第16話 月のウサギとアポロチョコレート ファミコンロボット
静かの海。なんて趣のある海の名前だろうか。
月の静かの海はアポロ11号の月着陸船が着陸した場所だ。地球から見て、ウサギが餅つきをしているイメージで言うとちょうど顔の辺りにある。1969年7月20日、月面史を語る上で決して忘れてはならない人類の月面初到達日であり、世にファミコンが誕生する14年前の出来事だ。
「コータくんは何でもファミコンを基準に語るよな」
「解りやすくていいでしょ」
月の静かの海の海辺は月面最大級のリゾート地となっている。リゾートって言ってもアポロ計画記念館とかマスドライバー施設とか、あとはそれらの見物客を狙ったホテル群ぐらいしかないけど。それでも月旅行では絶対訪れたいスポットとなっている。ネームバリューとすごく開けた土地ってだけで月一番の観光地に成り上がった場所だ。
僕と桜子はアポロ11号着陸地点見学ツアーに参加していた。二階部分がサロンになっている大型バスに乗り込んで、静かの海周辺ドライブ付きの人気ツアーってことだが。
「ここって、私達が昨日散々走った場所だよね?」
桜子がつまんなそうに言う。ぶかぶかのサイズが合っていない与圧服に首を沈めて眠そうにあくびを一つした。
「うん、そうだな。この何にもない景色は見覚えある」
昨日のドライブはあえて人工建築物のない月の原野を楽しめるようにと遠回りのコースを選んだんだけど、まさかこの見学ツアーのドライブコースと丸かぶりになるとは。
「着いたら起こして」
そう呟いて桜子は与圧服にずぶずぶと沈んで隠れるようにして目を閉じた。
昨日のドライブは車外に出ることも想定していたから船外宇宙服を装備していたが、この月面サロンバスは基本的に降車できない密閉型だ。なので普段着でも問題ないんだけど、月旅行の気分を演出するためにレオタード式の与圧服がレンタルされる。ツアーに参加してる他の観光客も全員一昔前のSF映画に出てくるような格好をしてバスに乗っている訳だ。
身体のサイズに合っていない与圧服にくるまれた桜子はゆっくりと傾いて僕の肩にしな垂れかかり、これで僕も眠ってしまうと言う退屈凌ぎのオプションは取れなくなってしまった。
仕方なく与圧服のポケットからゲームボーイアドバンスSPを取り出し、退屈なドライブをゲームで紛らわすことにした。
「そういえばさ、アポロ11号に搭載されていたコンピュータってファミコンよりもスペックが低かったって、オペレータの養成学校で聞いたことあるけど、実際のところどうなの? ファミコンで月面着陸出来るの?」
アポロ計画記念館はもう読んで字のごとくアポロ計画を記念して建てられたミュージアムで、アポロに関するありとあらゆる物、データが展示されている。
その中でもメインはやっぱりアポロ11号の月着陸船の実物展示だ。
静かの海に着陸した着陸船。月面から帰還するために宇宙飛行士を乗せた船を打ち上げた時、その発射台となった着陸船は回収されず月面に放置されていた。
その着陸船周辺を地面ごとまるっとドーム型の建物で覆い、完璧な保存状態にした現状展示がこのミュージアムの目玉だ。月に来たら必ず見ておかなければならない人類の偉業の証拠だ。
「よく言うよね、それ」
素晴らしきファミコンを語る時のトリビアとして必ずあげられるのがアポロ11号との対比だ。確かによく聞く。
「演算処理装置としてのスペックを単純比較すれば、ファミコンの方が処理速度で10倍、メモリ容量で100倍の高性能コンピュータだったって言うよ」
「ほー、やっぱりファミコンってすごかったんだ」
強化プラスチックの床をコツコツと歩く。月面から1メートルくらい上を歩いている形になる訳だが、足元が透明なだけにどうにも居心地が悪い。
「ところがね、実際問題としてアポロが低スペックだったって訳じゃないんだ」
桜子が僕の腕を摑む。桜子も足元が浮いているように見えるこの構造が気に入らないのか、歩き方がどうもぎこちない。手を繋ぐくらいいつでもしてやるのに、無理矢理腕にしがみつこうとしてくるから関節技のかけ合いみたくなってしまう。
「アポロに積んでいたアポロ誘導コンピュータ、通称AGCは必要最低限のスペックで、月までの距離とかそう言う細かい計算が出来れば充分だったんだ」
このアポロ11号保存展示室は天井の高いドーム型で、足元は高床式になっていて月面の様子を観察できるようになっている。僕と桜子は、月着陸当時の彼らが歩いた跡をたどっていた。
ニール・アームストロングとバズ・オルドリンの二人の足跡が僕達の足の下にしっかりと刻まれている。
「ロケット打ち上げにNASAが使っていたコンピュータは当時の最高レベルの物。遠隔操作って訳じゃないけど、メインの指示はNASAがやっていたさ。NASAとアポロとの関係は、ファミコンとファミコンロボットの関係みたいなもんだな。そこまで高スペックにしなくても充分なんだよ」
強化プラスチックで囲まれた中央部に着いた。僕達の目の前にアポロ11号月着陸船「イーグル号」がある。1969年7月20日からずっとここにあり続ける月面開拓史の始まりのモニュメントだ。
「ファミコンロボットって何?」
「実は僕も知らない。ファミコンでコントロール出来るそのロボットは何に使われていたのか。オーパーツみたいなもんさ」
僕と桜子の会話はそこで自然と終わった。
目の前に存在する人類の歴史そのものが言葉を使って語り合う必要もないほどに心の中にぐいぐいと入り込んでくる。彼らがいたから、今の僕達がいる。確かに、何かを受け取れた気がした。ファミコンロボットのようにそれが何か解らないけど、きっと宇宙船パイロットとして大事な何かだ。
ふと、桜子が足元を見てキョロキョロしだした。
「あった。人類の偉大なる小さな一歩だ」
桜子が指差す先にはこの宇宙で最も有名な足跡があった。
「……ココアパウダーをたっぷり振るったティラミスが食べたくなるな」
「ティラミスはないけど、アポロ記念館限定パッケージのアポロチョコなら売店にあったよ」
「何その限定とかってそそるキーワードは。そもそも日本のお菓子が何でこんなとこで売ってんだ?」
「アポロチョコがアポロ11号月着陸記念に作られたチョコレートだって、あれ、知らなかった?」
「知らない」
「コータくんってファミコン以外はほんっとどうでもいいんだな」
「あー、そういえば、確かに形が似てるな。名前もおんなじだ。すげえ」
「なんだそりゃ。もういい? 私達も帰ろう。アポロチョコをお土産に」
「マサムネとジャレッドにはそれで充分だな」
僕達はまたアームストロングさんとオルドリンさんの足跡をたどった。
アームストロング船長、また会いましょう。




