第四章
その日、レイルとテリー、ショウ、ゲイル、リュージュとユウは、他愛のない雑談をして過ごしていた。雑談とはいえ、殆どがレイルとユウの思い出話ではあったが……。
「って、もうこんな時間か。今日は自由日で授業も無いし、俺は素材集めでも行くかな。」
時計を確認したゲイルが、不意に呟いた。この学園において、装備や薬の調達は生徒自身で行う事になっている。学園の購買でも購入出来るが、それらは一週間に一度しか購入出来ない。また、一度に五個以上は販売してもらえないが為に、結局は自力で収集するほか無いのであった。
「薬なら、ナギに頼めば色々作ってもらえる。てな訳で、俺はグルネイユ平原に行ってくる。回復剤が底をついてきてるからな……」
適当に手を振りつつ、ゲイルは教室を後にした。それと入れ替わりに、慌ただしいまでの足音が聞こえ、教室の前で止まる。
「レイル・トルマン、あなたに決闘を申し込みます。嫌とは言わせませんわよ?」
足音の主は、レイミア・バレンシュタインだった。学園長室から直接やってきたのか、顔には汗がうっすらと滲んでいた。
「場所は学園の闘技場、時間は今すぐ。薄汚い魔族の血、ここで一つでも減らしてさしあげますわ」
挑発するような視線をレイルに向けたまま、彼女はそう言い放った。
「レイル君、こんなの受ける必要なんて無いよ。レイミア、いい加減に―――」
「お黙りなさい!バレンシュタインの娘ともあろうこの私が、魔族に負けるなどプライドが許さないのです。さあ、返答は?」
ユウの講義を遮り、レイミアは話し続ける。レイルは声を出さず、ただ頷くだけで返答とした。机に立てかけていた剣を持ち、先導するレイミアの後を付いていく。心配するな、ただそういった視線を教室に残して。
学園には、闘技場と呼ばれる設備がある。本来は様々な行事に使用される場所であるが、模擬訓練に限って生徒や学生も使用許可を取る事が出来る。今回、レイミアは私用目的ではあるが、家の名前でほぼ無理矢理、場所を抑えたようだ。
「勝負は一本、どちらかが降参するまでとします。場外や制限時間は無し、よろしいですわね?」
その中心、石で造られたステージにレイルとレイミアはいた。リュージュやユウ、ショウらもそこに来ており、客席の最前列に座っていた。テリーはミネルバを探し、学園を走り回っているらしい。
「それでは、いきますわよ!」
叫ぶと同時に、レイミアは剣を突き出し、構えを取った。刺突用のレイピアの基本的な構えであり、同時に最もバランスに優れた構えとも言える。対するレイルは剣さえ抜かず、自然体で立っていた。
「はあっ!」
それを見たレイミアは、彼に向けて鋭い突きを放つ。空気を切り裂くような、確実に急所を貫ける軌道。繰り返し行われる斬撃だが、それらは全て紙一重で躱される。傍から見ればレイミアが押しているようにも見えるが、実際はそうではない。何せレイルは、両目を瞑っているのだから……。
それが十分も続いた頃、僅かにではあるが、レイミアの動きが鈍りつつあった。直線のみの動きとはいえ、疲労は確実に蓄積される。そしてとうとう、最初のような剣捌きは見る影も無くなっていった。
「なんだ、もう終わりか?こっちは、準備運動も終わってないのに。でも、疲れたってんなら仕方ない。長く続けるのも面倒だから、さっさと終わらせよう」
そう言ってレイルは、腰の剣を抜く。そして構えるでもなく、そのままレイミアへ向けて薙いだ。鋼が砕ける音と共に、彼女の剣はその先端部分を失っていた……。しかしレイルはそこから何をする訳でもなく、ただ立ちすくんでいる。口元で、何かを呟きながら。
「古の契約に従い、我に従え。我は氷の王者、汝はそれを統べる者」
同時に、レイミアの四肢が氷で覆われた。後方支援の魔法の中でも基本と言われる、行動制限の魔法。通常はもう少々長めの詠唱が行われるが、熟練者は詠唱を破棄しても、強力な結界とする事も可能となる、まさに基礎の中の基礎。
「さーて、確か魔族ごとき、とか面白い事を言ってくれてたな。お礼と言っちゃなんだが、そのごときの力を見せてやるよ。来たれ、古の王者。我が血肉、我が魂を糧とし、その身をここへ示せ」
レイルの横に、巨大な黒い竜の影が現れる。いや、影ではない。光さえも飲み干す程に黒い、漆黒の竜。その黒さ故、観客席にいた誰もが影と思い込んでいたのだった。
「竜王種……?それも、古代種なんて……。中級の召喚魔法だって、必要な魔力は一人じゃ用意出来ないのに」
呆気にとられるリュージュの隣で、クロハがぼやいていた。召喚魔法の類は、術者の補助を目的とする物が多い。ただしそれらの大半は召喚術の初歩であり、熟練の召喚術士は、戦闘目的での召喚を多用する。しかし、そういった魔法は必要となる魔力量が桁外れに高く、二人ないし三人以上での行使をする、というのが恒例化していた。
「戦闘用の召喚術を一人でやらないのはね、それが戦場だからよ。膨大な魔力を必要とするとしても、自分の魔力を空にするつもりでやれば、無理矢理でも捻り出せる。その後には立っている事すら、満足に出来なくなるけれど。だから複数人で召喚をするのが、最近の常識なのよ」
クロハが振り向くと、そこにはミネルバが立っていた。声には明るさが見られるが、顔は決して笑ってはいない。まるで、その目で見ている光景が信じられない、そう言いたげな表情で。
「それにしても、有り得ない……。禁呪に指定された魔法を、何故あんな子供が?それに、さっきも思ったけれどあの魔力、まるでレクトリアの……」
ミネルバはその思考を止めるかのように、頭を振る。今は考える時ではない、行動する場面なのだ、と言い聞かせる為に。
「そこまでよ、二人とも。特にレイル君、『その力』はまだ、あなたには早すぎるわ」
いつ移動したのか、彼女は闘技場の中央に立っていた。隣にいたリュージュやクロハも、その行動を確認出来ていなかった。確かに視界に収めていたはずのミネルバが、刹那と言える間で消えていたのだ。
「契約に従い、その力を示せ。来たれ、永久の闇。全てを飲み干し、全て滅ぼせ」
それに構わず、レイルは詠唱を続ける。四大属性とは別の位置にある属性、闇。その中でも最大の威力と効果範囲を誇る魔法、《ダークネス・ヘヴン》。記録によればこの魔法を扱えたのはただ一人、かつて魔王と呼ばれた存在のみである。
「全く、異常な魔力を感じたと思えば……。あなたは昔から甘すぎますよ、ミネルバ。古代の魔法とはいえ、あなたなら力づくでも制止出来るでしょう?」
レイルの手に集約していた魔力が、一瞬で掻き消される。純粋な魔力が大気中へと霧散し、消滅したのだ。彼が発動を止めたのではない、背後に立った男によって、強制的に停止させられたのである。
「ごめんなさい、ユーリ。ただ、あの魔力を感じるとちょっと、ね……」
レイルの背後にいたのは、細見で柔和な微笑を浮かべている一人の男性。呆気にとられる彼を無視し、ミネルバとユーリが会話を続けていた。
「まあ、私も遅れてしまいましたが。禁呪を連続使用しても平気なんて、末恐ろしい子供ですね。この生徒が、あなたの言っていた……?」
その問いかけに、ミネルバは軽く頷く。それを確認し、彼はレイルの首筋に手刀を打ち込んだ。同時に、その体が地面に崩れ落ちる。
「では、詳しい話は場所を移してからにしましょう。他の生徒は全員、教室へ戻りなさい。ああ、あなたは学園長室へ。どのような理由があったとしても、種族間抗争になり得る私闘は禁止、それがこの学園での最低限のルールですから。既に話はしてありますので、真っ直ぐに向かう事。よろしいですね?」
ユーリからの命令に、レイミアは首を縦に振るしか出来なかった。腰が抜けていたのか、覚束ない足取りで闘技場を後にする。
「それじゃ、私の部屋へ行きましょう。あそこなら、盗み聞きも出来ないから。あ、その前にあれ、対処しちゃってくれる?私、召喚魔法は専門外なのよね~」
普段通りの軽い口調で、ミネルバが先導し始めた。レイルを担ぎ上げ、外へと向かっていく。その後ろでは何をしたのか、ユーリが腕を振り下ろした途端に、巨大なドラゴンの姿は、跡形も無くなっていた……。