3.
「すごいなあ、これ」
「創太のクラスの、真上だったんでしょ?怖いね」
兄と姉がそれぞれニュースを見て感想をもらす。
落ちてきたのは、本当に飛行機部品だった。誰のものなのか、どういう責任になるのか、小学生の創太にはわからないし、興味もない。
学校は三日間、休みになった。重大な事故だったけれど、けが人もいない、巻き込まれた人も「いない」。実感のわかない小学生たちは、突然の休みを喜び、遊び呆けることだろう。
「お前の巻き込まれ癖も困ったもんだなあ」
茶化す口調で言うから、不謹慎だと姉が兄を蹴飛ばした。創太は笑って、食器を片付けに席を立つ。
(本当に巻き込まれたのは、これが初めてかも知れないな)
と、創太は思った。
いつもは巻き込まれたふりをして自分から事件を起こしているから、さながら「オオカミと少年」の少年の気分だ。ただし創太は今回も助けられているけれど。
しかし食器を流しに置いたとき、彼は思い出した。
「違った」
何とはなしに呟いた言葉を、兄は聞きつけて創太を見た。けれど彼は気づかないまま、続きを口に出す。
巻き込まれたのはこれが初めてではない。
「あの事故があった」
「創太!!」
突然の大声に、創太はびくりと身をすくませた。
振り向くと、兄が自分でも驚いたような表情で創太を見ていた。
「あ、悪り……、あの、食器、大丈夫か?割るなよ」
「大丈夫だよ」
創太は笑ってみせた。
「おれは…僕は、大丈夫だよ、菊兄」
ほ、と息をついた姉は兄をにらんで非難した。
「急に大声出さないでよ、ばか菊兄」
「悪いって、言っただろ!!」
うっかりと口を滑らせて、心配させてしまったみたいだ。
その瞬間を見たのは僕らだけ。
トラックが、上から降ってくる。車のフロントガラスから、それが見えた。
生き残ったのは僕だけ。でももう僕はほとんど覚えていない。
聞かされた文章は以下の通り。
山道だった。とぐろを巻くように山をぐるりとめぐる道路を走っていたトラックが、どういう原因か道を踏み外して、ガードレールを突き破った。その真下には、運悪く家族連れの乗った乗用車が走っていて、哀れ下敷き。
トラックの運転者も、乗用車の前に乗っていた夫婦もほぼ即死。小学校三年生になる息子だけが生き残った。奇跡的に、あとに残る怪我もせずに。
その奇跡に理由があることを知っているのも、僕だけだ。
電話のベルが鳴った。今は両親もいなくて、家にいるのは創太たち子どもだけ。一番電話に近かったので、創太が兄姉を制して電話に出た。
「もしもし」
『あの、松本さんのお宅でしょうか。私、創太君のクラスメイトの深垣です』
「ありさ?」
驚いて、素っ頓狂な声が出た。弟の口から女子の名前が出たことで、兄は反応したけれど、創太は無視して、通話を保留にして部屋の子機へと向かった。
創太の部屋の戸に張り付いて、なんとか会話を盗み聞こうとしている。そんな兄に姉がもう一度蹴りを入れた。
「いてっ」
「恥ずかしいと思わないの、ばか菊兄」
「そうばかばか言うな」
女の子からの電話だぞ、僕だってまだ彼女と付き合えてないのに、と騒ぐ兄の腕を引っ張って立たせ、姉は真面目な顔で言う。
「菊兄だって知ってるでしょ」
「何を」
「創太が『おれ』っていうときは、嘘をつくときだ」
創太自身わかっている。だから、さっき、『おれ』を『僕』と言い換えた。
「『大丈夫』じゃ、ないよね」
そう言って、姉は自室へ引っ込んだ。兄はぼりぼりと頭をかいて、むすりと呟いた。
「そんなこと、わかってる」
「ごめん、お待たせ」
『うん、こっちこそ、急にごめんね。ソータのお家の電話番号は、連絡網で探したんだけど』
彼女はまず情報源を明かしてくれる。
『松本っていうの、本当は?』
「うん、僕を引き取ってくれたところ」
松本姓がきらいなわけじゃない。まだ、鹿沼でいたかっただけだ。まだ、忘れたくないだけ。叔父夫婦にあたる今の両親も、いとこの兄姉も、分かってくれているから、甘えている。
『そう』
子機を持ち直して、椅子に座って創太は聞いた。
「それで、どうして電話?」
『うん、明日からもう学校でしょ?お出かけしない?』
「いいけど…どこへ?」
『いいから、学校前の公園に、一時ね』
時間ぴったりに、創太は指定の公園に行った。ありさはもう待っていて、遅いと口を尖らせた。
「五分前行動、知らないの?」
「常に五分前につくようにしてたら、待ち合わせの時間の意味がないと思わない?」
へりくつをこねる彼にありさはあきれた顔をした。
「それはそうと、どこへ行くのさ。動きやすい格好って、なんで?」
動きやすい格好と、懐中電灯を持ってくることとを、ありさに言いつけられていた。彼女自身いつもよりスポーティな格好で、いつものませた格好よりも似合っている、と創太は思うけれど、本人に言いはしない。
「探検しに行くの」
「どこに?」
「20分くらい歩けば、つくよ」
相変わらず彼女は行き先を明言しなかった。
林の中を、歩いていた。20分歩けば着くとありさは言ったけれど、かれこれ30分は歩いている。文句を言うと彼女が不機嫌になるかも知れないから、創太は何も言わずついていった。
そうこうしているうちにだんだん傾斜がついてきて、ウォーキングからトレッキングへと変わりつつあった頃、
「見えた」
ありさが前方を指差した。
遠く木々が途切れて、開けたところに茶色い建物が見えた。木造のようだった。
「何?」
「今は廃屋だよ」
昔は精神病院だったらしいと彼女は言う。
「だから、ほら」
彼女が振り向いた先には、数人の男女がいた。高校生か大学生か、まだ幼い創太の目には区別ができなかった。距離が遠いせいか、彼らはこちらに気づかず、わいわいとはしゃいでいる様子だ。
「今じゃ立派な心霊スポット」
「お化け、見に来たの?」
「別に?」
どこかに行けるなら、どこでもいいんだよ。
確かにいろんな人間が出入りしているのだろう、建物が立っている周りは草がぼうぼうに生えていたけれど、入り口に向けて人に踏み倒されたあとが道になっていた。
木造三階の建物だった。壁板は白く日に焼けてはいたけれど、建物自体はまだしっかりしている。ここまで来る道が舗装されていなかったことを考えると、どれだけ古い建物なのだろう。
「入ろ」
開いたままの扉の中は暗がりだ。ありさは準備よく懐中電灯を取り出して、中へ入っていった。
「暗いね」
「電気なんて、通ってないもんね」
外から見ると気がつかなかったが、窓はすべて内側から木の板で塞がれていた。懐中電灯の灯りだけが、彼らの視界を明るくしている。これじゃあ時間もわからない。何となく、創太は腕時計を確認した。
「行こうか」
いまだ彼女の目的は、わからないままだ。
近頃学校で噂の心霊スポットに、サークルの仲間と行くことになった。メンバーは全員怖いもの好きで、意気揚々と、廃病院だという建物に向かって行った。車で近くに来たが、道が狭くて通れず、仕方なしに歩いた。予期せぬ運動より、好奇心が勝って、不満を言うものは誰もいなかった。
建物内は、暗い。
「やだー怖い、暗い」
「そりゃ肝試しに来てんだもの、これくらい暗くないと」
「おーい、誰か灯り持ってきてんの?」
口々にしゃべる面子の中、一人が手を挙げた。といっても、暗がりの中、それは誰にも感知されなかったけれど。
「おれ、ライター持ってる」
さすが、とか、頼れる、とか、適当な褒め言葉に喫煙者である青年は苦笑しつつ、ライターを取り出し、火をつけた。
暗がりに慣れかけた目にはそのわずかな光がとても明るく見え、誰ともなしに歓声があがる。
「でもこれじゃあさ、埒あかねえよ。何か、灯りないと」
「いいじゃん、消えたら消えたでさ、ハプニング」
男性陣の話を聞いて女性たちはいっせいにブーイングを飛ばす。とりあえずいったん外へ出るか、という話になったとき。
がたり、と音がした。
次いで足元を何かが通る感じがあって、一番近かった女性がひきつった息のような声を出して手近な人間に駆け寄った。
「な、な、何」
その人物の腕につかまったまま、女性が見やると、それは毛を生やした小動物だった。
「やーだ、ねずみだよ、さっちゃん」
「いやー、不気味だよう」
ほっとした空気が流れかけたが、
「え?」
という声に全員が振り返る。
女性が寄りかかっていた青年は、その衝撃でバランスを崩して、後ろに数歩下がっていた。右手に、火をつけたライターを持ったまま。
そして火は、カーテンか何か、古びた布に燃え移っていた。
あたりは一瞬にして恐慌状態に陥る。全員が一斉に出口と思われる方向に駆け出し、何度か衝突や転倒が起こったあとには、何も残らない。
燃え続ける火以外には。