第22話 超絶勘違い
向かい合う、若き金の髪を持った剣士と漆黒の闇を身に纏う麗しき吸血鬼。
その様子はまるで大貴族の館に堂々と飾られた一幅の絵画を思わせ、そこには危険とは理解できてもつい見入ってしまうような不思議な迫力と美しさが漂っていた。
「……まさか人間の街に来て霊魔と争うことになるとは、思ってもみませんでしたよ」
いつでも攻撃に移れる構えをとり、お互いを手足の僅かな動きで牽制し合った結果、膠着してしまった戦いを次の段階に進めようと思ったのか。
吸血鬼は相手の隙を探すように言葉を差し込んだ。
「霊魔、ですか。僕はそもそも人間のつもりなのですけど……いや、今はもう違うんですかね。ねぇ、吸血鬼さん。僕は人間には見えませんか?」
飄々とした口調だった。まるで自分のことなどどうでもいいと、そんな風に語るような。
自らの身を省みない者というのは恐ろしい。戦いの場において、これほど読みにくい相手はいないからだ。普通であれば避けたり受けたりするだろうと考えて打ち込んでも、そうはしようとしないでそのまま向かってこられたりなどしたら、それだけで動揺してしまう。
吸血鬼の目の前に立つ人物は少しも心を乱すことなく、ぼんやりとした口調で、存在感のないその身をゆらゆらと動かし、自分のことではないかのように語る。
少しくらい感情の動きを見せてもいいのに、吸血鬼が先ほどの男を馬鹿にして以来、一切のそれを見せることのなくなった少年に、吸血鬼はいら立ちを感じる。
「……まるで他人事ですね。霊魔は死を超越した者と聞きます。当然、その身に至るためには死を経験しなければならないはずですが……あなたにはその記憶があるのではないですか。死の記憶が。そうであるなら、あなたはすでに人ではない」
妖魔である吸血鬼に、霊魔の詳しい事情はわからない。けれど、知っていることもあった。
主から聞いたこと、それに他の魔物の集団に聞いたこと。
人と、魔物の違いは、その魔力の扱い方だ。
人は魔力を練り、構成し、積み上げることによって魔法を操る。
魔物は違う。
魔力を集め、質を高め、その理を知る。
それが魔物の魔力の使い方だ。
人は、それを知らない。
だから、人の使う魔法は、魔物の魔力操作技術とは一線を画するのだ。
そして、魔物の魔力操作技術は、人間が自分たちの生活を便利にするために扱っていることとは異なり、生き物としてのあり方を決めるためのものだった。
魔力の理を理解した魔物は、次の段階へ至ることが出来る。
そういうものなのだ。
そして、魔力の理には様々な側面が存在しており、どんな側面を理解したかによって存在が変わる。
たとえば、吸血鬼が理解している魔力の理は、『妖の理』だった。だから、吸血鬼は妖魔と呼ばれるし、『獣の理』を理解した魔物は獣魔と呼ばれる。『悪の理』を理解した魔物は悪魔である。
つまり、霊魔とは、魔力の側面の中の、『霊の理』を理解した者に他ならない。
目の前の少年は、かつては人だったというのだから、人の身にして魔物の力を身につけ、そして理にまで至った希有な人間、ということだった。
それだけでも相当危険な存在であることは分かるのだが、ただ理はただ理解しただけでどうにかなるようなものではないのだ。
その扱いに習熟するためには長い年月が必要なものだし、理を超える力すらもこの世界にはある。
あくまで、この世界に存在する魔力の一側面が理であって、その全てではないのだ。
吸血鬼の主である妖魔の首魁、『妖の君』は理を遙かに超える高みに至っており、それは『極』と呼ばれるものであるといわれているが、それが何なのかは、吸血鬼にも分からなかった。
そんな魔物の事情の中で、『理』に至るためには何かしらの試練を超える必要があるという常識がある。
妖の理を得るためには、ひたすらに厳しい修行に耐え、自ら魔力の側面を見いださなければならいのだが、それは人間であればとても耐えられないような過酷できついものだった。
魔物である吸血鬼ですらもう二度とやりたくないと思うほどのものだが、確かにその修行には効果があり、数百年前に吸血鬼は妖の理に至ったのだ。
霊魔にも同じような修行方法がある。
それは当然のことだ。
ただ、その内容が妖の理を得る方法よりも遙かにおかしかった。
それはつまり『死を超越すること』である。
一体どのような方法でもってそんなことが出来るのかはわからない。
ただ、実際、霊魔は皆、それを実践し、実際に死を超えていると思われるものしかいない、と妖の君は吸血鬼に語ったのだ。
目の前の少年も、死を超越している。
そのことを思うと、吸血鬼の体はふるえた。
ただの人間だと思っていた。
けれど、あの男は霊魔だと言った。
そして目の前の少年も霊魔であるようだ。
先ほどからいくつも余裕があるかのような発言を吸血鬼は繰り返しているが、内心、吸血鬼は絶望感でいっぱいだった。
妖の君が言っていたことを思い出す。
『霊魔には関わったらあきまへんえ。あいつらあたまオカシイでな。関わったら……死ぬで?』
にこにこと微笑みながら、九つの尻尾でびたんびたんと地面をたたきながらそんなことを言うものだから、よっぽど機嫌が悪いのだろうと思った。
実際、妖の君がそこまでいらついているのを見たのは、いつのことだったか、訳の分からない娘がやってきて、その十本あったはずの尻尾のうち、一本を抜いて「もらっていくわ」などとふざけたことを抜かしたとき以来だ。
そもそもあの娘はなんだったのか。
世界最強の一角を占める妖魔の主の尻尾を奪っていくなどと言うことができるあの娘はいったい何だったのか、疑問はつきない。
ただ、そのことよりも、今重要なのは目の前の霊魔にどのように対処するかということだった。
何かできないか。
どうやって霊魔に勝てばいい。
そのことを妖魔の主が何かふれていなかったか思い出す。
けれど出てくるのは、あの主が人間の街で売っているお菓子が好きとか、東方の国でしかつくっていない羊羹が好きとか、そんなどうでもいい情報だけだった。
そもそも、今回だってそんなに大騒ぎを起こすつもりはなかったのだ。
自分はただこの街で売っている焼き菓子を主のために購入しようと思ってやってきただけだったのに、街の外をぶらついているときに悪魔と獣魔に出会って、
「なんだ、お前もこの街を襲いにきたのか?」
などと言われたから、まさか上司からお菓子を買ってこいとぱしられているなどと言うことはプライドが許さず、
「ふふふ、あなたたちもそうなんですか? 私もです。実は、この街の処女の血を頂きにねぇ……。邪魔、しないでくださいよ? その場合、私はあなたたちに何をするかわかったものではないので」
などと売り言葉に買い言葉で言ってしまったのである。
それからは流されるように話は進む。
吸血鬼が短距離転移を使えたので、その力でもって獣魔と悪魔を街の中心部の少し離れた位置に飛ばし、自分もまた飛んだのだ。
そこで一暴れして帰ろうぜと、そんな遠足気分だったのだ。
当然ながら、この街を破壊し尽くす、なんてことはするつもりもなかった。
そんなことしたら上司から殺される。
あの方はこの街で売られているお菓子が好きなのだし、そもそも命が惜しかったらこの街であんまり暴れるなとも言われていたのだ。
それはつまり、暴れたら自分がお前を処罰するから、と言いたかったのではないだろうか。
『ま、ウチは何かする気ぃはないけど、命が惜しかったらあの街で暴れるのはやめとき』
と言っていたのだ。
なのに自分は何をやっているのだろう。
見栄って怖い。
そして後悔する。
あんなこと言うんじゃなかったと。
見栄なんて張るもんじゃないなと。
神様、もう自分は嘘なんてつきませんから、どうにかしてこの場を切り抜ける方法を与えてもらえませんでしょうかと、祈った。
そして思った。
そう言えばこの世界の神はあれだったなと。
自分を助けてくれるはずがないだろうと。
あぁ、もうだめだ。
自分は終わった。
ここで短い吸血鬼人生を終えるんだと。
もっと色々な血を飲みたかったなと考えた。
別に、格好いいから処女の血しか飲まないとか言っているだけで、本当に好きなのは若い少年の血なのだ。
さらさらとしていて、とってもおいしいそれを、吸血鬼は故郷のダンジョンでゴブリンから定期購入している。
仕入先が気になってどこで手に入れてるのか聞いてみたりもしたのだが、教えてはくれなかった。
まぁ、当然だろう。あんなにおいしい血のいっぱいあるところをしゃべったら、吸血鬼が押し寄せてしまうだろうから。
あぁ、死ぬ前にもう一度、あと一度でいいから、あの血を飲みたかったな……。
そう思って、覚悟を決めた吸血鬼は、顔を引き締めて少年に向かう。
すると少年は言った。
「僕は人間ではない、とはよく言ったものです。確かにそんな気もする……でも、子供は作れるし、ちゃんと人間として生まれてくるそうですよ? その辺、便利ですよね、この体。死は……超越してしまいましたけど、無理矢理でした。いきなり師匠から、ぐさっ、ですからね。あとから聞いたら霊の理の修行方法ってそれなんですって。失敗したら死ぬんですって。馬鹿ですか。あのクソ師匠。まぁ、運良く成功して生きていますが……」
やっぱり霊魔は頭がおかしかった。
修行方法に死ぬとか、何考えているのかわからない。
死んだら死ぬに決まってるだろう。
最初の霊魔はいったいどうやってその方法にたどり着いたんだ。
そもそも、なぜその修行方法で成功してるんだ。
吸血鬼は聞きたいことがいっぱいだった。
ただ、場の空気とさっきまでに作り上げた自分自身のイメージ、そしてプライドが邪魔して質問が口からだせない。
言えるのは、そのパブリックイメージに沿った台詞だけだ。
「やはり死を経験しているのですね……ふっ。であれば、私があなたに二度目の死を差し上げましょう。さぁ、かかってきなさい!」
出来れば、かかってきてほしくはなかった。
◇◆◇◆◇
街の遙か上空にて。
「……ぷっ。何あの吸血鬼おもしろい」
ややウケだった。