第七章
試験場の設定を変えられる部屋は見張っておくと言い残し、ミネルバはその場を離れて行った。それを見送ったレイルとクロハもまた、先へと進む為に歩き出していく。
「駄目だ、やる気が出ない……。あんなの相手にしたら、他のモンスターなんて余興にもならないよな……」
レイルのつぶやきに、クロハも黙って頷いた。あれから既に一時間近く経過し、今は最後の階層で脱出用のワープポイントを探している最中だった。出口が近いのか、大量のモンスターに遭遇したが、そのどれもが瞬く間に消滅させられていった。文字通り、出会い頭の一瞬で。
「あ、出口あったよー。出た所の部屋で少し待っててね?試験の結果のプリントが出てくるから、それ持っていかないと」
クロハの説明に頷き、ワープポイントへと入っていく。レイルの姿が消えた事を確認し、彼女もそれに続いていった。体感時間ではあるが、所要時間はほんの一時間程度。以前クロハが一人で来た時は、半分も進めていなかった時間だった。
試験結果は二人とも、文句なしの合格点。途中で起きた事件も点数に加味されていたのか、クロハからすれば見た事も無い高得点だったという。
「丁度いい時間だし、お昼にしよっか。レイル君はどうする?」
「あ、もうそんな時間なのか……。弁当なんて作ってないから、食堂かな。クロハは自宅から通ってるのか?」
「ううん、私も寮生活だよ。私達の周りで自宅通いなのはテリー君とゲイル君、あとリュージュとユウ、レミーかな。ショウ君の実家は大陸東の端っこだっていうし、シャルは両親が皇国軍の将軍だから、必然的に寮住まい。ナギはエウ・ラカイの出身だから、寮生活してる」
ショウの生まれ故郷である大陸の東側は、独特の文化を持っている。レイル達が使う剣とは別種の、カタナと呼ばれる武器を愛用している者が多く、鎧も全身金属ではなく、関節部のみは柔らかい布で覆われている。ゲイルは一度着てみたらしいが、何処となく違和感があると言って、二度と着る事は無かったようだ。最も、彼が防具を付けた事など、一度も無いのだが……。
レイルとクロハが並んで食堂へ入ると、既にリュージュとナギ、テリーの三人が食事を摂っていた。他には席が空いておらず、二人ともその近くへと滑り込むように入っていく。
「お疲れ様~。レイル君、初めての試験はどうだった?その様子だと、あんまり良くなかったのかな」
リュージュの目から見ると、レイルとクロハの二人は、軽く落ち込んでいるように見えたらしい。しかしその表情も、見せられたレポートを見て驚きへと変わる。
「な、殆どパーフェクトって?!私でもこんなの見たこと無いのに……。もしかして、何かトラブルでもあったの?」
その質問に、クロハが簡単に答えていった。試験途中にワイバーンと遭遇した事、そして恐らくではあるが、それが試験成績にも反映されたのではないか、という事を。
「試験場と訓練場って、申請すれば誰でも難易度を変更出来るんだっけ?演習目的とか、試験対策とかで。でも自由日は重ならないようになってるはずだし、他のクラスのミス、ってわけじゃないよな」
会話についていけないレイルに、テリーが解説を兼ねて付け加えた。この日は突発的な自習ではなく、予定されていた自由日である。難易度変更は担当教官からの許可が無ければ行えず、設定自体はその権限を持つ試験官、もしくは教員のみが行う形式になっていた。それが何を意味するのか、現時点では誰も理解していないが……。
この学園では、大半の講義は自由履修となっている。高等部の場合、一年では魔獣学、戦術基礎は必修科目となっているが、他は自分にとって必要と思う講義を、講義予定に合わせて履修するという形式だ。
「さて、次は薬草学だっけか。ナギ、一緒に行くか?」
レイルとナギ、リュージュの三人は、ある程度似通った受講系統となっていた。レイルの魔法知識なら、一年での講義は十分と判断したミネルバにより、その単位は既に取得済みとされていた為だった。リュージュとレイルは必要に迫られ、ナギは将来の進路を見据えた末の選択だ。
「残念、ナギは先に行っちゃったよ?先生に質問があるから、ってね」
一部を除き、各講義には専用の部屋が用意されている。講義の度に別の部屋へ移動するのは手間と言う者もいるが、そこは予め計算された物。一部の生徒が発見した―――そうなるよう仕向けられた事だったが―――隠し通路により、学園の端から端まで最短距離マップが完成していた。その為、かつては休憩時間一杯もかかっていた移動も、今ではほんの数十秒で終わっていた。『俺達の苦労はなんだったんだ……』と、それを知らずにいたかつての卒業生は嘆いていたという。
薬草学の講義は教室ではなく、温室のようなテントで行われる。学園が所有する栽培所で、大陸中の薬草類が生育する場所だ。座学ではなく、実践教育。それが基本骨子となっているこの学園では、これが当然の授業風景である。
「このように、数種類の薬草でも、その配合を変えれば様々な効果を発揮出来ます。現場では何が起きるか分からない、その教訓から得られた結果ですね」
栽培されている薬草は、一種の環境で生育する物ばかりではない。極寒の地でのみ生息する種もあれば、砂漠地帯でのみ自生する種もある。そんな雑多な菜園の中心に、人工物である黒板が置かれていた。その前で幾つかの薬品を調合する、女性教官。学園都市にも一人しかいない、エルフの教官だった。
「今皆さんの前に、同じ種類の薬草を置いてあります。自由に、思うような調合を試してみてください。ですが、注意点が一つ。完成したポーションがもし原色だった場合、それは毒薬である可能性があります。薬は毒と紙一重、その事だけは念頭に置いて作業してください」
通常、ポーション類は原色をしており、毒薬であれば何かしら混ざった色をしている。だが、今回のように特殊な調合を用いた場合においては、その基本は意味を成さない。薬師が特別な職業と言われるのは、そういった理由があるからにほかならなかった。
「先生、こんな物が出来たんですけど……」
幾つかのポーションを作った時、ナギが困惑した顔で教官を呼んでいた。色は、鮮やかな銀色。他のどの生徒も、そういった色合いの物は作れずにいた、そんな物体だった。
「ナギ・ファンシュバイクさんでしたね?あなた、これはどんな配合をしたのかしら?」
問われて、ナギはその時と全く同じ手順を再現した。しかし、完成した薬品は銀ではなく透き通る程に白い、不思議な色合いを見せていた。
「なるほど……。珍しいですね、学生がこれを作るとは。あなたと隣の男子生徒、二人共授業後、私の所へ」
隣に座っていたレイルは、瞬く間に数種類の薬を調合し終えていた。色は全て、統一された黄緑。ナギの例でも分かるように、この調合は同じ配合でも結果は変化していく。薬草を潰す回数、また生育具合でも変化してしまう為、熟練した薬師でさえ、全く同一の物を作り出す事は、困難を極めるのだった。
「珍しいですね、先生がこんな外道を作るなんて」
講義終了後、ミネルバがその温室へ出向いていた。担任の名前を確認した所、揃ってその名が聞こえてきた為だった。
「あなたのクラスは、びっくり箱か何かなの?同世代に怪物が二人もいて、教え子は天才が二人もいるなんて。そこにある薬、全部あなたの生徒が作った物なのよ?」
「これを、ナギちゃんとレイル君が?ナギちゃんなら分かるけど、流石に血は争えない、って事かしら?」
二人が製作したポーションは全て、『成長する薬』として有名な、しかし業界内では邪道とされている物だった。所有者の魔力を糧とし、その効力を変化させていく。その時に必要とする効能を、所有者本人にのみ与える、特殊な薬。他人がそれを使用したとしても、価値は単なる水と同程度の物。薬師としての尊厳を奪う物の為に、業界内では禁忌とされる、そんな存在であった。
「血、というのは?ちょっと、詳しく聞かせなさい」
しまった、という表情で、ミネルバは固まっていた。レクトリアは、薬草関連についても稀有な才能の持ち主であった。製薬技術こそそれ程高くなかったものの、その薬草知識は教官職にある人物さえ、舌を巻く程であったという。もしレイルが、その知識を手に入れ、そして技術さえも身に付けているとしたら……。
「レクトリア・ブライトネス、ね。懐かしい名前を聞いたものだわ。エルフの史上最高の魔導師にして、最低の魔法使い。まさか、コプシルの模倣品をあの材料から生み出すなんて、考えすらしなかったわ……」
ドル・コプシル、古代のエルフ語で、『英雄の晩餐』という意味を持つ、万能薬。既に製法自体は失われつつあり、族長と一部の家系で保存されているのみであった。
レイルが作成したのはその劣化版であり、万能とまではいかないものの、生命の危機となる病や傷以外であれば、ある程度回復させる事は出来る代物だった。
「彼のことなら大丈夫です、真っ直ぐな良い子に育ってますから。それに、そうなれるように導くのが、私達の役目でしょう?」
柔らかな笑みを浮かべ、ミネルバはそう告げていた。同じ『規格外』な存在だからこそ、その手を取れる。その瞳には、決意の色が浮かんでいた……。