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満月と新月  作者: ミノマ
7/9

 「カット」

 カントクの冷静な声が録画のストップを指示した。

 「もー、新くん、棒読み過ぎ」

 「いくら素人でも、ちょっとひでえよこれは」

 そろって責め立てられて、むうと月代は口を曲げる。

 「『満月』が満月なら、もっとうまくやれる」

 「なんだそれ。佐東さんが悪いってのか」

 「園原と一緒だったら、お前はにやにやして演技どころじゃないさ」

 「あーそうかも」

 「明日、もう一回撮るからな」

 軽くあしらわれて、月代はますます渋面を深くした。


 暑いはずの夜なのに、気が早い虫の音のせいで涼しく感じられる。勉強がはかどるので望にとっては好都合だ。

 名家と言えば聞こえはいいが単に昔から土地に居座っているというだけ。ばかに広い敷地が、町の喧噪を遠ざけてくれている。そんな静かな夜に、

 「満月ー」

 いつも通り弾んだ声が響く。望は静かに窓を開けて月代を見下ろした。

 「…なに」

 「ちょっとさあ、付き合ってよ」月代はにんまりと口角をあげた。


 

 「『考えてみれば、私、あなたのこと何にも知らないんだ』」

 うつむいて台本を読む望を、月代はにやにやと眺めた。

 「『私は、あなたに全てを見せているっていうのに』」

 彼女は台本を読んでいるだけで、感情も何もそこにこもっていない。もちろん、望むべくもない。しかしその声の涼やかさと言ったら!

 そもそも、望が月代の部屋にいるというだけでも信じられない出来事だ。彼女にとっても、月代の演技が少しでもうまくなること、ひいては映画の成功を願っているのだろう。彼女は今、月代の部屋の椅子に座って、彼の練習に付き合っている。

 気がつくと、望が彼を睨むように見ていた。

 「あ、ごめん、何?」

 「…あんたの練習でしょ。続きは」

 「あ、そうだった」

 カントクの予言が思い起こされる。『園原と一緒だったらお前はにやにやして演技どころじゃない』。

 予言通りなのは悔しいので、台本の続きを思い出して、台詞を言う。片膝を抱えて、笑ってみせた。

 「『僕は最初から見せている。君に見せられる真実なんて、たったひとつしかないのさ』」

 「『そうやって、謎めいた言葉ではぐらかすのね』」


 カントク他、映画研究部の面々によって作成された台本は、改めて読むと現実の彼らとはすでにかけ離れている。良く作るものだ、と望は思う。

 ベッドに腰掛ける月代がふと、窓の方を見た。台本のト書きに書かれているもので、彼女にも演技の延長であることはわかった。

 「『どうしたの?』」

 『満月』の声が聞こえないかのように、『新月』はベッドに手をついて、窓辺に近寄る。体重の移動によるベッドのぎし、という音と、開け放した窓からの風に揺れるカーテン。遅い日没も過ぎて、窓の外は真っ暗。カーテンの隙間から少しだけ覗いて、よりいっそう黒く見えた。

 「『ああ、そろそろ…』」

 彼は顔をそらす。彼女の目には、後頭部と、耳からそれにつながったわずかな頬だけが、見える。浴衣の裾が、カーテンと同じように揺れる。色素の薄い髪が、よりいっそう透明になる、そんな錯覚を抱く。

 頬が動いて、彼が口を開いたのが分かる。声は、少し遅れて聞こえた。


 「…いかなくちゃ」


 「!!」


 き え て し ま う !


 『最後は過去に帰ってしまう』

 『全ての物事は、変わっていくから』

 このままでは、彼は消えてしまう、

 過去に、帰ってしまう。

 引き止めなくては、

 望は立ち上がり、ただ手を伸ばした。


 月代は台詞の続きをしばらく待ったが、いつまでたっても彼女は言わない。台本を手に持っているので、忘れたなんてことはないだろう、ただ読めばいいだけなのに。

 「満月?」

 振り向いて、その振り向く動作で動いた腕に何かひっかかるものを感じた。

 正確に言えば、袖。何かに、引っ張られるような…。

 自然、下に下がった視線が、答えを捉えた。

 「満月?」

 彼はもう一度言った。

 望が、彼の裾の端をつかんでいた。今にも泣き出しそうな顔で。

 月代の声に我に返ったらしく、慌てて手を離して、彼女はまくしたてる。

 「ち、違う、違う、これは、その」

 頬が赤いのは、どうして?

 泣きそうな顔をしていたのは?

 聞きたいことはたくさんあったけれど、その前に体が動いていた。

 「し、しんっ」

 新月って呼んでくれようとしたのかな。彼が言わせようとしない限り、最近の彼女はちっとも彼を幼い頃のあだ名でよんではくれないから、嬉しい。

 『がばっ』と擬音でもつきそうな勢いで、月代は望を抱きしめた。彼女の感触も何もわからなくて、ただ衝動に任せて抱きすくめる。強く、腕に力を込める。一瞬あとに、匂いがした。わからないけれど、なにかいい匂い。

 「満月」

 もう一度力を込めると、ぱくぱくと口を動かす気配がした。彼女はそうとう混乱しているようだ。

 しばらくすると望の体から力が抜けて、ああ今まで彼女は身を強張らせていたんだと彼は気がつく。

 「…こんなの」

 望の声は掠れていた。

 「他の人が見たら、女が男に抱きついてるみたいにしか見えないよ」

 「…満月」

 月代の胸に彼女の手が触れて、どきっとする。

 けれど彼女はそのまま彼の身体を遠ざけた。あんなに強く抱きしめていたと思ったのに、二人の間隙はあっという間に広がった。

 「ばっかみたい」

 「満月?」

 月代はただただ彼女の名前を繰り返すしかできない。

 望は、うつむいていて、表情が読めない。覗き込むことも拒否されているようで、中途半端に伸ばした手はそのまま、空中を探った。 


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