6 ソニックブラストマン
ブリギッテの意味深過ぎるメールが僕と桜子を突き動かす。
何を考えているのか解らない父親と一緒にこんな遅い時間にマスドライバー施設へ。それも「タ・ス・ケ・テ」というメッセージを残して。友達からこんなメールが届いて不安を感じない奴がいるか。
静かの海の月面マスドライバー施設群には三機のドライバーが設置されている。そのうちの一機、主に人を乗せて運用している小型機「ムロフシ」はレールガンで宇宙船を打ち上げて、あとは宇宙船自身のエンジンによる加速で吹っ飛んでいく。僕と桜子がアクティビティとして体験射出を楽しんだ打ち上げ機だ。
あとの二機は主に月面の資源や資材を打ち上げる機であり、その加速距離、最大加速度ともに「ムロフシ」を軽く上回る大物だ。
ブリギッテが送ってきた画像に写っていたマスドライバーは「タカマガハラ」で「ムロフシ」と並んで建てられている。その射出スタート位置は月面地下にあり、観光客もギリギリ近くまで見学できる観光コースの一つに数えられている。
僕と桜子は夜も遅い時間ですっかりひと気のなくなった施設内を歩いていた。ブリギッテの画像を頼りにここまできたものの、さて、どこから探せばいいか。いまさらながら少し途方にくれる。
「ダメ。コールはなるけど、出ない」
桜子がさっきから何度もブリギッテに電話をかけているけど、やはりというか、首を横に振るばかりだ。父親が彼女のすぐ側にいて電話に出られないのか。
「実は父親とちゃんとうまくやってて、もうお家ですやすや寝ちゃってる、とかね」
「それならそれでいいよ。僕達の行動も心配し過ぎの単なる笑い話で済むし」
それなのに、この胸騒ぎはなんだ。ブリギッテのポケモンのゲーム画面には必ず意味があるはずだ。無意味なことなんかする子じゃない。ブリギッテと接していた時間はとても短いものだが、あの子の目にはそう思わせるだけの強い意志が感じられた。
ポケモンのゲーム画面? そうだ。ポケモンならなんとかなるかも。いや、ポケモンというよりもGBAだ。もしもブリギッテがスマホを取り上げられているなり、誰とも連絡できないようにされていても、僕がプレゼントしたGBAはメール機能の付いたオンライン通信端末にもなる。ポケモンでメッセージ送ってきたなら、こちらもポケモンでメッセージを送り返せばいい。
「こんな時でもゲームで遊んでいてくれよ」
GBAの電源を入れ、ポケモンルビーサファイアを立ち上げる。そしてオリジナルにはない機能、フレンドメッセージを使う。電話機能はないしブラウザ閲覧もできないが、メールできるだけでも十分な通信端末だ。
『いまタカマガハラのすぐ近くに来た。どこにいる? 電話できるか?』
桜子も足を止めて僕の手元を覗き込んで言う。
「気密が保たれているエリアならいいけど、もしも外いたらどうにもできない」
「さっきのメールからそんなに時間は経ってないんだ。外には出ていないと思うよ」
マスドライバーにチェックインするとして、この大型機なら地下に潜っているので空気のある施設内から射出されるカーゴに乗り込めるはずだ。ブリギッテの父親が何を目的としてここに来たか、が問題だが。
待つこともなく、すぐにブリギッテからの返信が来た。GBAが鳴る。ポケモンのゲーム画面に僕の他にもう一人のキャラが現れた。ブリギッテだ。
『あたしうちあげられる』
打ち上げられる。と言うことはマスドライバーの打ち上げカーゴだ。貨物と一緒に打ち上げられるのか。
「まずいよ」
桜子が走り出した。月面の低重力では地球上と同じようには走ると身体が浮き上がってしまい思うように前に進めない。低くスキップするみたいに足を振り上げないで小刻みに跳ぶようにして走るんだ。体重の軽い桜子の方が断然速く走れる。
「大型のマスドライバーは8G近くかかるんでしょ? ブリギッテの小さな身体じゃもたない」
『打ち上げカーゴか? すぐに行く』
GBAでメッセージを書き込みながら僕も桜子を追うように跳んだ。
宇宙船自身のエンジンの出力も必要とする小型マスドライバー「ムロフシ」でさえ地球上のどのジェットコースターよりも凄まじい加速を体験できるんだ。基本的に人を乗せるよう設計されていない「タカマガハラ」で軌道上に打ち上げられれば、訓練も受けていない人間では気絶するレベルの障害じゃ済まない。ましてやブリギッテは10歳の子供だ。
もうだいぶ遅い時間のせいか、僕達以外に観光客も作業員もいなくて構内がやたら無機質に感じられる。リニア列車のプラットホームを思わせる幅が広く天井の高い金属的な空間で、僕と桜子の長く伸びた影だけが動いていた。
「コータくん、いた!」
桜子が抑えた声で小さく叫んだ。打ち上げ準備中のカーゴ機に二つの人影が見える。そのうちの一つはちいさい子供のシルエットだ。ブリギッテだ。
「間に合ったか?」
向こうはまだこちらに気付いていない様子だ。先を走る桜子があと少し気付かれなければ、あれの打ち上げを阻止できるか。ハッチを閉めさせなければまだなんとかなるはずだ。
桜子がスキップのピッチを速めて、足音をまったく立てずにカーゴに接近している。ブリギッテの父親であろう男は、カーゴのハッチにしがみついて抵抗しているブリギッテを引き剥がそうと大きく身体を揺さぶっていた。
ブリギッテの背中からバックパックを強引に引きちぎり、カーゴの中に放り込む。そしてまたブリギッテの小さな身体に手を伸ばし、彼女の肩を鷲掴みにして、ブリギッテが痛みに悲鳴を上げるのも構わずに大人の腕力で子供の身体を引っ張った。
と、男が不意に顔を上げた。もう目前に迫った桜子を見つけ、何か叫ぼうとしたのか口を大きく開けて、そして桜子のすぐ後ろの僕の存在にも気付き、何か怒りにも似た歪んだ表情を浮かべて僕を睨みつけた。
世の中、うまくいかないことだらけだよな。そりゃそうだ。相対するこっちがうまくいったんだ。そっちはうまくいかないさ。それに、ブリギッテを泣かせる奴が何をやろうとうまくいくはずがないだろ。
「ええいっ!」
桜子が身体を小さく折り畳んで、男が腕を伸ばしてきたのをするりと掻い潜り、肩から体当たりを食らわせた。二人の身体は折り重なって吹っ飛んで、しかし男はブリギッテを鷲掴みにしていた手は離さずに、ブリギッテも引きずられるようにして三人でもつれ合ってカーゴ内に転がり落ちていった。
するとブリギッテと言うストッパーがなくなったせいか、カーゴのハッチがゆっくりとスライドして閉まり始めてしまった。いや、ちょっと待ってくれ。僕も中に入れてくれないとまずいだろ。
あと少しでカーゴが密閉される、と言うところでギリギリ間に合った。僕はハッチに腕を挟み込み、ハッチは異物を感知して動作を止めてまたゆっくりと開き始めた。
「何なんだよ、おまえらは!」
男の怒声が聞こえてくる。ゆっくりと開くハッチを乗り越えるようにしてカーゴの中に踊り込むと、ブリギッテの父親は桜子を殴り倒していた。ブリギッテが口を押さえて悲鳴を上げ、桜子は華奢な身体をカーゴの床に打ち付けて小さく弾んで壁まで転がっていった。
「おいっ!」
僕の叫びにブリギッテの父親は驚いたように目を見開いて僕に向き直った。慌てた様子で作業ジャケットの内ポケットに手を突っ込んで何か黒い塊を抜き出した。
それは拳銃に見えた。
それでも僕の身体は自然と動いた。自動で戦闘モードに切り替わったようにかかとを浮かせて、両方の拳を軽く握り締めて顔の前へ持って行き、腰を深く落として前に突き出した足を滑らせるようにさらに踏み込む。
こんな時に、僕は豊かの海のカジノでのソニックブラストマン戦を思い出した。
あの時は商品のニンテンドーセットが欲しくて怪我しないように力をセーブしてゲーム的にポイントを稼げる殴り方をしたが、今はそんなの気にすることはない。敵を仕留める殴り方をする時だ。
三発殴って暴漢を倒せ。いや、三発も必要ない。一発で決めろ。
「邪魔をするな!」
ブリギッテの父親が吠えた。拳銃を持った右手を僕の方へ突き出してくれる。ありがたいくらいだ。
右半身を残しておくように左足で前に踏み込んでいた分だけ間合いが詰まっている。僕はさらに身体を開くようにして左腕を大きく前に回転させてブリギッテの父親の右腕を打ち払った。
払われた右腕は宙に浮かび、身体が完全に無防備になるブリギッテの父親。そして僕は残しておいた右半身を引っ張り戻し、その勢いのまま低い姿勢で敵の懐に潜り込み、床を強く踏み込んで肩で敵の腹部を突き上げた。
ブリギッテの父親は身体全体が宙を舞い、やや仰向けになった状態で月の重力に引かれ始める。この瞬間だ。両足が完全に浮いた踏ん張りが効かない状態こそ、一撃で敵を沈める瞬間だ。
僕はブリギッテの父親を追って跳んだ。身体を捻り、腕を大きく振りかぶって力を限界まで貯める。そして落下しながらその顔面を拳で撃ち抜く。
拳がヒットした瞬間。ここからがソニックブラストマンの真髄だ。ミートした拳を離さずに身体の重みを利用して、倒れ込むように拳を押し付ける。それでもまだ拳は離さない。そのまま突き出し、押し込み、殴り抜ける。
空中に浮かんでいたブリギッテの父親を拳で捉えて、腕力に加えて全体重を乗せてそのまま床まで殴り倒してやった。後頭部から墜落したブリギッテの父親は大きく跳ね上がって向かいの壁に激突してずるりと崩れ落ちた。
K.O.だ。しばらくは起き上がれないだろう。
「サクラコ、平気か?」
僕はすぐに横たわったままの桜子を抱き起こした。桜子は鼻血を垂らし、唇の内側を切ったようで赤い血が唇を濡らしていた。それでも桜子は笑って言った。
「空中コンボなんてリアルで初めて見たわ」
僕の服の袖を引っ張って桜子の鼻と口を拭ってやる。鼻が折れてはいないようだが、桜子は痛そうに首をよじって避けた。
「月面ならではの必殺技だよ。ゲージ使ったし」
と、そこでハッチが確実に閉まってロックがかけられた音がカーゴ内に鳴り響いた。
それは、カーゴ内に僕達を閉じ込めたまま、マスドライバーの射出準備が整った音だった。




