第15話 尋ね人
首を傾ける銀髪栄養失調少女にユウリのことを詳しく聞こうと口を開こうとすると、遠くから爆音が鳴り響くと同時に地面とユウリが家と呼ぶ襤褸がぐらぐらと揺れた。
家の中にいる子供たち、それにユウリは怯え、銀髪栄養失調少女は子供たちを抱きしめてその揺れに耐える。
ううむ。素晴らしき愛である。私はこの王都の端っこに追いやられた掃き溜めであるスラムで真の愛を見つけた。
いやまぁ、それはいいのだが、そもそもこの揺れはなんなのだろう。
最初の大きい揺れの次に、断続的に小さな揺れが色々なところで起こっているのを感じる。家がずっと揺れ続けているのは襤褸いから、そしてそもそも家の建っている東二区の土台が酷いからなのであるが、どうしたものか。
補強するか?
いやいや、壊れたらそのときはそのときだろう。私がどうこうしてやる義理はないのである。
「……揺れ、おさまった……」
ほっとしたように、ユウリがそう呟く。
なるほど確かにもう揺れてはいない。先ほどからボロボロ落ちてきた砂埃や壁の欠片の崩落も止まった。ユウリ家に彫刻されたあの魔方陣も先ほどの揺れの脅威による存在の消失の危機は免れたようで、今も従前と変わらずその余りにも都合のいい機能を保持して揺れのせいで埃っぽくなった家の中の空気を徐々に清浄なものへと換気している。
ただ、揺れは収まったのは確かでもそれだけのことだ。問題の原因は去っていないどころか、私の知覚によればそれは徐々にここに近づいてきている。
人間……の形はしている物体のようであるが、どこか人の範疇を超えてしまっているような気がしないこともしない気配である。
あれは何をしにここを目指しているのだろうか?
そう思った時、ユウリの目のことがふと頭に浮かんだ。
「そういや、あんた、さっき人体実験とかなんとか私が言ったとき、心当たりがありそうな顔してたわね」
振り返ってユウリの方を見ると、首を傾げてこちらの方を見た。
それってなんだったっけ、なんのはなしだっけ?
とでも言いたげな表情と円らな瞳である。鳥頭かお前は。
そう突っ込みを入れようとした矢先、ユウリではなく銀髪栄養失調少女が代わりにおずおずと発言してきた。
「なぜ突然そんなことを?」
改めて聞いたその声は、やっぱりよく通る声である。体形や食生活を鑑みるともっと掠れて潰れていた方がむしろ自然な気がする。
まぁ、彼女の疑問は分かった。私の台詞はあまりにも唐突であるからだ。
ただ誰か得体のしれない人物がここにやってくる気配がある、という事実がある場合にはそうはならない。
だから、銀髪栄養失調少女にその旨告げる。
「ここに、誰かやってくるわ」
すると、高く美しいソプラノは、その声に似合わぬ襤褸家で、不思議そうに応えた。
「誰かって、どうしてそんなことが……それに、誰かが来るのはおかしなことではないと思いますけど……?」
「私には分かるのよ。それと、それがおかしくないのはここにやってくるのが普通の人間だったらの話ね。聞くけど、貴女たちの中に宮廷魔術師クラスの魔力を持つ魔法剣士に知り合いはいる?」
気配から察すると、その程度の力はあるだろう。しかも明らかにただの魔術師ではない。気配を殺し、一定の歩幅で、しかも鉄の響きを鳴らしてやってくるその人間は、明らかに一定の剣術の素養を感じさせた。私の個人的指標から言わせてもらえば、まぁ、そこそこの剣士と言ったところか。修行が足りないとは言わないが、理不尽に強いとも言えない。
そんなことを言うと、銀髪栄養失調少女は少し考え込んだあと、おずおずと気が進まない様子で話し始めた。
内容はもちろん、ユウリの話だ。
「以前、その子を引き取ろうと言ってきた人がいるんです」
「へぇ?」
ユウリの目の事を知っている私にとって、その事実はさして驚くに値しないことである。あの目は、それなりに貴重だ。そしてそれが人間の目なのであれば。
「たまに道楽でどこかのお金持ちとか、そう言った方々がスラムの子供を養子にしようと来ることがあります。ユウリについてもそれと同様のことかと思い、もしかしたらいいお話なのかもしれないと思っていたのですが……」
「そうじゃなかったの? まぁ怪しいもんね」
そもそもその道楽がどんな道楽なのか知れたものではない。
とは言え、現実に妙な貴族や金持ちがスラムの子供を引き取って我が子のように育てることは意外とよくあるのも事実であるから、一概に全部が嘘とも言い切れはしない。
そのあたりに銀髪栄養失調少女も葛藤したのであろう。
もしかしたら、ユウリもそのような運のいい子供の一人になれるかもしれない、その機会を年長のものとして見極め、もぎ取ってやろうと、つまりはそういう心境だったのだろう。
銀髪栄養失調少女は確かにかなり病的に薄い肉体と顔つきをしているが、基本的な作りは悪くないものだ。
むしろ、スラムにおいても最下層に属するであろうヒエラルキーにおける栄養状態で、これならば、娼館に連れて行けばかなり儲けが期待できそうだと私が仮に女衒であったら考えるレベルである。
髪も殆ど洗ってないからだろう、バサバサとしているが、色合いはやはり煌びやかで豪華だ。いいものを着せて、それなりの化粧を施せば売れっ子になること間違いなしである。
そして、銀髪栄養失調少女がそうであると言う事実は、彼女にそう言った手合いから勧誘ないしそれに似たような強引な引き込みが無かったわけではないだろうという予測を導く。そしてそうであるにも関わらず、こんな襤褸家で年少者の保護者のようなことをやっているということを考えれば、彼女にどれだけの母性のようなものがあるのかも想像がつく。
彼女は守る気なのだろう。ここの子供を。
本当に、見上げた根性と愛情である。まさに真の愛だなとちょっと感動的過ぎる彼女の心意気に茶化さずにはものを語れない。
「それで、やっぱり結局その申出は断ったわけね?」
話を促すと、少女は頷いて答えた。
「凄く良さそうな人達だったんです。優しげな老夫婦で、ここの子供たちとも遊んでくれて……もしユウリを引き取ることになったら、ここの子供たちにも出来る限りの援助をする、いや、その話が成立しなかったとしても出来る限りのことはしたい、とまでおっしゃって下さって。だから、私もこの人たちにならユウリを任せてもいいんじゃないかと思ったんです」
「それなのになんで断ったの?」
「話が余りにもうますぎて……それに、直感と言うか、なんでユウリなんだろうって思って。……もしかしたら、私が嫉妬していただけかもしれませんが。スラムに生まれた仲間だと思ってた子が、ある日突然お金持ちにもらわれていく、なんという奇跡に」
自嘲気味に笑う銀髪栄養失調少女。
その気分は分かる。人は誰しも他人がうらやましいものだ。そのことを皆分かっている。そして、自分がそういう者であると分かっている以上、他人に訪れた幸福を素直に喜べない自分を見つけたとき、それは自分の汚れた心の導いた悪魔のような感情なのかもしれないと疑うのだ。
でも、それは悪いことではないと私は思う。本当に悪い人間ならば、むしろそんな疑いすら持たずにその辺の花を手折るように人の幸福を邪魔するだろう。そうではない、という時点で普通の人間なのだと思う。
それに、彼女はそもそもある程度、楽の出来る生活を得られる可能性を捨てて、ここでこうして子供の世話をしている。そんな銀髪栄養失調少女が、他人の不幸を願うのか、ユウリの不幸を望むのか。否、である。
「別に誰だってそんなもんなんじゃないの? それに事実、あんたの直感は正しかったんだと思うわ」
「どうしてです?」
「それは、そこの人に聞いてみましょう」
振り返って、“家”の入口を見る。
「なんだ、話は終わりか?」
すると、そこには獰猛に笑う漆黒の甲冑を身に纏った男が立っていた