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「…おれが、病気だって聞いて、旦那さま…満月のお父さんが、手術を受けろって、お金を出してくれたんだ」
望の母を、言い代えれば自分の妻を病気で亡くした父親は、息子のようにかわいがっていた庭師の倅が同じように病気なのを知って放っておけなかったのだという。
「手術は成功して、おれは帰国したけど、父さんも母さんも、手術代を返すために必死に働いてた。父さんたちが住んでる都会は、おれにはまだ空気が悪くて、辛かった」
ぽつりぽつりと月代は語る。みんなが帰ったあとの庭は静かで、緑色が奇妙だ。同じように縁側で話したときのことを思い出した。
『どうしてここにきたの』
『ここ、空気いいよねえ』
「旦那さまはいいって言ってくれた。けど、そんなわけにもいかないし。おれたちのせいで、旦那さまが陰でいろいろ言われてるのも知ってるし。そしたら、せめて、娘の側にいてやってくれって」
「…私のこと、だよね?」
「ずっと寂しい思いをさせてるからって。どうやってもおれは旦那さまの代わりにはなれないけど、旦那さまがそう望むなら。女の子の一人暮らしは危ないしね」
家の呪縛から離れたくて、父親と別れるなら一人暮らしをと望んだのは望自身だったので耳が痛い。一方月代は真剣な表情を崩し、いつも通り笑った。
「…なんて、ほんとは、おれももう一度満月に会いたかったんだよ」
「……どう言う意味」
「言葉通りの意味だけど。小さい頃遊んだ幼なじみが、どう成長してるか、見たかった」
友達として、か。
(…今、何を残念がった?何を期待してた!?)
ないない、と呟く望を月代が不思議そうに見ていた。
タイトル:降参!笑
本文:新クンのこと、好みカモとか言って、不安にさせてごめんね×o×
ふたりがとっても仲良くて、ちょっと意地悪したくなったんだぁ
こっちがアテられちゃったけど(^▽^;)
二人みたいなLOVE♡LOVEカップルあこがれるなぁ〜♡
ぁと少し撮影頑張ろぉねp(*^-^*)qいい映画つくろーっ
ぁ、撮影終わっても、仲良くしてネ♡
カップルじゃないし…
(佐東さん、かわいいのにな)
月代は何かと損をしている気がする。メールを確認したことに気がついたのか、佐東がこちらに向かってVサインを送ってくる。どういう意味だろう。というより、すぐ近くにいるのだから口頭で言ってくれればいいのに。
最後の撮影は海で行われた。みんなで機材を持って電車に乗り、出かけるのはなんだかわくわくする。佐東も、なんと月代も、笑顔の裏に緊張をにじませていた。みんな、緊張感と高揚感で変なテンションになってしまっている。撮影自体は二週間と少しだったけれど、彼女たち裏方には編集作業が残っている。この夏休みは全て映画に費やすといってもいい。高校生の部活に、ここまで一所懸命になれるとは思わなかった。とても、楽しい。
砂浜に三脚を立てる。風が強くて、カメラに砂が入らないか持ち主が気にした。
撮る予定のシーンはクライマックス。その他のシーンはラストも含め全て撮影済みだ。なぜこのシーンだけ最後になってしまったかというのは、単純な理由だ。
満月の夜でなくてはいけなかったから。
月代が、海に膝まで入る。もう少し遅ければクラゲがでていただろうということで、この時期に満月になるのは都合が良かった。
月を見上げて、ついで『満月』を振り返る。
「『きれいな満月』」
『満月』は切なそうに顔を歪める。
「『「向こう」に帰っても見られるよ』」
「『…っうん…』」
無理矢理笑顔を作った。泣きそうなのに、絶妙なバランスで笑っている。その表情はとても可憐だ。
「『じゃあね』」
新月も儚げに笑った。
一旦カメラを止めて、新月は浜に上がる。カメラが再び回り、誰もいない海を写す。
「『っ新月…』」
服が濡れるのも構わず、『満月』はざばざばと海に入り、やがて肩を震わせてうつむいた。そして数秒。
部員全員が固唾を飲んで見つめる。
カントクが立ち上がり、各々がクラッカーを握りしめた。
「…カット!」
ぱぱぱぱんと、クラッカーが鳴った。
「お疲れさまでした!!」
用意のいい部員が折りたたみ式の机を広げ、菓子やジュースを並べる。
「いや、どうなることかと思ったけど、なんとかなったね!」
「編集はこれからが本番ですよーはあ」
「がんばれー、私も楽しかったよ、ありがとう」
「佐東さんはすごい演技だったよ、演劇部かなにかだったの?」
クランクアップの打ち上げが、海辺で始まる。強い風も、舞う砂も気にならない。どこからともなく花火を取り出す部員がいれば、その様子を撮影する部員も現れだし、近隣から苦情が来ないか心配なくらいはしゃいでいた。撮影が終わったという開放感より、単に海で遊びたいだけだろうと望は思う。
彼女はといえば、昨日はあまり寝ていない。一旦座り込んでしまえば、とにかく眠くて…
…
「あれ、満月、寝たの?」
月代が声をかけても、望は机に突っ伏したまま動かない。リツカが気づいて軽く月代の肩を叩いた。
「あー寝かしてやって。この子、編集も手伝ってんだ」
佐東が紙コップ片手に月代に詰め寄った。
「ねね、二人の満月新月ってさ、やっぱり新くんの名前からなの?」
新月代。区切りを変えれば容易に『新月』になる。
「違うよ、満月ありきなんだ」
小さい頃、望は自分の名前が嫌いだと言った。
『のぞむ』だなんて、男の子みたい。
子どもは何の気なしに名前をからかうし、言われた方はそれを気にしてしまう。クラスの子に何か言われたんだろう。
わたし、いやだ。どうして、のぞみにしてくれなかったの?
そう言って泣く望を、月代はどうにかして慰めたかった。
見てよ、望ちゃん!
『望』って、これ、満月のことを言うんだって!
百科事典の天体特集ページをさして、月代は弾んだ声で言った。そのときの彼には、ものすごい発見に思えたのだ。
望ちゃんのこと、満月って呼んでもいい?
うん。
きっと、望はその名前が気に入ったわけではなかった。月代があまりに嬉しそうに言うから、つい頷いてしまったんだろう。
「でもそう呼んでるうちに当たり前になって、そのうち『新月』も月のことを言うってわかって、満月新月って呼び合うようになった」
へーだとかなんだとか、相づちを打つ声を聞きながら、望は顔をあげられなかった。
新月、覚えてたんだ。
ゆらゆら揺れている感じがする。眠りと覚醒のあいだを漂っている。意識は新月が自分たちのあだ名の由来を話したところの直後にあって、その延長で望は口を開いた。
「…新月」
「なに?」声はすぐ近くから聞こえた。
「…ごめんね」
「え、何、何かした?」
すぐ横にある顔が動いて、望の表情を見ようとする。
「私、ひどいこと言ったでしょ」
「いつ?」
「……どっか行っちゃえって」
ああ、と吐息が聞こえた。思い出した?思い出して、あきれた?怒った?
「…あんた、本当にどこかに行っちゃって」
「うん、ごめん」
「嘘だよ。どっか行っちゃえなんて、思ってなかったし、今も思ってないよ」
「……うん」
近すぎて顔がよく見えないけれど、微笑んだ気配がした。
近すぎる?
「えっ、えっえっ、何これ。…何これ!」
ゆらゆら揺れているのは、月代に負ぶされているからだった。
「起こさないでって言われた。本当に全然起きないんだから」
「だからってあんた、この体格差で…」
女にしては身長がばか高い望に対し月代は背が低く、下手をすれば月代の方が小さい。
「それだよ!」
指摘すると月代は突然大きな声を上げた。
「おれ、再会したら絶対に満月を余裕で追い越してると思ったんだ。なのにこんなに背が高くなってるし、」
一瞬、言いよどんだ。
「…こんなにきれいになってるし…」
「は、はあ?」きれいだなんて、生まれてこのかたほとんど言われたことがない。
「惚れ直した。いや、改めて惚れた。…いや…」
立ち止まった。
「初めて惚れた」
顔が熱くなるのを感じる。そんなに何回も言われたら、聞き間違いにもできない。
「…あ、あんた目おかしいよ」
月代の背から降りた。どうせなら、面と向かって言ってほしいものだ。
でもいい。
「帰ろう?」
手を差し出した。自然に笑みがこぼれる。
一瞬呆けた月代も、すぐに嬉しそうに微笑み返して手を取った。
二人は砂を踏みしめて歩く。波が打ち寄せる。空から照らすのは、丸い月。