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竜姫はチートを望まない  作者: 丘/丘野 優
第2章~迫害系チート少女編~
18/42

閑話 迫害系チート少女パーティの日常(後篇)

 それは少年が店員からミスリル製の剣を受け取っている時のことだった。

 少年がドラスニル兄に何度も感謝しつつ、いつかこの金は必ず返す、と言いながら顔を挙げると、ドラスニル兄の顔の向こう、店の外が見える窓の中に、すっとどこか見覚えのある顔が過った。

 どこにでもいそうな顔だった。いや、もしかしたらいないかもしれない。

 ただ、それほど印象的な顔ではなかった。

 それなのに、なぜかあの顔を、自分は知っているはずだと確信した。

 どうして。


「……?」

「どうしたんだ?」


 首を傾げ、あれは誰だったかと思い出そうとしている少年にドラスニル兄は不思議そうに尋ねる。

 しかし少年はとっさに言葉を返すことが出来なかった。

 なぜなら、あの顔が誰なのか、まだ思い出していないから。

 そしてそのことを今口にしてしまえば、きっともう思い出すことができない。ふとそんな気がした。

 だから少年は答えずに考え込む。

 あの顔を、思い出すために。

 あれが誰なのか、確信するために。


「どうしましたの?」


 二人の様子がおかしいことに気づいたドラスニル妹も、同じパーティの金の髪の少女を連れてやってきた。


「いや、よく分からないんだが……先ほどからこの様子でな」


 ドラスニル兄が少年を見ながらそう言った。

 ドラスニル妹が首を傾げる。


「何をしてるんですの?」

「よく分からない……」


 二人の声が、少年の耳に遠く聞こえた。

 あれは誰だったか……。

 そう、昔、あったはずだ。

 ああいう男に出会ったはずだ。

 その男は、確か鎧を着ていて、漆黒の剣を携えていて――。


「ッ!!」


 気づいた時には、少年は走り出していた。


「おいっ!」


 後ろから、ドラスニル兄の声が聞こえた。


「どこ行くんですの!」


 ドラスニル妹の声もだ。

 戻るかどうかだけは告げなければ。

 そう思った少年は大きな声でパーティメンバーたちに告げる。


「悪い! 急用なんだ! 今日はもう戻らないから、また明日学校で!」


 そうして少年は店の連なる大通りをその脚力で一息に駆け抜ける。

 向かうは、あの窓に見えた人物。

 あの男が向かった方向。路地の裏、その先に続く、スラム街への入口へ。


 ◆◇◆◇◆


 今まであれほどに焦っている少年の姿を、ドラスニル兄妹も金の髪の少女も見たことが無かった。

 しばらくの間、唖然として少年の走り去った方向を三人で見つめていた。

 そうして、はっとしたように我に返ると、三人で首を傾げはじめる。


「……一体何があったんですの? 誰か見つけてそれを追いかけていったようですけど。友達とかですの?」


 ドラスニル妹が言う


「いや、でもしばらく考え込んでいたぞ。誰か見つけたにしてもしばらく思い出せないでいたみたいだし。頭を抱えて考え込んでいたからな」


 ドラスニル兄が推測を述べる。するとドラスニル妹は頷きながら答えた。


「でも、忘れていた相手にしては随分焦って追いかけていきましたわ。という事は、その人は、最近疎遠だったけれども、彼にとってはとても大事な人で、しかも友達を置いてまで会いに行くような人物、ということになるんですの……」


 ドラスニル兄妹は、そうして、うーん、と考え込んだ。

 答えが分からないからだ。

 しかし、そこに意外な答えが提示された。

 今まで、買い物の最中も言葉を発しなかった、金の髪の少女が言った。


「……昔の恋人とかでねぇべか?」


 それはあまりにもその少女に似合わぬ言葉遣いだった。

 彼女のその容姿を見れば、洗練された都会言葉が似つかわしいと誰もが思うだろう。

 しかし実際に彼女が話すのは、田舎の女が話すような酷い訛りのある言葉だった。

 それも当然だ。

 少女はこの国の辺境、ほとんど隣の国との境目に存在する、天人の末裔の住むと言われる村の出身であった。

 とは言っても、本当に天の人の血を引くわけではないだろう。

 そのような言い伝えがある村や町というのはこの国のいたるところに存在し、そのどれが真実でどれが虚構に過ぎないのかは遥か昔からそのことを記録している存在にしかわからないことだ。

 そしてこの世界において人間はそう言った存在ではない。

 したがって、少女の村の人間が本当に天の人の血を引いているか否かは、正確に言うなら、分からない、ということになる。


 しかし、それでもその少女は、その言い伝えを真実たらしめる程度に説得力のある存在だった。

 少女は、美しかった。

 絹のように流れる金の髪、白い肌、そして凹凸はあるが適度に引き締まった肢体、その立ち居振る舞いは美しく、何らかの教養があることは見る者が見れば分かる。

 彼女のような人間は、正しく天の人の血を引くがゆえに生まれてくるのだと言われれば、なるほどそうかもしれないと誰であっても言いたくなる。


 そんな彼女であるが、彼女は村においては異端だった。

 別に、村八分にされたとか、そう言うことはなかった。

 けれど、彼女の見た目は村においては酷く目立った。

 彼女以外に、金の髪を持つ女はいなかった。彼女だけが金の髪を持っていたのだ。

 そのことについて、不思議に思わなかったことはない。ただ、母に聞いても父に聞いても「たまにそういう子供が生まれる。ここはそういう村なのだ」としか教えてくれなかった。だからだろう。心のどこかで、自分のルーツを知りたい、という思いが、そのころから生まれていた気がする。

 ただ、村を出て、それを調べに行こうとは思わなかった。王都の図書館や、同じような伝承のある村を訪ねれば、村の中に稀に金髪の子供が生まれる、という現象の理由も分かるかもしれないと思ったことはある。けれど、だからと言って、村での生活を捨てる気は生まれなかった。確かに少女の存在はその髪の色のせいで少しだけ浮いていたけれど、言ってしまえばただそれだけの話だった。家族も友人も、村にいる。少女の世界は村で完結していた。


 金の髪について、年の近い友人たちは羨ましがった。

 男の人は、こういうきらきらした髪の娘が好きだからと。私もこんな髪で生まれたかったと。みんながそう言った。ただ一人、親友の娘だけはそういう意見を口にはしなかったが、概ねみんなの意見が正しいと言うことは認めていた。

 確かに、髪が綺麗だときっと婿には困らない、と色々な人に言われた。村において結婚することは、一端の大人として認められるために大事なことである。もちろん、結婚は強制ではなく、自分が選んだ人と、同意をしたうえでするものだが、それでも結婚しなければどことなくいつまでも子ども扱いされてしまうような、そんな気がしていた。だから、相手が選びやすい、と言う意味では、確かに自分の髪は武器になると思わなかったわけではない。

 けれど少女は、叶う事ならみんなと一緒の髪に生まれたかったと、ずっと思っていた。

 周りの人と違うと言うのは、なんとなしに居心地の悪いものだ。それが自分一人だけと来たら、余計に。

 いつか擦り切れて忘れるだろうと思っていた、自分の中の欲求は、予想とは異なり年を経るにつれて徐々に大きくなっていった。

 なぜ、村で自分だけが金の髪なのか。

 他の皆は、真っ黒なのに。

 いや、そうではない。

 少女には親友がいた。小さなころから、とても仲のいい、友人が。

 彼女の髪は黒い。地味で、目立たない彼女だが、とても理知的で、物知りだった。それも当然だ。彼女は村にただ一人しかいない薬師なのだから。

 そんな彼女と、自分の髪の色が異なること。

 それがどことなく、かなしかったのだ。

 その思いが、少しずつ、自分の髪のことを知りたいと言う欲求に代わっていったのだと少女は考えている。

 知れば、少なくとも自分と親友との距離が、分かるような気がするから。

 自分と親友とが、何も異ならないのだということが、分かるように思えたから。

 それに、いつまでも村に住み続ける、と思っていたその友人がある日、「ちょっと王都に行って薬師の資格とってくる」などと、まるで近所の店まで買い物に行ってくるとでも言うような軽い口調で呟いたかと思えば、次の日には本当に王都まで行ってしまっていたという事実も少女の心境に影響を与えなかったではない。

 愕然とした。自分の周りの環境は、決して不変ではないという事をそのとき少女はよく理解したのだ。

 だから、少女は自分を知るために、村を出ることに決めた。


 少女の村において、村を出る者は、必ず、村の戦士長にその旨を報告し、許可を得なければならない。

 少女の村は、辺境にある。必然、魔物が出るため、村に魔物が入ってこないよう定期的に駆除する必要がある。

 そのために存在するのが、村の戦士たちである。小さなころから、村の若者は全員が戦いの訓練をするが、その中でも特に才能がある者、また長い研鑽により、突出した技量を持つ者となった場合には、村を守ることによって生計を立てる職を与えられる。それが戦士である。そしてその戦士の集団のことを、村では、黄道十二宮(ゾディアック)と言った。それが何を意味するかは、戦士たちしか知らない。少女の聞くところによれば、黄道十二宮(ゾディアック)に属することになればその由来を教えてもらえるらしい。少女もまた、戦士になる道を選ぶことの出来る才能を認められていた。だから、その門をたたくことによってその由来と言うのを知ることが出来る立場にあった。ただ、少女は村を出ていく。だから、それを知ることが出来ずに村を出るのだと思うと、少しさびしかった。

 黄道十二宮(ゾディアック)は、本名とは異なる称号としての名前を与えられた十二人の戦士と、それを補佐する者、そして名前を与えられることを目指して鍛錬する少女たちで構成される。黄道十二宮には女性しか所属できない。その理由もまた、集団名と同様に、所属しなければその理由を知ることは出来ない。

 その日、少女はそんな集団の起居する宿舎の扉の前に緊張しながら立っていた。


「ドキドキするべ……許してくれるべか」


 そう言いながら、扉を叩こうと手を挙げ、しかし、躊躇して手を下げ、を繰り返す金の髪の少女はまるで恋をする相手の家を訪ねる少女のようである。

 そうしてしばらくそこで何も出来ずにいると、突然、少女が何もしていないにもかかわらず、宿舎の扉が開いた。


「あっ」


 驚いて少女が声を上げる。

 扉の向こうにいたのは、黄道十二宮(ゾディアック)の名付き戦士の一人、鍛えられた肉体と、それでいながら女性らしさを失わない立ち居振る舞いで村中の男性の視線を集めると言われる“白羊(はくよう)”であった。


「もう。ずっとそんなところでうろうろしてないで、中に入ったら?」


 柔らかく微笑んでそんなことを言う白羊の表情は、美しさの中に可愛らしさも感じられ、また包容力もあるように思われた。

 実際、少女は、白羊を理想のお姉さん、として内心慕っており、しばしその表情に見とれる。白羊は若いころ――今も容姿を見れば十分に若いのだが、少女の頃のことだ――世界中を旅した経験があり、言葉遣いは村のものではなく、都会のものになっている。勿論、気が高ぶった時や、とっさの場合には方言が出ることもあるが、それでも普段は都会言葉を使うところも、村の若者のあこがれを集める理由である。


「ちょっと!」

「はっ!」

「早く宿舎に入りなさい。そんなところにいつまでもいたんじゃ寒いでしょう? 風邪ひくわ」


 どうやら、自分はまたぼんやりしていたらしい、と自覚した少女は、白羊の案内に従い、宿舎に入っていく。

 後ろを振り返ってみれば、おとといから村を襲った大雪が大量に降り積もっている。しばらく外にいたからか、少女の指先も冷たく、頬も冷えている。きっと今、鏡を見れば赤く染まっていることだろう。


 宿舎は、村を囲む森林の中でも奥地にあるものを伐採して作ったログハウス風の建物であり、それを構成する一本一本の丸太は通常の丸太が子供に思えそうな程太く、丈夫そうであった。

 これほどのものを森の奥地から村まで運んでくるには相当の労力と時間がかかりそうだが、この宿舎の材料は、黄道十二宮(ゾディアック)の戦士たちが自ら伐採し、運んできたものである。戦士、と言っても全員が接近戦専門の剣士や拳士、槍士だという訳ではなく、魔術師もいて、それを使用すれば腕力を遣うよりもはるかに簡単に木々の運搬ができる。勿論、剣士たちも魔術が使えないわけではなく、それなりに使えるが、やはり専門家と比べれば造詣は当然浅い。


 宿舎を入ってすぐのところに、リビングがあった。

 かなりの広さを誇るそこは、黄道十二宮全員がくつろいでもまだ余裕がありそうであり、また、部屋の中心には大きな一枚板で作られた十二人掛けの円卓が置いてある。そこで黄道十二宮の戦士たちが会議を行うのだろう。

 冬が開ければ、魔物の活動も活発になる。特に山脈の向こうから退去した魔物が雪崩のように押し寄せる“崩脈”と呼ばれる時期がそろそろやってくる。そのときに、魔物を追い払ったり駆除するのは戦士の役割だ。

 村の一般人でもできないではないが、かなりの人数を割いて、しかも命の危険を背負わなければそれは難しい。

 黄道十二宮の戦士たちは、同じことを、さほどの危険もなく、しかも効率的合理的に行うことができる。どちらに任せるのがいいかは、火を見るより明らかだ。

 勿論、戦士たちに全く危険がないとか、そういう訳ではないが、やはり慣れや長年の経験の蓄積と言うのはそれだけで大きなアドバンテージになる。

 魔物対策は、村では戦士たちの役割なのだ。

 村の一般人は、あくまで自分と、自分の家族の身を守るために武芸を遣うのである。


「じゃ、そこに掛けて」


 白羊が少女に椅子を勧めた。もちろん、そこは円卓ではなく、くつろげるようにと作られたと思われるスペースに設置してある低めのソファである。

 L字型に配置されたそれに、少女が腰かけると、白羊が周りを見回して、同じ黄道十二宮の一人である宝瓶(ほうびょう)がいるのを見つけると、呼び止めて二、三言話した。宝瓶もまた、白羊とはまた違った意味での魅力がある美女であり、その清冽な雰囲気はどこかの神殿の巫女であると言われても納得の行くものだ。着ているものは装飾の少ない水色のサンドレスであり、不純なものの感じられない上品な色気が匂い立つようである。総じて美しい女性であった。少女は周りを見渡し、他の黄道十二宮(ゾディアック)のメンバーが見当たらないことに気づく。どうやら出払っているらしい。

 白羊は宝瓶がその場を後にするのを見送ってから、少女に向き直って話を始めた。


「ごめんね、みんな出払ってて……ほら、“崩脈”が近いでしょう? それで、森の方に出ているの。兆候を探しに出かけてるのよ。……それで、今日は何の御用かしら? もしかして、勧誘の話、考えてくれた?」


 勧誘、それはつまり少女に対する戦士集団・黄道十二宮(ゾディアック)への加入についてのものだった。少女は同世代の者の中ではかなり優秀な使い手の一人であり、このまま研鑽を続ければいずれ村でも有数の腕前になることは選り抜きの戦士である黄道十二宮(ゾディアック)の目から見れば明らかなことであった。そのため、村民のうち、二十代になるまでの若者が必ず参加する決まりとなっている黄道十二宮(ゾディアック)が主催する鍛錬道場である日、少女は白羊自ら、黄道十二宮(ゾディアック)への加入を勧められたのだ。

 もちろん、最初から名付き、というわけではなく、数年の訓練を経た後、十二宮の誰かがその名を譲ってもいい、ということになるか、今現在その名を冠する者がいない名を継ぐことを許されれば、ということになるが、それでもその誘いは十分な栄誉である。その事実はまさに、村最強の戦士たちにその実力が認められたということに他ならないのだから。

 だから、少女はその話を聞いたとき、すこし迷った。

 ただ、それもこれも少女の親友がこの村にいたら、という前提あっての事である。

 彼女は、もうこの村にはいないのだ。

 そうである以上、少女にとってその誘いに対する答えはたった一つに決まっていた。

 少女は申し訳なさそうに、白羊に謝りながらも、決して意思は曲げる気がないのだと分かるように言う。


「……私、お誘いは嬉しんだが、断らせてもらえねぇべかと」


 少し、心が痛んだ。白羊は、黄道十二宮(ゾディアック)の中でも少女を最もかわいがってくれた人だったから。


「そう……ううん、いいの。何となくそんな気がしてたから。でも、だったら今日はまたどうして?」


 白羊がそう言って会話を促す。


「実は、私、村を出てぇんだべ。そして、王都へ行けねぇかと思ってるが」

「……それは」


 少女の話から、村の掟に従い戦士長に得るべき許可を貰いに来たのだと理解した白羊は表情を険しくする。


「それが、どういう意味か分かってるの?」


 それは重い質問だった。

 白羊は、少女の覚悟を問うているのだと思った。

 それに、少女のことを白羊が心配しているのだと言うことも分かった。

 だから、少女はこの質問に、まっすぐ素直に答えることにした。

 自分の気持ちに、正直に。

 きっとそれを、白羊も求めていると思うから。


「わかってるつもりだ。世界は広いってあの子が言ってた。私もそれを見にいきてぇんだ」


 白羊の顔を見る。

 綺麗な目をしていた。反面、その底には深い闇もあった。

 白羊は若いころ、ずっと世界を旅していたと聞いている。おそらく、そこでいいことも、悪いこともあったはずだ。その経験が、白羊の人間性を深め、魅力を高めているのだろう。

 そして、そんな白羊だからこそ、村に生まれ、村で一生を終える人々とは違って、暗いものも抱えていると思われた。村にいれば、人を疑う必要はない。騙される心配など、しなくてもいい。

 けれど、村の外はそうではないのだ。白羊は、人間の欲望を、村の外で知ったのだろう。

 白羊の目の底に、そういう、何か得体のしれないものを少女は感じた

 けれど、今の少女にとってそれはおそろしいものとは思われなかった。それすらも広がる世界の扉に見えたのだ。

 少女は闇を知らない。疑いを知らない。村の外を、知らない。

 だからこそ、外に、自分の知らないものにつながるすべてに、魅力を感じるのだ。

 白羊の存在は、もしかしたら、少女にとって村の外に広がる素晴らしい何かの象徴なのかも知れなかった。

 いつまでも気圧されることなく白羊の目を見つめ続ける少女の中に、今まで感じられなかった覚悟の欠片を感じ取った白羊は、ため息を吐いて、納得した。

 少女は、もう説得することはできないのだと、そう思って。

 そうして、白羊は頷きながら、話を続ける。

 白羊は、少女がなぜ、外を求めるのか、その理由を知ろうと思った。

 少女は“あの子”と言った。きっと、それが原因なのだろうと思った。

 そして、少女が言う“あの子”が誰なのかも、白羊には何となく分かっていた。

 ただ、確認のために言葉を紡ぐ。


「あの子って言うと……」

「薬師の……」

「あぁ、あの子(・・・)ね。そうあの子が理由なの……なら、仕方ないわ」


 一瞬微妙な表情をした後、諦めたかのように白羊は笑う。

 やっぱり思った通りだと、白羊は思ったのだった。

 少女はそんな白羊の様子に首を傾げるも、まぁ、いいかと納得する。

 そして白羊は少女が村を出るに当たっての具体的な話に入っていく。


「でも、分かっていると思うけど、この村を出るためにはしきたりに従い、試練を受けてもらう必要があるわ」

「あぁ、聞いてるべ。でも、一体何をやるかはしらねぇけんど」


 確かにそんな話を聞いたことがあった。

 だからこそ、村を出るための許可は村長ではなく戦士長が出すのだとも。

 という事は、戦いに関する何かが試練になるのだと予測がつくが、具体的にどういう試練があるのかは誰に聞いても分からない。

 というか、そもそもそんな試練が村を出るに当たって必要なのだと知っている者自体が少数派だった。


「まぁ、そもそも村を出ようなんて考える子はどっちかと言えば少数派だしね。こんなしきたり覚えているのは、村長か、一度村を出た私みたいなのしかいないわ」


 かつて自分が村を出たときのことを思い出しているのか、一瞬遠い目をする白羊。

 少女はそんな白羊にまるで次の出し物は何かと興行師に尋ねる子供のように、焦るように聞く。


「それで、何やるんだ? 私、出来ることなら何でもやるべ」

「まぁ、そう焦らないで。とは言っても、大変だから、準備が必要だけど」

「準備ってなんだ?」

「明日一日分の食事を袋に詰めて、もう一度、ここにきて。朝一番よ」


 白羊の言葉に、少女は首を傾げる。

 試練とは、料理なのだろうかと思ったからだ。

 しかしそんなはずがない。


「それが、試練になるべか?」


 少女の疑問に白羊が答える。


「そうよ……って、食事を持ってくることが試練なわけじゃないわよ? 明日は私とお出かけしてもらいます。森に行くから、武器も持ってくること……って貴女には必要ないか」


 少女が何か言うより早く、白羊が納得した。

 白羊は少女の戦闘の師匠の一人である。当然のことながら、少女の戦い方は知っている。


「あぁ、大丈夫だ」

「じゃあ、明日のために今日のところは早めに休んでおきなさい。きっと、大変な一日になるから」


 そうして、少女はログハウスを後にした。

 次の日に備え、白羊の言うとおりに早めに就寝した少女は、次の日の朝、雪の上に足跡をつけながらログハウスに向かった。

 肩には鞄がかかっており、そこには昨日、白羊に言われた通りの食料が詰めてある。

 朝靄がかかるなか、徐々にログハウスが見えてくる。

 すると、ログハウスの入口辺りに人影が見えた。

 少女が目を凝らすと、どうやらそこに立っているのは白羊である。

 手を振ると、向こうも振り返してきたので、間違いない。

 少女は急いで白羊のところまで行く。


「待っててくれたべか」

「うん、まぁ、そうね。久々に早起きしたら気持ち良くて、外の冷たい空気を吸いたくなったっていうのもあるわ」

「これから、どこに行くべか?」

「そんなに遠くないわよ……案内するからついてきて。食事は、持ってきたわね。こっちよ」


 そうして白羊は歩き出す。それと同時に、がしゃり、と一瞬鉄と鉄がぶつかるような音がしたので、少女が白羊を観察すると、白羊の腰に昨日は見当たらなかった武器が下がっているのを見つけた。

 それに、服装もそれほど厳重、という風には見えないが、良く見ればそれが魔物の皮で作られた丈夫なものだということは分かった。

 少女も白羊と同様で、黄道十二宮が狩猟してきた魔物の皮を使って村の鍛冶師が作りあげた逸品である対物理・魔法効果の高い服を身に纏っており、ちょっとやそっとのことでは傷一つつかないことだろう。

 実のところ、彼女たちの身に着けているものは王都で売れば家が建ちそうなレベルの品なのだが、少なくとも少女の方はその事実を認識してはいなかった。


 雪に包まれた朝の森は静かで、たまに鳥の声が聞こえるくらいだ。

 生き物の気配は感じるが、魔物は比較的大人しい時間帯であり、だからこそ、戦士としては未だ未熟な域を出ない少女でも安心して歩くことが出来る。白羊はたとえ真夜中であっても散歩をするような足取りで森を歩くことが出来るだろうから、この時間帯に指定したのは少女の実力に配慮したためであることを少女は分かっていた。


 殆ど魔物は出ないとは言え、全くのゼロという訳ではない。冬に主に活動する魔物もいる。

 たとえば、その体を真っ白な体毛で覆ったホワイトウルフや、脆い骨格を氷で覆うことによって存在の格を一つ上げたアイススケルトンなどだ。

 両方とも、決して弱くない魔物で、この辺境にはよく出現する。ホワイトウルフは群れを作り合理的に狩りをする賢い魔物であり、村をよく襲う。勿論、返り討ちにされるわけだが、群れを築き、氷属性の魔法を使い、単体としての戦闘力もかなり高いホワイトウルフはやっかいな魔物の一つだ。ただ、その毛皮は服の材料として非常に重宝される。防寒性能が高く、もともとも魔物の毛皮であるそれは、魔力を通せば剣の斬撃すらも耐える鎧となる。毎年、北の山を越えて大量の魔物が押し寄せてくる時期があるのだが、このときに確保されるホワイトウルフの毛皮は村における後の分配で結構な人気を誇る。

 アイススケルトンは、そもそも体に氷を纏う、という発想を持っている時点でただのスケルトンとは一味違う。魔法的素養があり、しかもスケルトン系の魔物は生粋の戦士であることが普通なので、そのスケルトンが体に氷を纏う魔法を使っているという事は、アイススケルトンが魔法剣士であることを示している。スケルトンは、生前の素体となった者の能力と死した場所のマナの濃さによってその存在が確定されるが、この辺境においてアイススケルトンが多いのは、比較的高レベルの冒険者が死亡することが多いこと、そしてこの場所のマナ、比較的標高の高い位置にあることが影響しているのだろう。実際、戦ってみるとかなり手ごわく、武術と思しき合理化された武具の振るい方を するアイススケルトンがいるため、油断すると危険だった。


 そんな、一筋縄ではいかない少女の村の外の森であるが、白羊はどこ吹く風で、出現する魔物を鼻歌交じりに斬り倒していく。

 腰に下げた剣は業物で、黄道十二宮(ゾディアック)になってから支給されたものらしい。鞘には白い羊の装飾が施されており、女性的で美しい。剣自体にも同じ装飾が施されてい。しかし決して見た目だけの性能の悪い剣という訳ではなく、恐ろしい切れ味と特殊能力を秘めたものであることは、白羊が振るう度、その剣から白い炎が迸っていることから理解できる。特にアイススケルトンに対する効果は絶大で、アイススケルトンの白炎に触れた部分はその直後にさらさらとした灰へと姿を変えていく。

 白羊の剣が一体どれほどの業物なのか、少女には判別できないが、あれほどの剣が中々ないことくらいは分かる。あのような、村の宝とされてしかるべき剣を信頼されて預けられる白羊。やっぱり白羊は凄い、と少女は認識を新たにした。

 そうしてしばらく森を進むと、途端に一面が半円状に開けたところに辿り着いた。半円の直径の部分には剥き出しの石壁があり、それが遠くまで続いている。


「……ここはなんだべか」


 少女が首を傾げると、白羊が石壁に近づきながら答えた。

 白羊が壁に触れると、一部分が中に押し込まれる。

 それから、ズズズ、と大きな音を立てて石壁がその形を変えていく。

 砂煙が舞い、全てが明らかになると、石壁には緩やかに傾斜する深い穴倉が開いていた。


「ここが試練の場よ。迷宮“竜錬の隧道(ずいどう)”。迷宮は知ってる?」

「ダンジョンのことだべか? あの子がたまにバイトさ行ってるって言ってた」


 聞いたことはあった。そこに潜れば常に魔物とアイテムが湧出し、資源を取り放題の夢空間であると。

 ただその代わりの賭け金は命であり、また何が起こるか分からないから死ぬ確率も決して低くはないとも聞いていた。

 そんな危険な場所が、村の近くにあるなんて……。

 少女は身震いする。

 そんな少女の姿を見て、白羊は安心させるように肩に触れた。


「自分なら大丈夫って過信するのも良くないけど、あんまり緊張しすぎるのもやっぱりだめよ。本当に危なくなったら助けてあげるから、軽い気持ちで挑戦するといいわ。試練はね、この迷宮を踏破すること。あぁ、そんなに深くないから、一日あれば大丈夫よ。とは言っても一日がかりになるけど。中には勿論、魔物もいるし、アイテムも落ちているから拾っていいわ」

「……突然だべ。こわいべ」

「気持ちは分かるけどね。しきたりだから、諦めて」


 白羊は冷たく言い放って、少女の背中を押した。

 それほど力はこもっていなかったが、少女の体は足がもつれて石壁に空いた穴倉の中まで押し込まれて、尻餅をついてしまう。

 気づいた時には、迷宮の中に入っていた。

 その瞬間、何か、薄い膜のようなものを通り過ぎたかのような感覚がした。そして、今までは無かったはずの、敵の気配が迷宮の中に感じられる。

 驚いて後ろを振り返ると、白羊は笑顔で手を振っている。


「がんばってね~」

「ま、まんだ心の準備が!」


 少女は叫ぶが、それも虚しく、少女の目には“竜錬の隧道”の入口がごごごご、と音を立てて閉じていく光景が移っていた。

 少女の中に、

 閉じ込められるのか。

 と驚愕に震える自分がいる一方で、

 前に進むしかないってことか。

 と、諦めてポジティブに考える自分もいた。

 まぁ、たとえどんなことがあろうとも、村を出たいと言う自分の気持ちに嘘偽りはなく、変更する気もさらさらないのである。

 そうであるなら、しきたりに従う限り、この迷宮を踏破する以外に、みんなの祝福されて村を出る方法はない。

 それに、村のしきたりは基本的に合理的なものである。

 意味なくこんなところに放り込むという事は考えにくい。何か、村を出る者がここに潜らなければならない意味があるのだ。

 そう考えると、少女は自分がここにいることが村を出ると言う夢に一歩近づいているような気がして、わくわくした。

 そうして心を新たにした少女は立ち上がって、迷宮の奥を見つめた。

 不思議と、内部は明るく、点々と光源が壁に張り付いているのが見える。

 燃えるような匂いはせず、魔力の供給されているのを感じるから、あれは魔力を通すことによって光を発する魔導具なのだろう。

 

 道は入り組んでいて、まっすぐではない。方向感覚が狂いそうな構造をしており、傾斜も上がったり下がったりで複雑な地形をしている。

 とは言え、少女は頭の中で地図(マップ)を作りながら進んでいたのでそれほど苦労はしていなかった。少女の村において、まず習う基本技術、地形の把握である。大まかな地形とそこにおける自分の位置については、たとえ目が回っていても理解できるように小さなころから何度も訓練してきた。だから、少女にとって迷宮の構造はそれほど難しいものではなかった。

 塗り絵を塗りつぶすように、少女は迷宮の第一階層を回っていく。

 ダンジョンや迷宮の基本的知識として、階層構造をしている、というものがある。完全な平面、ということはあまりないそうで、大体が上か下に何階層も続いていて、一番深い階層に辿り着くことによって迷宮を踏破したと見做される。このダンジョンについても、おそらくそういう構造だとみて間違いないだろう。白羊も、それほど深くない、と言っていた。ということは、深さで測れる構造をしているということだ。それはつまり、この迷宮が階層構造をしているということに他ならない。そして、外から見た石壁の構造を見るに、この迷宮は上ではなく、下に広がっているはずである。

 だから少女は、ずっと下に続く階段ないしは穴を探していた。

 迷宮であるから、当然、魔物にも出会う。目の前の魔力光が揺れて何かの影を壁に形作っていた。尖った鼻や耳、妙に等身の低い滑稽な体つき、そして三角形の帽子を被っている。


「キィキィ」

「ぐげげ」


 そんな鳴き声……のようなものが徐々に近づいてくるのを少女は耳にする。迷宮に入る前に何度も出会っているそれは、魔物の中でも最も有名な種族のうちの一つであろう。何も珍しくもない。とは言え、少女にとって迷宮で出会う魔物第一号ではある。記念すべき犠牲者に、少女は胸を高鳴らせて構えた。

 今、少女の目の前にいる彼らは二匹。一匹は棍棒を持ち、もう一匹は弓を携えていた。武器を扱うに足る知能を持っていることは確認されているが、人間の持つ文明にまで至るほどではないとされている彼ら。何となく弓を持っている方が柔らかい顔つきをしているような気がするから、あれは番なのかもしれないと少女は思う。

 けれど、だからと言って手心を加えるわけにもいかない。襲われたら襲いかえす。それが戦いの作法であるからだ。

 少女が動く前に、緑色のぶつぶつした肌をしているその魔物――ゴブリンのうちの一匹が、弓を引き絞って矢を放った。

 あぁ、戦いは避けられないのだなと少女は思う。

 少女は詠唱無しに自分の正面に魔力により構成された壁を出現させ、ゴブリンの弓矢を防御すると、拳をぎりぎりと握ってゴブリンに迫った。

 少女は武器を持たない。それは少女の武器が、己の拳であるからに他ならない。少女のクラスは武僧(モンク)であり、己の肉体と心を鍛えることにより悟りに至ろうとする者である。そのため、彼女は治癒術と、肉弾戦をその専門とする。

 したがって、少女にとってゴブリン級の魔物は通常の動物と変わりのない、弱めの魔物に過ぎなかった。

 少女は一瞬でゴブリンとの距離を詰めると、その腹に魔力の込められた拳を叩き込む。その拳は雄と思しき若干凛々しい顔つきをしたゴブリンの腹を柔らかい豆腐を崩すように貫通する。


「ぐげげっ!」


 致命傷を与えられたゴブリンは、口から紫色の体液を吐き、空中を舞ったそれが少女の顔に張り付いた。しかしそのことに少女は全く動揺せずに、それを拭おうともせず、もう一匹の雌ゴブリンももとへと跳躍する。

 まるで機械のように正確無比で無駄のない行動だった。自分の為すべきことを理解し、相手が弱いからといって油断もしない。あるべき戦士の姿がそこにはあった。

 雌ゴブリンは雄ゴブリンが倒されたことを確認する間もなく、目の前に現れた少女に驚愕の表情を見せた。少女はそれを冷たい目で見つめながら、回し蹴りを雌ゴブリンの頭部へと叩き込む。ゴブリンの体内に少女の足を媒介にして直接叩き込まれた魔力は、ゴブリンの頭部を破裂させ、その命の輝きを奪った。

 すべてが終わった時、そこにはゴブリン二匹の死体が転がっていた。

 しばらく放置していると、ほんわりとした優しい光がゴブリンの死体を包んだ。死体は発光が終わると、いつの間にかその場から消滅していた。迷宮において良く知られている現象であるが、それを初めて目にした少女は新鮮なものを見た気分で一杯である。

 ゴブリンの死体があった場所には、死体の代わりに、短剣と、低級ポーションが転がっていた。


 少女は無表情にそれらを拾って、肩掛け鞄に突っ込む。

 しかし、短剣とポーションの瓶を入れた割に、その内容量が増えたように見えない。なぜか。それはこの肩掛け鞄が非常に特殊な作りをしている品物だからだ。

 少女はそれを“あの子”から貰った。“あの子”が言うには、その鞄は自分の家に伝わる家宝であり、いくらでもものを入れることが出来ると言う“夢幻の鞄”と言われるものなのだという。

 俄かには信じがたい話だと少女は思ったが、少女の親友である“あの子”の家は村が始まって以来ずっと薬師をしている家系であり、その大本はとても力のある魔女であったと言う話を村長がしていたことがあった。だから、そのようないわくありげな魔法道具(マジックアイテム)があっても、それほど不自然ではないのかもしれない、という気がした。

 少女は“あの子”にその品を見てみたい、とせがんだ。すると少女の親友は快く見せてくれたのだ。そして本当に鞄にいくつもの品が入ることを確認して喜んでいる少女を見て、少女の親友は「そんなに面白いならあげようか?」などと言って本当に家宝だというその鞄をくれたのだ。もちろん、少女は最初、固辞して決して受け取る態度を見せなかったが、少女の親友は、別に特に大事と言うわけじゃないし、貴女が喜んでくれるなら私もうれしいよ、等と言って最後には少女に押し付けるようにくれたのだ。

 帰り道、少女は親友から贈り物をもらったということ、そしてその贈り物が村では他に見たことのない宝物だということ、の二つに心底喜び、それ以来、その肩掛け鞄は少女の宝物であると同時にトレードマークにもなっている。


 鞄に拾ったアイテムを詰め込む、詰め込む、詰め込む。

 迷宮もだいぶ進み、様々な魔物を倒し、多くのアイテムを拾った。

 低級の武具や薬品が多いが、それでもたまに村にやってくる行商人が同等のアイテムを仕入れて売りに行くと言っていたから、おそらく買ってくれるだろうと思われた。そのお金で、行商人が持っているだろう王都の流行ものの購入することを想像した少女は少しうれしくなって笑顔になる。迷宮で浮かべるにしては明るすぎる表情かもしれない。

 とは言え、まだ一階層に過ぎないのだが、と少女が現実に戻ったそのとき、目の前に大きな扉が現れたことに少女は気づいた。


「これは……なんだべ」


 そんなことを呟きつつ、少女はかつて迷宮について講義を受けたことを思い出す。黄道十二宮(ゾディアック)の中でも迷宮に詳しい者と言えば、確か金牛(きんぎゅう)だったか。

 世界中のあらゆる迷宮を踏破することを夢見た彼女は、幼少時村を後にして、ある日ひょっこりと村に戻り、そのまま黄道十二宮(ゾディアック)に居ついた。迷宮探索に人生を捧げただけあって、その実力は本物であり、彼女の収集したいくつもの伝説級アイテムが黄道十二宮(ゾディアック)の宿舎倉庫に死蔵されていると言う。

 そんな彼女の言っていたことを思い出す。


『迷宮は、おかしい』

『迷宮は親切だ。まるで、どこかの演劇みたいに、分かりやすく重要なものを提示してくれるんだ』

『たとえば、そう。ボス部屋とかな』


 などと。

 という事は……。


「ここはボス部屋、というやつなんだべか……」


 そう呟きながらも、少女は全く躊躇せずに扉に手をかける。

 その扉の巨大さから、少女の力では全く開きそうには見えないが、扉は重い音を立てながら、少しずつ開いていく。

 そして、扉が開き切ると、少女の目の前には広大な空間が広がっていた。

 円形の闘技場を模したその部屋は、しかし中心部に背を向けて誰かが立っているのみであり、観客席には誰もいない。

 少女が中心部に近づくと、その誰か(・・)は気配を察したのか振り返って少女を相対した。

 それだけで、少女は理解する。その存在が、とてつもない力を秘めた者であるということに。

 ただ、それは、人間ではなかった。

 人の形はしている。ただし、その頭部が爬虫類のものであること、そして鎧で覆われている部分以外の剥き出しの肌が、全て硬質の青い鱗で覆われているということを除いてだ。


 ――竜人間(リザードマン)


 そう呼ばれる存在のことを少女は聞いたことがあった。

 非常に高い身体能力を持ち、魔法を使うこともあるというその種族は、正確には魔物と言うより亜人よりの存在と言われることもあり、その扱いが国によってかなり差がある得意な存在である。人語を解するものもそうでないものもおり、そのことが余計に事態を錯綜させているが、なぜそのような違いが出るのか、彼らは決して語らないことでも有名だと言う。

 そんな竜人間の一体が、今、少女の目の前にいる。

 竜人間は、少女を見つめて言う。


「よう、人間。お前が試練を受ける者か?」


 どうやら、彼――と言っていいのかは分からないが、一応――は、人語を解する側の竜人間らしい。

 しかも試練のことを知っている。ということは会話してもいいだろうと少女は判断する。


「そうだべ。あんたは、竜人間(リザードマン)か?」

「あぁ。とは言っても俺は人族とは敵対してないから、そのつもりでな。今日は手伝い……と言うか、種族を代表してきた。お前にはこれから俺と戦ってもらう」

「それはどういうことだべ?」


 首を傾げる少女に竜人間は短く答えた。


「そのままの意味だ」


 どうやら、それ以上答える気はないらしい。

 そうして、竜人間は腰から剣を抜いて構える。


「ともかく、行くぞ。この後お前には二人、戦う相手がいるからな。俺との戦いはウォーミングアップだと思っておけ」

「二人? それは一体……」

「行くぞ!」


 竜人間は少女の質問を意図的に無視してかかってくる。

 突然すぎる。

 とは言え、少女も一端の戦士である。いつ襲い掛かってこられてもすぐに応戦位は出来る。

 竜人間の技量は、確かに中々のものであった。

 ただし、それはあくまでも中々、と言うレベルであって、少女の技量の前にはそれほどのものでもなかった。

 そして少女には容赦はなかった。襲われたら襲いかえす。そして命を奪う。それは少女にとって当たり前の真理である。村ではそう教えられたからだ。

 だから、例え会話する竜人間であり、人族と敵対していないのだとしても、その命を奪うことに特に躊躇は感じなかった。

 竜人間が少女に剣を振り下ろそうとしたその瞬間、少女は竜人間の懐に素早く潜り込み、魔力を込めた掌底を叩き込んでいた。

 その一撃で、竜人間の内臓はずたずたに引き裂かれ、竜人間は口から体液を吐く。

 どうやら、竜人間の体液は緑色らしい。ゴブリンとは違うその色に、少女は少し楽しい気分になった。

 この竜人間は魔力を使える気配があったがそれを使用しては来なかった。魔力を使えば自身の身体の硬化などが可能であるのだが、この竜人間はそれもせずに、あまりにも脆すぎておかしかった。まるで初めから勝つ気がないような、そんな印象があった。

 ただ、この時の少女はそのことについて深く考えなかった。のちに振り返ってそのときに少女は気づく。自分はかなり手加減をされていたということに。


「おいおい、ここまで躊躇なく……まぁいいんだが。俺の試練は合格だ……」


 呆れたような顔を一瞬した竜人間はそう言って地面に倒れ伏す。

 そしてその呼吸が止まったその瞬間、竜人間の体から光の玉のようなものが浮かび上がり、少女の体の中へものすごい勢いで入っていった。避ける間もなかった。

 光の玉が入った瞬間、お腹が急に強い熱を発した。そしてそれは徐々に収まっていき、最後には何の異常もなくなった。


「……なんだったんだべ」


 首を傾げた少女は、そうしてその部屋を後にする。

 入口と反対の向きに入口と同様の扉があり、少女はそこから部屋の外に出た。すると小さな小部屋があって、そこから下の階層への階段が伸びていた。少女はゆっくりと警戒しながら二階層へと降りていく。その先に、何か楽しいものがないかと思って。


 二階層も一階層と同様に探索した。魔物もおり、アイテムもかなりの量を回収したが、一階層とは異なりボス部屋はなかった。そのため、階段を発見してすぐに三階層に降りる。

 三階層には、一階層の竜人間がいたところと同じような扉がまたもや鎮座していた。

 それを開くと、今度は巨大な闘技場にふさわしい威容を誇る存在がそこにはいた。


「……ファイアドラゴン!」


 少女が感嘆と共にそう叫ぶと、真っ赤な鱗に覆われた巨体が振り返って少女を見つめた。その額には一本の角が生えている。

 ドラゴンは一般的には喋らないとされている。それは声帯を持たないため、発声が出来ないからだ。知能は人間を超えるとされているため、人語は理解するが、話すものは殆どいない。古代より生きる少数の古竜が、風の魔法を応用して会話をするくらいである。そしてそんなものには滅多にお目にかかることができない。

 しかしことこの場所は、その滅多にお目にかかることが出来ないところらしかった。

 その赤い竜は、少女に対して深みのある声で話しかける。


「全くどうしてこんな小さい嬢ちゃんが試練など……しかし似てるのう。“あの娘”があの村を大事にする気持ちが分かるの。さて、嬢ちゃんや、試練などやめにしないかね?」


 知性と優しさを感じさせるその声は、とてもではないがドラゴンのものとは思えない。近所のおじいさんのものだと言われたほうが信用できる。ただ、この場において声を発することが出来る存在は、少女とそのドラゴン視界のである。少女はドラゴンの質問に答えるべく、口を開いた。


「それはできねぇべ。私は外にいくんだ。そして世界を見る!」

「ほほう……好奇心かね。それも、よかろう。しかしその前にお嬢ちゃんは儂と戦い、勝たねばならぬ。その覚悟が嬢ちゃんにあるのかな?」


 ファイアドラゴン、しかもその古竜はこの世界においても上位の存在だ。それに勝つ、というのはいくら少女でも難しい話である。

 しかしそれでも、少女は諦めるわけにはいかなかった。

 だから、言う。


「覚悟は、ある。私はそのためにここにきたんだ。だから、誰が相手だろうと、私は戦う!」


 そうして、少女はファイアドラゴンの足元まで恐れずに跳躍し、拳を叩き込んだ。しかし、固い。あの竜人間の体が豆腐なら、こちらは岩のようである。


「ほほう。かゆいのう」


 余裕なのか、ドラゴンはそう言うだけで、特に反撃しようとはしない。

 少女はそれならそれで構わないと拳を叩き込み続けた。

 そうして、どのくらいの時間が経っただろうか。

 少女の魔力はとうとう空っぽになってしまう。

 ドラゴンは言う。


「もう、やめにするかね?」


 少女の状態を正確に見抜いたドラゴンは、そう提案する。

 これ以上続けても少女に勝ち目がないことは明らかだった。

 だから、もうやめて帰れと、そう言ったつもりだった。

 しかし少女は叫ぶ。


「駄目だ! 私は、絶対に、やめるわけにはいかねぇ!!」


 びりびりと、闘技場を少女の声が揺らす。

 今にも体力と魔力が尽きそうな少女の出す声量ではなかった。

 老いたドラゴンはその少女を見て、笑う。


「ふっふっふ……嬢ちゃんは頑固じゃのう」

「そうだ。私は、諦めねぇ。ぜったいにだ」

「そうか……では、儂が諦めよう」


 唐突にそう言ったドラゴンは、額を地面に勢いよく叩きつけた。

 すると、ドラゴンの額から生えていた角が根元から折れる。

 ファイアドラゴンの角は、その生命力の元である。外界からマナを吸収し、自らの力とするから、ファイアドラゴンは無限の魔力と寿命を持っている。

 それを自ら折ったという事は、自殺したも同様で……。


「何をしてるんだ!」


 少女が叫ぶ。それは嬉しいことのはずだった。ドラゴンが負けるなら、それは少女が勝ったということだから。

 けれどこんな幕引きは、納得が行かなかった。だから叫んだ。

 しかしドラゴンは言う。


「ふ。勝ち負けなど、そもそもどうでもよかったんじゃよ。嬢ちゃん、儂らにとっては、嬢ちゃんの存在が大切じゃ。嬢ちゃんが試練を終えるためにはハントも儂も一度敗北せねばならんからのう。それにしても、よく似ている……フェルミエ嬢ちゃんに……」

 

 ドラゴンはそうして、目を瞑る。生命の輝きが消えた。

 ドラゴンの亡骸から、大きな光の玉が浮かび上がり、少女を包む。

 竜人間のときよりずっと大きく強い光だ。

 そんな光に包まれた少女は、自分の体が焼ける様に熱くなっていることに気づく。しかし、少女はそれを耐えた。いつまでも続きそうなほどの苦しみの中、少女はその熱さが、なぜ生じているのかわかった気がした。

 竜人間、それにドラゴンの中の魂が、自分の体に同化したのだと、そう思ったのだ。

 そうして、気づいたころには体の熱さは引いていた。

 ドラゴンの亡骸もまた、そこにはもう存在しない。迷宮の理に従い、消滅したのだろう。少女はそのことがどことなく、寂しかった。

 少女は一度、深呼吸をすると、心を新たにして先に進むことに決める。

 次は四階層だ。

 四階層は、他の階層と毛色が違い、入り組んでおらず、一本道だった。

 ただ、壁にはいくつもの絵画が飾られており、そのどれもが三人の少女たちを描くもので、一人は銀髪であり、他の二人は金髪だった。三人とも、どこかで見たことのあるような顔だ。けれど、金髪の少女など、自分を除いてみたことが無かったし、銀髪の少女もまた、見たことがなかった。

 だから、少女は気にせず前に進む。途中、小部屋を見つけたが、そこには石碑が一つあるだけだった。読むことのできない文字が書いてあり、何のためのものかは分からなかったが、花が供えられていたから、もしかしたらお墓なのかもしれない。どうしてこんなところにそんなものがあるのか分からないが、通りかかったからには何かの縁だと少し祈ってからその部屋を後にした。

 そうして、五階層への階段へとたどり着く。結局、四階層には一匹の魔物もいなかった。


 五階層は非常に単純な作りをしていた。

 階段からまっすぐ進むと、そこが一階層と三階層にあった闘技場だった。 あまりにも作りが似ているから、もしかしたら同じ道義上なのかもしれないと少女は思った。そうであれば、納得が行く。これほど広大な空間が、外側からこの辺りを見たときに確保できそうだとは思えなかった。

 おそらく一・三・五階層にそれぞれある巨大な扉は何らかの転移装置なのだろう。そしてこの闘技場に飛ばされるようになっているのだ。

 少女はそう結論付けた。

 ただ、そんなことが分かってもあまり意味はないのだが。


 五階層から転移したと思しき闘技場の中心には、やはり人が一人立っていた。

 それが誰か気づいた少女は驚きの声を上げる。


「……白羊(はくよう)!?」


 白羊がゆっくりと振り返る。

 そこにはいつもと変わらぬ微笑みが浮かんでおり、少女は間違いなく白羊だと確信して駆け寄った。


「どうしてこんなところにいるんだべ? 試練はこれで終わりけ?」


 そう尋ねる少女に、白羊は首を振る。


「まさか。試練はこれから。ここまで貴女ならたぶん楽勝だったでしょ?」

「ファイアドラゴンがいたから、そうでもなかったべ」

「あの爺さんが来たの? また随分期待されてるわね……だったら、私も楽しみにしてよさそう」


 ふふ、と白羊が機嫌よさそうに笑った。

 そして、腰に下げた剣を抜き、その切っ先を少女に向ける。

 一体白羊が何をしようとしているのか、理解しかねた少女は、しかし剣を向けられたというその動きに体の方が勝手に反応して臨戦態勢を作る。


「やっぱり貴女は優秀よね……」

「なんで剣を私に向けてるだ? 白羊」

「それは今から私と貴女が戦うからよ?」


 何を当たり前のことを言っているのかと首を傾げる白羊に、自分の方がおかしいのだろうかと一瞬混乱する少女。

 けれどやっぱり白羊の方がおかしい、と思った少女は質問する。


「白羊と戦うことが、試練ってことなのけ?」

「そうそう、そう言うこと。私と戦って、貴方の器を見せること。それが試練。……やめる?」


 こてり、と首を傾げる白羊。その姿は美しく、可愛らしかった。とてもではないが、剣を構えて殺気を放つ歴戦の剣士の仕草とは思えない。

 ただ、少女も気合では負けていなかった。白羊の放つ魔力と殺気を跳ね除け、少女は言う。


「やめるわけないべ。じゃないと、さっきのファイアドラゴンや、竜人間(リザードマン)に申し訳がないべ!!」


 そう、自分は命を奪ったのだ。自分の夢のために、それを遮る竜人間とファイアドラゴンの命を。そしてそれを自分のものにした。

 それはつまり、その夢をあきらめるという事はその命を無駄にするという事に他ならない。

 そういう意思を、少女は白羊に示したつもりだった。

 ところが、白羊は少女の言葉を聞き、意外な反応を示す。


「……? あぁ、そういうこと(・・・・・・)。そうよね……あぁ、確かにそうだったわ、私も……」


 一瞬不思議そうな顔をした後、納得の表情を浮かべる白羊。

 そして少女には聞こえない声で「それって勘違いなんだけどな~」と呟いた。

 そんなこととは露知らず、少女は拳を構える。

 それを見ながら、気を取り直した白羊は剣を構えなおし、言った。


「じゃ、今から試合開始ね。いくわよ~」


 柔らかい語り口調とは異なる、鋭い突きが少女を襲った。

 白羊は黄道十二宮(ゾディアック)の中でも、破壊力よりはスピードに重きを置いている戦士だった。勿論、だからと言ってその一撃に力がこもっていないわけがなく、あくまで黄道十二宮(ゾディアック)の中では、と言うにすぎないのだが。


 気づいた時には殆ど目の前にまで剣の切っ先が来ていた。

 少女は上体を逸らし、そのままバック転をして白羊より距離を取る。

 しかしそんなことをしていれば、次の瞬間に白羊が迫っていることも想定できた。

 体を回転させながら、魔力壁を展開し、一瞬でも白羊の斬撃を留めるべく対応する。


「あら?」


 その対応は功を奏し、白羊の剣の速度はほんの少し、魔力壁の抵抗により減衰させられた。とは言え、魔力壁は白羊の斬撃が当たるとほとんど同時に破壊されてしまった。

 大猪(ビッグボア)の突進すらも防ぐ自身のある少女の渾身の魔力壁だったのが、それがあの程度しか効果がない。

 これが村最強の戦士の力なのかと少女は驚愕する。いつか自分があそこまで昇ることの出来る可能性があるなど、冗談ではないかと言う気がしてくる。

 反撃に出たいが、その瞬間に潰される。魔力壁を張ってもすべて一撃で破壊される。いや、一撃で二、三枚破壊される。

 これでは勝つなどという前に戦いにすらなりはしない。

 少女は焦る。

 ファイアドラゴンとの戦いから回復した魔力ももうほとんどが魔力壁と白羊の攻撃から逃げるための身体強化で使い果たしてしまっている。

 もってあと数秒。

 少女は、そこでリスクを踏むことにした。

 魔力が切れたら勝ち目どころか攻撃を避けることすらできない。

 だったら今ここで、


「真っ向勝負だべ!」

「あら?」


 そう叫んで、少女は白羊に向き直った。そして逃げようとはせず、そのまま拳を白羊に向けて放つ。

 渾身の力を込めた拳だった。通常の魔物や人間なら、触れただけで爆散しかねない。そんな拳だった。

 けれど、


「うーん、まだまだねぇ」


 相手は化け物だった。白羊は少女の拳を素手で止めると、そのまま自分の剣を振りかぶる。


「ここまでかしら?」


 剣を振り下ろしながら、そう呟いた白羊の声が響いた。

 手加減など一切ないように思えた。

 だから、少女はその瞬間、死を覚悟しようとした。それほどの一撃だった。魔力ももうない。足も動きそうもなかった。


 けれど、まだ何か出来そうな気もするのだ。

 あの竜人間を倒したとき、そしてファイアドラゴンを倒したときに宿った何かが、お腹の中で熱を発していた。

 これは、何?

 魔力とは違う、暴力的な力を感じた。

 これを扱えれば、もしかしたら、なんとかなるのではないか。

 これこそが突破点なのではないか。そんな気がした。


 だから少女は、その力をこの土壇場においてどうにか扱おうと、その力全てを開放し体にめぐらせることにした。


 少女を冷たい目で見ていた白羊の瞳に、感嘆が宿る。

 少女の何かが今変わったことを理解したからだ。

 ただ、剣は止めない。今の少女なら、なんとかしてくれそうな、そんな気がするから。

 少女は白羊の瞳の向こうで、すでに動き出していた。

 魔力を込めていた今までとは違う、もっと強大な何かが込められた拳が、白羊に向かっていた。

 剣と拳は、徐々に近づき……しかし、ぶつかり合わなかった。


 何者かが、白羊と少女の間に入り、剣と拳を片手(・・)で受け止めていた。口にはキュウリが加えられており、その独特の匂いからしておそらく漬物だろうと思われた。

 場違いにもほどがあるが、その人物はキュウリをもぐもぐ食べ終えてから言った。


「……はい、すとーっぷ! 竜術覚醒確認……っと。よし、竜術極師エルフローネ・ベルンシュタインが認証する。汝、竜道を歩む者。その道の先に、幸いあれ……っと」


 キュウリはうまい!と言いながら、あっけらかんとした雰囲気の黒髪の女が笑っていた。

 何か、聖句らしき言葉を適当に述べて少女の頭に触れると、少女の体がぼんやりと光を帯び、そして吸収されていった。漬物臭かった。


「今のはなんだべか……?」


 少女は特に漬物女に突っ込みは入れずに、首を傾げながら自分の体を確認する。

 さっぱり、何も変わっている気がしない。けれど、今なにかが変化したのは間違いないと思った。

 そう思って意識を集中して見ると、体の奥底から湧き上がる、暴力的な力の存在を感じた。今まであった魔力のぼんやりと暖かな感覚とは違う、剥き出しの力、という感じだ。さきほど引き出した、力。それが今安定的に体の中に存在しているのを少女は感じた。


「それは、竜の力だよ。ハントとガル・リサの力を取り込んだでしょ? うちはどっかの品のない不死王とか亜神エルフの親分とかと違って、段階を踏んで竜道に入ってもらうからね。いきなり体つくりかえられたりしたら普通、やばいじゃん」


 漬物女がどこかから新たに漬物を取り出しながら、そう言った。今度は茄子の漬物である。

 竜の力?

 それが本当だとして、なぜそんなものが自分の中にあるのかが少女には理解できなかった。そんな存在と自分は縁もゆかりもないのに、どうしてなのだと。

 そんな少女の困惑をよそに、女は少女の顔を引っ掴んで少女の目を覗き込んだ。


「ほほほう。きっちり竜眼になってる~。おもしろ~い」


 ぞっとした。女と目があったとき、少女はその女の深みを知った。

 白羊も、その瞳の奥には確かに闇があった。けれど、それは理解できるものだった。苦しみ、憎しみ、そういうもの。そんなものは誰だって抱く。

 けれど、その女の目の奥にあるものを、少女は知らない、と思った。

 まるで、自分とは遠く離れた何者かにすべてを覗き見られているような感覚。

 丸裸で猛獣の前に投げ出されたような、そんな気分が少女を襲ったのだ。

 女は少女がそんな風に怯えているなどと露知らず、あっけらかんとしていいる。そして、


「ちょっと待ってね」


 そう言って、少女たちを放置して物陰に走っていった。

 姿が見えなくなり、しばらくしてから、どこか遠くで巨大な生き物が動く様な振動が襲った。

 それから、


「いったーい!!」


 と、いう叫び声が聞こえたと思うと、またもや巨大な生き物がのた打ち回るような激しい振動がした。

 それが三度続いた。

 そうして、静かになると、戻ってきて、


「はい、これ餞別」


 と言って、彼女が何かを差し出した。

 少女が不思議そうにしていると、彼女は説明を始めた。


「これはペンダントだよ。このペンダントトップは、竜の牙。沢山魔力がこもってて、いざって時に役に立つから、いつも首から下げてるといいよ。こっちは、竜の鱗。二枚あるから、王都に行ったらこれで武器を作ってもらいなよ。王都の鍛冶師には知り合いがいるから、あとで連絡先教えてあげる。それと、お金はベルンシュタイン姉妹が払いますって言っておいて。だから貴女はお金の心配はしなくていいよ」


 一息に言った後、じゃ、私の仕事はこれで終わりだから!


 と言ってその漬物女は去っていく。

 後には白羊と少女が残された。


「どういうことなんだべ……?」


 少女が白羊に聞くと、白羊は答えてくれた。

 ここは竜錬の隧道。村の人間が、村の外に出るとき、その身を守れるように新たな力を付与してくれる場所なのだと言う。

 そしてその力とは、竜の力。

 少女が今手にしている、魔力とは異なる力のことだ。


「まぁ、別にここでどうこうしなくても、私達は(・・・)目覚めてしまうものらしいけど。より安全に、ってことでこんな方法になっているらしい(・・・)わ」


 白羊の言い方はなんだか伝聞調で、はっきり理解している様子ではなかった。そのことを聞くと、


「まぁ、いずれ貴女も知ることになるでしょう。村は、いつ出るの?」

「で、できるだけ早く出たいとおもってる……」

「みんなにはお別れ、ちゃんと言いなさい。それとね、一つだけ言っておくわ」


 何を言うのだろう、と少女が首を傾げると、白羊は言った。


理解(・・)したら、一度村に戻ってきなさい。説明してあげるから。黄道十二宮(ゾディアック)は、そう言う集団なのよ」

「……よくわからないべ」

「今はそうでしょうね。いつまでもそうかもしれないけど、まぁ、貴女の目的はその髪のことを知る事でしょう? だったら、いつか分かるわよ」

「何か知ってるのけ?」

「村で調べても多分、納得できないわよ。それこそ、世界は広いの。それを知って、調べて、考えて、全てはそれからね。それに、貴女の友達のことなんだけど」

「あの子がどうかしたか?」

「魔法学院に行ってるから、貴女も行ってみたら? ちょうど村の外を知るにはいい環境だと思うわよ」

「でもお金がかかるべ。そんなに蓄えは」

「迷宮でいろんなもの拾ったでしょうが。全部売れば相当な金額になるわよ。路銀は村で餞別がてら出すことになってるから、その鞄に詰め込んだアイテムは全部王都で売り払うといいわ」

 

 そうして、少女は白羊に言われた通り、王都に行き魔法学院に行くことに決めた。

 村を出る日の前日、村民全員で送別会をしてくれた。いつでも戻って来いと、みんなが言っていて、少女は少し泣いた。

 王都では、まずアイテムをすべて冒険者ギルドに持ち込んで売り払ったが、相当な金額になり、少女は目を剥くことになる。

 それを元手に宿に泊まり、魔法学院の編入生試験を受け(白羊のコネらしい)、そのまま学院に入学した。試験は難しく、筆記はそれなりだったと自負しているが、魔法実技では好成績を収めたのでそれで埋めてなんとかなった。

 そして、その後、色々あり、ドラスニル兄弟と、スラム育ちの少年剣士と共に対抗戦に向けてパーティ組むことになった。

 思い出せば、早馬にのって駆け抜けたような日々であったと少女は思う。


「昔の恋人……それはありうるかもしれませんわね」


 ぼんやりと物思いに耽っていた少女の意識の向こう側で、ドラスニル妹の深い納得の声が聞こえた。

 休日にパーティで一緒に買い物をしていたのだが、少年剣士が突然、誰かを見つけて飛び出して行ってしまったのだ。

 そのことについて、少女は昔の恋人なのではないかとの意見を提出したのだが、ドラスニル兄妹がその意見を聞き、合議を重ね始めたのでぼんやりと物思いに耽ってしまったのだ。


 ドラスニル兄が言う。


「恋人か……貴族には遠い言葉だが、まぁ、結婚してから好きになることもあるからな。俺はそれに期待しよう」


 そこそこ大きい家の跡継ぎであるドラスニル兄は貴族であるから、そこに恋愛結婚は存在しない。だからこそ、遠い言葉だとの話だ、それもまた仕方のないことだろう。ただ、全く諦めているわけではないようで、確かに結婚してから愛が生まれることもあるかもしれない。


 そんな中、ドラスニル妹が突然思いついたかのように、パーティに提案した。


「ねぇ、二人とも。あの子を、尾行しませんこと?」


 それはつまり、出歯亀である。あまりいい趣味とは言えないが、この年齢において他人の恋愛事情と言うのは気になるものだった。

 村ではそのような浮いた話一つなかった少女であるが、気にならない訳ではない。ドラスニル兄も、妹の提案に対し、それはよくないことだぞと目で訴えているが、それでも興味は隠し切れておらず手が落ち着いていなかった。


「もちろん盗み聞きしようだとまではいいませんわ。ただ相手がどのような娘なのかちょっと確認するだけです。それならよろしいのではありませんの?」


 確かにそれくらいなら、という気がしてくる。

 少女とドラスニル兄は目を合わせると、頷き合って意思を固めた。

 その様子をみたドラスニル妹は、よし、いきましょう! と拳を握って天に振り上げる。

 今ここに、少年剣士覗き隊が結成された瞬間だった。


 しかし、実際に少年を追いかけようと店を出た瞬間、巨大な爆音が、王都の正門の方角から響いたのを三人は耳にした。

 見ると煙が上がっており、何か大事が起きたのだと一瞬で分かる。

 しばらくしてそちらの方から人が押し寄せる様に逃げてきたのを見て、ドラスニル妹がそのうちの一人を引き留めて詰問した。


「何がありましたの!?」

「魔物だ! 魔物が攻めてきやがった!」


 その男はそう叫んで、そのまま王都の中心部、城の方へと走り去っていく。

 こういう場合、魔法学院の生徒のすべきことは、決められていた。

 まず、魔法学院に行き、状況を確認、そのうえで王都の正規騎士団と魔術師団の補佐ないし補充として魔物の掃討および住人の避難を手伝う。

 三人は目くばせをし合って、魔法学院の方へと走り出した。

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