第二十六章
「ち、流石に防御は堅いか……。ここさえ落とせば、後は殆どが中継拠点だってのに……」
知らない内に、部隊と逸れたレイルは一人、大陸北部の城に辿り着いていた。海辺を望むそれは、大陸でも数少ない物流拠点でもある。規模に対して過剰とも取れる物資集積能力は、他に類を見ない為である。気候も比較的穏やかな土地柄であり、かつての帝国が異常なまでに街道を整備したが故に。彼らが陥落させた砦や城は皇国軍の支配下に置かれ、防衛体制が整えられていた。
「それにしても、妙だよな……。いるのは強化兵だけで、指揮官っぽいのは一人もいない。今まで通った場所もそうだったし。うーん……、考えても分からん!」
現在帝国軍の兵士、将軍格は全員が最前線、若しくはその付近へと集められていた。後方は補給物資の輸送や、緊急時の補充兵のみで構成されている。それは決戦の時期が近い事を意味しているが、帝国軍領の奥深くへ潜るレイルに、それを知る術は無い。
「さすが、あの人の子供ね。それを言えば、私の息子でもあるわけだけれど」
不意に聞こえた、懐かしいはずの声。最も見目麗しいとされる種族の中でも、一際輝く美貌の女性。エルフ最高の魔術師であり、至高の薬師としても名を馳せた、種族の最高峰。幼い記憶に残るだけの姿が、今、その目の前に。
「大丈夫。周りの兵は全員、暫く攻撃はしてこないから。それどころか、私達の周辺に誰も近づけないように、守ってくれるわ。それ程時間は取れないから、早く来なさい。色々、あなたの話を聞きたいのよ」
「母…さん…」
レイルの目に、一筋の涙が浮かんでいた。今まで見せた事の無い、幼い笑顔。年相応とも言えるその顔は、懐かしい姿故か。
「そう、ミネルバは相変わらずのようね。困ったわ、こんな姿になったというのに、皆に会いたくなるなんて……。私だけでなく、息子まで困らせるなんて、一度お仕置きしないとね?」
連れられて入ったのは、手近にあった一室。外で数人の気配は感じるけれど、中に入ってくる様子は無い。覚えている母さんの姿といえば、父さんと二人、書斎で研究に没頭する後姿が多い。後は食事の時、俺が新しい魔法を覚える度―――、そういった時に見せる笑顔ばかりだった。だから、昔話で懐かしむ姿なんて無かったし、そもそも母さんの過去を知ったのは、教官と出会ってからだった。ほんの一時、いつか滅ぼす事になるとしても、、母さんとまた会えた。奴らに感謝するとすれば、この一点だけだと思う。
「俺さ、幻だけど、父さんと会ったんだ。俺の体に施した、幾つかの封印を解くって。もしね、こうやって話をする機会があったら、聞いてみたいって思ってたんだ。いい、かな?」
レクトリアの体は、精神と記憶のほぼ全てを継承していた。それ故にレイルを認識出来た上で、こうして理性を保ったままに会話を続けられていた。それに気付いたが為に、彼は自身の事を聞いている。それは失った、或いは知る筈のない記憶の扉。
「私も、それだけは絶対話しておきたい、そう思っていたの。本当ならお父さんも一緒に、と思ったけれど。まずは、あなたが生まれた時から、ね」
両目を閉じ、軽く俯く。奥深くへ閉じ込めた記憶は、彼女からすれば苦い物ばかりであり、可能ならば思い出す事さえ拒否したい程に。それでも、息子がその言葉を待っていた。