2.
死神と出会ってから、創太は毎日死ぬ方法を探した。今日びインターネットでいくらでも、そんな方法が載っている。子どもの彼には難しい条件が多かったけれど。
飛び降り、首つり、斬りつけ、どんなに誰もいないところで死のうとしても、死神はやってきて創太を止めた。いつの場合も、死神は彼が準備を終えるまで待っている。彼が屋上に上るまで、吊り下げた輪っかに首を通すまで、刃物を肌にあてる瞬間まで。それがいっそう腹立たしい。腹立たしくて、怖い。死神は、まさしく神出鬼没だった。恐怖は募り、彼はよりいっそう死への強迫観念に襲われた。
死神によって与えられる死への恐怖故に、
本来の死の恐ろしさなんて、微塵も想像しないまま。
ありさとの会話は、昇降口でいつも始まる。創太が学校に復帰してから一ヶ月以上経って、彼女はほぼ毎日、何かしら話しかけてきたが、彼女は教室では彼とほとんど目も合わさなかった。創太だって、ありさが話しかけてこなければそれにこしたことはない。彼女の前では、創太はどこか冷静でいられない。その笑顔を、直視できない。他のクラスメイトの前で、そんな自分を出したくなかった。
「深垣さん、どうしたの?」
大人びた服装をしていても背負っているのがランドセルで、なんとなく違和感を覚えた。少女は不満げに頬を膨らませる。
「ありさ」
ん、と創太はありさを見る。
「…って呼んでって、言ったよ」
「じゃあ僕のことも、ソータでいいよ」
「ソータ」
「何?ありさ」呼んでやると、ありさは頬を緩ませた。
その笑顔を、やめてほしい。
どうせ、上っ面なんだろ?
「私、ソータのこと好きみたい」
創太もせいぜい人当たりのいい笑みを浮かべて、答えてやった。
「僕もだ」
昼休憩が終われば掃除があるため、机はみんな教室の後ろに下げられて、椅子が机の上に載せられている。男子は率先して外へ遊びに行くが、女子児童は一緒に外へ行ったり、教室に残って室内で遊んだりする。
数人の女子が、椅子を机から下ろして座り、まだ幼いながら女性らしい話題を始めていた。
「ソータくんとありさって、つきあってるの?」
顔を突き合わせて女子たちはませた会話をする。
「うーん、つきあってるというか、共依存関係というか?」
突然の難しい言葉に、クラスメイトはぽかんとした。
「ありさ、先生が呼んでたよ」
「はーいっ」
ツインテールを揺らして走り去るありさを見送って、残されたクラスメイトは会話を続ける。
「ありさって、知ったかなとこあるよね」
「その言い方はひどいよ。難しいこと知ってるよ」
「ソータくんも頭いいし、ビナンビジョでいいんじゃない?」
「あれ、かなちゃん、ソータくんのこと、好きじゃなかったっけ?」
「うーん?」
「よくわかんなくなっちゃった」
男子が教室に戻ってきたので彼女らの会話はお開きになったが、創太にはその一部が聞こえてしまっていた。
くだらない、と創太は思う。馬鹿ばっかり。刹那の感覚でしかものをしゃべらないんだ、あいつら。
でも、
屋上に、彼らはいた。鍵はずっと前から壊れているのに、学校は知らないんだ。
「ソータって、なんで、『僕』って言ったり、『おれ』って言ったりするの?」
「別に…」
ありさは柵を掴んで、景色を眺めながら言う。創太はその柵に背中を預けて、コンクリートの上に座っていた。
「『おれ』って、かっこいいじゃん」
あんまり答えになってないな、と彼自身思いながら答えた。ありさは嬉しそうに、意外な解釈をする。
「じゃ、私が『好き』って言ったとき、『僕も』って言ったから、あのときは少なくともかっこつけてなかったことだよね」
「…わかんないよ」
『ソータのことが好き』と言ったのに対して『僕も』と言ったから、『鹿沼創太が好き』に同意したんであって、本当は、僕はナルシストなのかも。
「ひねくれてるなあ」
ありさは笑みを崩さなかった。
「あ、あの街」
ふいに遠くを指差して、ありさが言う。その声は弾んでいる。
創太が目をやると、さほど遠くないところに山があった。山に囲まれて、住宅街があるのが見える。住宅街の名前を彼は知らなかったけれど、こうして景色として見たことは、もちろん、よくあった。
「昔ね、私が、もっと小さかった頃、あの街は本当に隔絶されていて、翼がある選ばれた人しか、行けないんだって、信じていた」
一瞬前と打って変わって、静かな声で言うから、創太は彼女を見上げる。
「…私は、選ばれなかったんだなあ、って、思っていた」
でも、本当のことは、怖い。
心をすべてさらけ出すのは怖いから、
気がつかないふりをする。
彼女から、嘘を引き出そうとする。
「…ありさって、隣町から、来たんだよね?」
その意図を察したのか、ありさも上辺だけの笑顔で、言った。
「ちがうよ?私は、隣の県から来たんだよ?」
隣の県にいたなら、「あの街」なんて見えるはずがないのに。彼女の鞄から出ているリコーダーには、隣町の小学校の名前が書いてあるのに。
「空を飛べるはずなんてないんだよ。イカロスの伝説を知っている?」
「…知らなあい。何かのまんが?」
がしゃんと、音がした。振り返ると、事務員が立っている。
「せんせい、こんにちは」
「こんにちはじゃない!!」
事務員は彼らを見て怒鳴った。ありさは驚いて身を竦ませる。
「ここは立ち入り禁止だ!どうやって入ったのか知らないが、出て行きなさい」
まくしたてられて、慌てて立ち上がったありさと対照的に、創太は静かに事務員に問うた。
「じゃあ、先生は、どうしてここに来たんですか?」
どうしてって、創太とありさがここにいることを突き止めて、怒りにきたんじゃないのか、とありさはいぶかしげな顔をする。事務員も、
「決まっている」
と相変わらず怒った声で言う。けれど続きは彼女の想像しないものだった。
「君たちの命を助けにきたんだ」
そう言って、事務員はありさと創太を乱暴に突き飛ばした。右手と左手で、逆方向に。
そして轟音。
創太は知らず叫んでいた。その声は、凄まじい音にかき消されて、自分の耳にすら届かなかったけれど。
声を出し終わっても、開いたままだった口に、砂埃が舞い込む。途端それに水分をとられて、のどの渇きを覚えた。そのあたりで、ようやく音が収まり始めた。
がしゃん、とも、がごん、とも、どかん、とも違う。正確に表記するのは難しい。とにかくとても大きい音だった。その一瞬前に、目の前に降ってきた何かが原因ということは、わかっている。彼はおそるおそる立ち上がって、そこを見下ろした。
(なんだろう、何かの、部品…?)
「ソータ」
か細い声がして、創太ははっとなって彼女がいる方を見た。
ありさは、尻餅をついたまま動かなかった。
駆け寄ると、小さな切り傷を作っていたけれど、大きな怪我はないようだ。けれどショックで力が抜けているようで、創太が手を貸してようやく立ち上がった。
「逃げよう。こんなとこにいたら人が来て、いろいろ聞かれるから」
「でも、先生が」
彼らを突き飛ばした事務員は、そのまま落ちてきたものの下敷きになってしまったはずだった。けれど創太はそいつの正体を知っている。死んでしまったのならそのほうが嬉しいくらいだ。
「あれなら大丈夫だよ。いいから早く」
しかしありさは心配そうに「それ」が落ちた穴を見て動かない。
「ありさ!!」
創太は既視感をおぼえた。この名前を、ついさっき、僕は呼んでいた。
僕は叫んでいた。彼女の名前を、叫んだのか?
僕は彼女を、心配したのか?
小さく頭を振って、ありさの肩をつかんだ。目を覗き込んで、言う。
「大丈夫だよ。あの人もきっと生きてる。僕を信用して、ありさ」
ぽかんとしばらく創太の顔を見つめ返していたが、ありさはふと笑って、答えた。
「わかった。信用する」
手をつないで、階段を降りる。
「鞄置いてきちゃった。どっちにしろ、ばれちゃうね」
と、ありさは言ったけれど、たぶん死神が、片付けてくれている。
「…あれ、多分、飛行機の部品だよ」
ぽつりと、彼女が言う。うっかり、彼は聞き逃すことができなかった。
「選ばれなかったんだ。翼が、溶け落ちちゃった…」
あの英雄みたいに。
創太は知らず唇を噛み締めていた。
事故についての描写がありましたが、すべて作者の想像で書いています。ご了承ください。