豊饒の青き輝き。

 そのうつくしさを表現する言葉を、僕は持たない。

 6年前、父と一緒に月からこのニュートン04に来たとき、シャトルから見た宇宙都市群オービタル・シティ・ポリスの威容におどろき、人間の科学と技術のすばららしさを感じた。

 しかし、本当の感動はその後にあったのだ。

 入関審査が終わり、僕たち一行は、ガランとしてこの宙港ロビーに通された。旅の疲れと、横柄な役人の態度、そして慣れない無重量の状態に、大人たちは不平と不満をいい合っていたけれども、僕は、たったひとつのことに心を奪われていた。

 ロビーの壁面は、全面が強化ガラス張りの展望窓になっており、そこから見た光景に、驚愕していたのだ。

 それは、漆黒の闇に浮かぶ青き地球の姿だった。

 月から見るのとはまるでちがう、空をおおうような地球のうつくしさを前にして、なんでほかことに心を配る余裕がうまれるだろう?


 青き星、地球。


 母の眠る聖地――。


 僕は、息をするのも忘れて、ただじっと展望窓を見つめ続けた。

 いまにして思えば、まだほんの子供だった僕が、なぜそんなにも感動できたのか、不思議な気がする。けれども、その時の僕は本当に、ロビーの展望窓にうかぶ地球の姿に、ただ、魅せられていたのだ。

 そう、僕は、まだ子供だった。どうして大人たちが、壮大な地球の姿にことさらに背をむけて愚にもつかないことを話しているのか、その訳がまるでわからないほどの……。

 いまの僕なら、想像することができる。

 彼らは、直視することができなかったのだ。けっして戻ることのできない故郷を……。それが、うつくしければうつくしいほど、なおさらに――。


 そして、今、僕の目の前にあの時とおなじ地球の姿がある。

 照明の落とされた無人のロビーを、僕はゆっくりとただよっていく。青い地球の光に照らされ、僕は完全にリラックスし、幸せだった。

 母の眠る星は完璧にうつくしく、なにものをも寄せつけない高貴さにみちている。

 そのことは、僕のひそやかな誇りとなっている。

 もちろん、この宇宙都市オービタル・シティに住むだれにも話すことのできないことなのけれど……。

 それでも、僕は青くかがやく地球が好きだ。

 宇宙の青き奇跡を僕だけのものとし、そのうつくしさを全身で感じることが好きだ。

 そこになにがあり、なにがおころうとも、僕はあの青き星を愛している。

 不思議なやるせなさにと哀しみで、胸がいっぱいになるほどに――。


 僕は、無人のロビーに並べられた無重量用の固定椅子の上を、ゆっくりとただよう。

 青い透明な光につつまれ、地球の広大な海を住処とするもののように、海流に身をゆだねる。

 いつのまにか、僕はまどろんでいたのかもしれない。

 海中をわたる波となってとおくからきこえてくる歌に、僕の身体はうちふるえる。

 それは、いまはもう滅んでしまった海に生きた巨大な獣たちの哀しみの歌だろうか?

 レクイエムは高く、低く、大きくうねる波となって僕をつつんでいる。

 彼らの歌声など一度として聴いたことのない僕が、どうしてこんな夢をみるのだろう?

 覚醒している僕の心の一部が、そんな疑問をいだく。

 これは、心が無意識のうちに創りだしているまぼろしなんじゃないのだろうか?

 けれど、それがたとえ虚構であったとしても、彼らの歌は、僕の胸にせまる。

 いつのまにか、僕は、彼らのひとりとなって、深い海の中をゆっくりと泳ぐ。

 僕はいく。

 はるかな深みから、陽光あふれる浅瀬へと。

 そして、蒼空をこえて真空の空へと。

 いや、さらに遠くへ。


 どこまでも、望むままに――。


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