第8話 騒動の芽は事前に摘むべし
「……このように、ミズルの葉を擂り潰したものに魔獣クイントグオルの体液を混ぜると固体化する。これを……」
壇上ではそんな風に講義をしながら板の上に様々な薬学の知識を書き連ねている教師がいる。エルフ特有の緑色の髪色と抜けるような白い肌を持つ彼は王立魔法学院の薬学部教授エルット氏だ。見た目よりも結構な年らしく、この学院では結構な年かさだと聞いている。
周りを見ると、多くの子供たちが熱心に講義に耳を傾けていた。皆真剣で、適当に授業を受けようとか流そうとかそういう意思がある者は一人もいない……ように、見える。ただよく見れば船を漕いでいる者もいるし、板書しているように見せかけて絵を描いたりしている者もいるのだから、学校の生徒というものはどの世界でも然程変わるところはないのだろう。
そんな中、私、フローリア・ベルンシュタインは何をしているのかと言えば言わずもがな。
彼らに交じって薬学の授業を受けているのである。
身分証はどうしたんだ、との声が聞こえてきそうだが、それはゴブリンに金を積んで何とかしたのだと答える他ない。あんまり偽造とかはしたくないと思って気が引けていたのだが、背に腹は代えられない。私にはどうしても薬師免状が必要なのである。
最近どうもこの国の政策が大きく変動しているらしく、国王が各地の村に薬師を派遣しようとしているのだ。そしてそれは薬師などというものに縁のない辺境の村から行われるという念の入れようである。福祉とか公衆衛生とかそう言った見地から見れば非常に優秀な国王陛下なのだが、私からすれば余計なことをしてくれたもんだという気がしてならない。
それはすなわちフェルミエ村にいずれ薬師が派遣されると言うことに他ならないからだ。
フェルミエ村の薬師は私なのだが、そもそも私は無免許である。そう言った人間は――人間だよ?――基本的に薬師としてカウントしてくれる気がないようで、自動的にフェルミエ村は無薬師村と言うことになるからだ。そうなってしまうと困ったことになる。
まず、私のフェルミエ村の平和が乱される。さらに私が作って配布してきた薬の効力が確認されると非常にまずい。確実にオーバーテクノロジーな代物だからだ。だからと言ってそう言った薬を作らなくなるとフェルミエ村の医療環境は確実に悪化する。つまり、薬師など派遣されるとフェルミエ村の居住環境は悪くなるのである。そんな事態は意地でも避けなければならない。
では、どうするのか。
私が正式な薬師になればいい。これである。
そのため、私はゴブリンに身分証作成を頼み、さらに王都までやってきて魔法学院に――薬師免状は魔法学院の薬学科を卒業することで頂ける――通っているのだ。
ちなみに試験は一発合格である。成績はあまり良すぎても注目されるだろうと思って抑え目にしてある。入学したあとに試験成績を聞いたところ大体中の上程度だったので頑張りなさいと言われた。まぁ、妥当なところだだろう。
そんなわけで私は魔法学院生として毎日のんびり授業を受けている。
入学してから三日。楽な日々、幸せな日々だ。非常に平凡な日常生活を送れていることの幸せをひしひしと感じている。
けれど、そんなに人生はうまくいかない。
嵐は、静けさの後に驚くべき勢いで襲い掛かってくるものである――
◆◇◆◇◆
授業も終わり同級生たちに彼らが板書しきれなかった部分や理解が出来なかった部分などを説明してから、お昼ご飯を食べるために学食へ向かう。
魔法学院のいいところは、学食のメニューの豊富さにある。そもそも、学食自体が色々あるのだ。
魔法学院は基礎教育についてはどの学部であっても共通であるが、専門的な分野に関してはそれぞれ別の棟が設けられており、そこで授業が行われる。共通の基礎教育とは魔法の基礎理論であったり、数学や歴史などだ。専門的な分野とはまさにそのまま。薬学部であれば薬学、象徴魔法学部であれば象徴魔法、と言った感じだ。
そして学食はその学部の棟ごとに、別々に設けられているのである。これのいいところは、学部が異なるからと言って他の学部の学食に行ってはいけないということはないということだ。薬学部が象徴魔法学部の学食に行くことは禁じられていない。その逆もまた然り。それぞれの学部の学食には特色があり、毎日日替わりで食べに行くのが魔法学院の生徒の常だったりする。
私もその例に漏れず、三日間毎日別の棟の学食に通っているが、それぞれの学食によって出てくるものが相当違って楽しい。剣士系や攻撃魔法系の学部の学食では大型の魔物の肉が供されているし、我が薬学部ではヘルシーな薬膳などがよく出ている。生活魔法学部では発酵食品などが出てくることが多く、リピーターが一番多いのはここだ。
そんなわけで食事ひとつとってもなかなか楽しい魔法学院なのだが、楽しくないこともあるわけで……。
私はそのとき、ぼんやりと学院内を散策していた。広大な敷地と迷路のような作りをした学院建物は、ただ歩いているだけでも楽しく、面白い。
ただその作りゆえに色々問題が発生しやすい部分もある。
隠れて悪だくみをしやすいのだ。だから毎年なにか生徒が危険なこと――禁術系の実験など――を初めて爆発してから発覚したりすることがある。とは言っても生徒に出来ることなど大したことではない。材料が足りなかったり、理論が中途半端だったりしてあまり大きな結果には至らないのだ。だから学院教師たちもそれほど生徒たちについては心配していない。
ただ、そう言ったところでなく、もっと簡単で陰湿な問題についてはなかなかに解決できない状況だったりする。
つまりは――
「おい、なんでお前がこの学院に来てるんだ? この魔力なしが!」
散策していたら、そんな声が聞こえた。
なんだろうと思って声の方向を見てみると、数人の身長の高い男子生徒が、背の低い少女生徒を囲んでいるのが見える。
――いじめかな。
見るからに明らかにそんな風に思える状況に私は前世で色々問題になっていたその言葉を思い出す。
「入学試験に合格したからですが……それが何か?」
しかし少女の方はそんな状況にも関わらず、意外と気が強い。男子生徒たちとは人数も体の大きさも違うと言うのに冷静に言い返しているあたり、なかなかやるものだと思った。
私としては目立ちたくないがゆえに手を出さずに見て見ぬふりで行こう、と思っているのだが、あんまり下手な問題を起こされると授業にも滞りがある。男子生徒の方が少女に危害を加えようとした場合には止めようと思ってしばらく観察することにした。
数人の男子生徒のうち、金髪碧眼の最も目立つ容姿をしている男子生徒が言う。
「お前わかってるのか? ここは魔法学院だ……魔法を使えないお前が入学して、一体何の意味がある……ドラスニル公爵家の面汚しめ!」
ドラスニル公爵家とは確かこの国でもそれなりに有名な大家だ。その血筋には優秀な魔法使いの血が宿っているらしく、必然的にドラスニル公爵家に生まれた者は例外なく優秀な魔法使いとなるらしい。
「別にそんなのは私の勝手ですわ。そもそも、魔法が使えなくても理論的研究は出来ると掲げられているはずです。私に魔力があろうとなかろうと、魔法学院にいるのはおかしいことではありませんわ」
「この……っ!!」
少女の台詞に、男子生徒の方がいきり立って呪文を唱えだした。
あれはそれなりに破壊力のある攻撃魔法の詠唱だ。止めるべきなのだろうか……と一瞬思うが、やめる。なぜなら少女には妙な余裕があったからだ。そんなものは怖くない、と言った感じの目をしていて、しかも魔力なしと罵られた彼女の体からは得体のしれない力が吹き出しかけているのを私の本能が察する。うん。とりあえずは見てよう。そう思った。
ちなみに、さきほどの口論で正しかったのは、少女の方だろう。確かに魔法学院への入学条件に魔力のあることは入っていない。個人として魔力を保有していなくても魔石を使って魔法を発動させることは出来るし、魔法それ自体の仕組みを解析して新しい魔法を作り上げたり、紋章として道具に刻み込むことによって魔力のない人間も使える魔道具を作り上げることもできるからだ。魔法研究に必ずしも魔力はいらない。
ただ、ある一定の人間には魔力のあるなしについて選民思想のようなものがあるものも少なくない。噂に聞くところによると特に貴族にそのような人間が多く魔力を持たない人間を蔑視することもあるということだ。平等とか公平とか個人の尊厳と言った考え方が教育の段階で普及していないこの世界においては、そのような偏った思想はある程度仕方ないのかもしれないが、なかなか難しいものである。
そんなことを考えているうちに、男子生徒の詠唱が終わり、その手元から巨大な火球が少女に向かって恐るべき勢いで放たれる。明らかに魔法学院の建物に延焼しそうな着地点であるが、学院建物はそれほどやわな作りをしていない。何重にも張られた魔法防壁が彼の魔法などかき消すことだろう。つまりここでピンチなのは少女の方なのだが、やっぱり少女は余裕そうな表情を崩さない。そして少女は目の前に迫る魔法をしっかりと見つめつつ、自らの華奢な手を前に突き出した。すると……、
「……なっ!?」
男子生徒が叫ぶ。当然だろう。彼の放った火球は少女の手に触れると同時に完全に消滅したからだ。少女を見ると、なぜかその体のまわりには覆うような不穏な黒い炎のようなオーラが立ち上っている。少女は不気味に嗤いながら唖然とする少年たちを見つめた。
「全く……いきなりこんなことをされるとは思いませんでしたわ、お兄様。まぁ、でもこの私に攻撃したのです。自分もそうされる覚悟があるのだと理解してもよろしいですわね?」
そう言って、少女は手を男子生徒たちに向ける。少女から立ち上る黒い炎は徐々に体積を増し、今では巨大な業火のように燃え上がっていた。
見ながら、思う。
――どう見ても、チートだ。
と。その時点で帰ろうかどうしようか迷ったが、入学三日で大事件を起こされるのも困るのである。私は平穏な学生生活を送りたいのであり、このような事件が毎日毎週のように起こるスリリングな日々は求めていない。その意味でも、この状況はかなり勘弁してほしいものだった。
だから、うん。
仕方ないだろう。
私は今にも何かよく分からないパワーを男子生徒たちに放とうとしている少女にその身体能力のすべてを使って近づき、気絶させるべく絶妙な力加減で頸動脈に手刀を加える。
少女を包む黒い炎については、ちょっと覚えがある。たしかあれだ。魔界のなにかと契約するとこんな感じになるとかなんとか……ともかく私にとっては脅威ではない。なので少女は問題なく倒れる。
また、あまり目撃されるのも勘弁してほしいところだから、何が起こったのか理解しきれていない少年たちも同様に気絶させることにした。既に逃げている者もいたが、すぐに追いついてとっつかまえて気絶させていく。まぁ、悪いようにはしないから安心してくれ、少年たちよ。
そうして、美しい魔力なし少女一人と、高慢そうな少年及びその取り巻き達数人が魔法学院の校舎裏に転がることになる。
このまま返してもいいのだが、そうするとまたこいつらは喧嘩を始めるのだろう。そんな状況は出来るだけ避けたい私は彼らの記憶をぐっちゃぐっちゃいじることにする。
まずは、少女から。適当に記憶を引き出してからいじくり方を考えてみよう。
そうして少女の記憶を引き出して閲覧を始めると、あぁ、これは……と思うような記憶がいっぱい出てきた。
まず少女は見事なまでに日本の記憶を持っていた。まず間違いなく転生チートだろう。
生前は女子高生だったらしく、なんだか神様的ミスでこっちにやってきたらしい。なので色々ボーナスをもらったようだが……もらったボーナスが悪かった。
彼女はボーナスの代わりに魔力を失ったのだ。
それだけならまだよかったかもしれないが、生まれた家も悪かった。お兄様、などと言っていたことからしてあの目立つ少年と兄妹なのだろうな、と予想していたが、案の定、彼女はドラスニル公爵家の娘だった。
しかし魔力がない彼女はそれが発覚した時点で両親からかなり冷たい仕打ちを受け、さらには兄にも姉にも妹にも軽蔑される始末。最終的には魔物がたくさん生息する土地に不法投棄されるように捨てられてしまう。
この時点で不憫を通り越して不幸すぎると言う感じだ。
ただ、神様からボーナスをもらった彼女だ。それだけされても生き残る力はあった。
神様ボーナスは魔界の生物との契約能力。それによって通常の魔法使いを遥かに凌ぐ力を得た彼女は、魔物の森で数年を生き残ることに成功する。
魔物の森には偏屈な魔法使いの婆さんが住んでいたらしく、しばらくは彼女のもとで魔法や基礎的な学問の勉強もしていたようだ。そうして婆さんに学校に行ったらどうかと言われた彼女は今年の入学試験で一番の成績を修めて入学する。その試験順位は上位10人については入学式で発表されたので、それを聞いた兄――あの目立つ少年だ――が彼女を探し因縁をつけてきた。
ちなみに彼は二番だったらしく、勘当された妹が一番なのがどうしても許せなかったらしい。そして口論になり、今に至る、とこういわけだ。
なんだかなぁ……迫害系チート少女とでも言うべきか。随分と受難の日々を送ってきたらしい。
彼女の記憶をにょーしようと思っていたのだが、ここまで厳しい記憶を持っているとにょーした場合にちょっとおかしくなるでは済まない気がする。
にょーは万能ではない。精神に多大なる影響を与えるのだ。
もともとそれなりの人生を送ってきた人間ならともかく、今現在薄氷ぎりぎりの精神を保っているような人間に使うと確実に壊れるようなものだ。
彼女ににょーを使うとそれ自体が新たな問題となるような気がする。
彼女ににょーするわけにはいかなくなった。
まぁ、運がいいことに彼女は私の姿を見ていない。だから、彼女はとりあえずこのままでいいだろう。
むしろ少年たちの方の精神をにょーしておけば、問題の種は取り除けるはずと考えた私は、少年一人一人の精神をいじくりまわし、私の記憶を消して、かつ迫害系チート少女に対するコンプレックス及び偏見も消しておくことにした。
これで次に目覚めたときはさわやかな青年になっているはずだ!
いいことをした気分になった私は、少女と青年たちをその辺に放り投げたまま、学院の散策に戻ることにした。
次の日、学院で迫害系チート少女とコンプレックス兄貴を見かけた。
迫害系チート少女の方は首筋を抑えながらしきりに首を傾げていたが、昨日起こったことをきっちり把握できている様子はなかった。私とすれ違っても反応しなかったから彼女については問題ないだろう。
コンプレックス兄貴の方はなんだかすごくいいやつになっていた。迫害系チート少女の方も初めは気味の悪そうな顔でコンプレックス兄貴を見ていたが、何も含むところがないことを理解すると、ぽつぽつと普通に会話するようになった。
どうやら私は兄妹の中を取り持つことにすら成功したようだ。
私は自分のやったことに満足しながら、薬学部棟に向かう。
やっぱり平凡な村娘A改め、平凡な女学生Aとしては、平和のために働くのは気持ちがいいものである。まる。