第10話 高慢姉強し
爆炎が闘技場全体を侵食するように広がり構える四人の学院生を飲み込んでいく。
彼らは目を見開き、慌て、何も取るべき手だてが存在しないことを悟ると諦めたようにその状況を受け入れた。
いかなる絵具をもってしても描けないその美しい赤炎に容赦の二文字は存在しない。
それは、ただ術者の敵の尽くを焼き尽くし抹殺せしめることにこそ存在意義を持つ絶望的な炎だった。
やがて闘技場内のすべてを飲み込んだ炎が消え、煙も霧散すると、闘技場に焦げ臭い匂いが立ち込める中、地面に四体の焼死体のような物体が転がっているのが見えた。その物体を妖艶な目で見つめる、高慢姉。なんとも似合いすぎる光景と言うかなんというか。
それを見ながら私の後ろでぶるぶると震えているのは、灰髪少女、金髪天使少年、それに黒学者少年だ。
私たちは闘技場を見下ろすような位置に広がるアリーナの上でその戦いを見物していた。
周りには私たちと同じような見物客――その殆どが学院生徒だが――がいる。
彼らは口々に「ありゃ勝てねぇわ」「俺今期は棄権する」「あれで死なないってんだから拷問よりひでぇよな……」「誰だよ大穴とか言ったの。有り金全部スッたぞ!」などなど、戦いに勝利した側に対する称賛と驚愕を表している。
対する私も似たような気分でいた。
いや、これほどまでは思わなかったわー、と。
闘技場で繰り広げられていたのは例の学院対抗戦の予選である。
戦っているのは言わずもがな。
高慢姉である。ちなみに勝ったのが姉、負けた方は昨年の準優勝者らしいのだが、始まって三十秒もたたないうちにこの有様だ。
高慢姉の予想外の実力に驚いてる次第である。
黒焦げの前準優勝者パーティの面々は今、担架で運ばれているところだ。黒焦げでどう見ても焼死体なのだが、彼らはまだ死んでいない。それどこか医務室に行って治癒術師に魔法をかけてもらえば五体満足で蘇るのである。この闘技場内にはここで死ぬほどの怪我を負っても、その日のうちに治癒してもらえば全快するという謎の効果があるのだ。どう考えてもオーバーテクノロジーなその技術だが、まさに人間にとってはオーバーテクノロジー以外の何物でもない。闘技場のその謎効果は闘技場脇にある真っ黒い箱のような物体が生み出しているのだが、この闘技場自体が数千年前の遺産であり、発見された当初からこの効果が存在していた。人間にはその効果は未だ分析できておらず、そのまんまブラックボックス扱いである。ここ以外にもいくつかそのような設備があり、そのいずれも人間の訓練に利用されている。ここのように学院の設備として使われていたり、また国軍の兵士の訓練に使われたり、などである。誰が何のために作ったか、なんていうのはもはや言うまでもないことだ。とにかくこれだけは言っておこう。ゴブリンってすごいねと。
そんなわけで学院対抗戦はこの闘技場で行われるのだが、学院生徒の人数などから見て結構な長期間にわたって行われる。出場者も基本的には学院生徒全員なので、二月くらいかかる。本選はともかく予選は授業中にも行われるので、自分が授業をとっていない時間帯ならこのように見に来ることもでき、なかなかいい暇つぶしになったりする。本選上位にまで上がってくるだろうと思しき生徒の試合はみんな見に来て分析したりする。いま観客席にいる人々の中には、そのために来ている者が多いが、その呟きを聞く限り、高慢姉の実力を見て諦めたりしている者も多いようである。
私もため息がつきたい。
ぶるぶる震える我が班の構成員たちを見る。
「な、なんですか、あの悪魔のような魔法は……私、死んじゃいますよ……」
「僕……暗殺者よりあの人の方がコワいです……」
「あいつの方がよっぽど魔王だろ……俺、なんで避けられてるんだ?」
などなと、ぶつぶつと言っている。
本当なら、「大して強くないから勝てるって!」と言ってあげようと思って連れてきたのだが、高慢姉の実力は残念なことに明らかに生徒レベルを越えていた。冒険者レベルで言うとBはあるだろう。数年鍛えればAになってしまうのではないだろうか。まさに天才と言うべき存在なのかもしれなかった。
大して我が班の構成員たちの実力は、灰髪少女F、金髪天使少年F、黒学者少年D、と言ったところだろうか。
「瞬殺よね……」
そうぼそりと呟く。
すると灰髪少女が「瞬殺でした!すごい強いですあの人!」と言い、金髪天使少年が「魔法一発で瞬殺ってどういうことですか!強すぎです!」と言い、黒学者少年が「瞬殺っていうレベルすら越えてるだろ!」と叫ぶ。
うん。別に私は今の試合が瞬殺だったねと言いたいわけでなく、我が班の構成員たる君らが高慢姉と戦ったら瞬殺だよね、って言いたかっただよ。でもそれを言ったら泣きそうだからやめる。きっとあれと戦うことすら想定していまい。この子たちは。今の状態じゃ予選突破すら厳しそうだもんね。我が班は。
でも君らはあれと戦うんだよ。そして勝てるようにならなきゃならないんだよ!
獅子は我が子を千尋の谷に落とすと言う。それは自分の子供に強くなってほしいと考える親心からだ。
だからこそ、私も同様の心持で君らを鍛えたいと思う。
それこそが君らの為だと信じているから!!
などと鬼のようなことを考えていたりする。
高慢姉は今の時点でAに限りなく近いBランク冒険者並みの力を持っている。つまりあれに勝つにはAランク冒険者並の実力が必要なのだ。Aランク冒険者など、大陸に10人しかいない。そこまで上り詰めたら一流を越えて超一流と呼ばれるほどの存在なのである。そこまでになれというのはどう考えても鬼だが、これはもう決定事項だ。仕方ないのである。
それに、彼らの事情を考えるとそれくらいにならないとこれから先、生きてくのは難しいだろう。
灰髪少女は自分の力で精霊を御す必要があるが、精霊魔法使いが“精霊に力を貸してもらう”段階から“精霊の力を自ら行使する”段階に至るには大体Aランク程度の力が必要だ。金髪天使少年とて、暗殺から確実に逃れるためにはどうしたって強力な力を持つ必要がある。Sランク冒険者は今のところチートはいないため、全員知り合いだが、彼らはそもそも暗殺なんかするような性格をしていない。しかし10人いるAランク冒険者の中には金次第で暗殺に動きかねない人間が何人かいる。だから彼が生き残るにはAランク並みの実力をつけるしかないのだ。黒学者少年も同じだ。闇の魔法は使いこなせば非常に強力だが、使うごとに精神を侵食されてそのうち闇自体に使われるようになる可能性がある。これを避けるためには強い精神力と強靭な肉体を持っている必要があるが、やっぱりその最低限のラインはAランク冒険者並みなのだ。
したがって彼らはどうしてもAランク並みの実力をつける必要がある。だから私が行うのは愛の鞭。愛の鞭なのだ。決して彼らを問題予防用の駒扱いしているなんてことはないのである。
だから彼らにはしっかり頑張ってほしいものだ。うん。
◆◇◆◇◆
――とはいうものの。
金髪天使少年が私に向かってくる。両手剣で私に攻撃を加えてようとしているのだがその動きは極めて大振りで避けるのはたやすい。
体を僅かにずらすと少年の振った剣は空振りし、ガラ空きになった腹に軽く掌底を加えて落とした。
金髪天使少年の後ろには灰髪少女がいた。彼女は金髪天使少年をおとりにしつつ精霊魔法を詠唱していた。見ると、その工程は全て終わっており精霊力が彼女の周辺に満ちているのを感じる。精霊力は少女の意思の力によって形を作り、そして私に向かって放たれた。風の刃に炎の球体、それに水の檻に加えて土壁まで作り上げている。複数魔法の並列詠唱をこなす彼女はなかなかに才能がありそうに感じられたが、残念なことにどの魔法も威力がひどく弱い。金髪天使少年が落とした両手剣をぶん投げると風の刃は霧散し炎の球体も掻き消え、水の檻も破れて土壁もぼろぼろと崩れ落ちた。あとは無防備な灰髪少女が突っ立ってるだけ。さてどうぶん殴ろうか。怯える灰髪少女を攻撃しようと目を向けると、彼女の周辺に闇がもわもわと現れる。
見ると黒学者少年が私に向けて使おうとしていた闇魔法を灰髪少女の防御に振り分けたようだった。途中まで詠唱していた魔法を他の構成に繋げられる臨機応変さはなかなかのものだが、ここでそれをやってしまうと自分が無防備になるということまで考えてなかったらしい。母親の愛情を受けて育ったからだろうか、厳しい生い立ちにも関わらず女の子に怪我はさせたくないという優しい心をしているようだが、今ここでそれを出してしまうのは間違いだ。彼はすたすたと近づいてきた私になすすべもなく落とされて倒れる。残ったのは灰髪少女のみ。
彼女は恐怖のあまり後ずさり、恐慌に陥る。それに伴って彼女の周囲から、彼女には扱えるはずもない巨大な精霊力の集積が感じられた。“灰髪”の面目躍如だろう。精霊が灰髪少女の意思とは無関係に勝手に魔法を構成しているのだ。そして精霊力はそれぞれ形になり私に向かって放たれる。巨大な龍を形作った炎や水、それに槍の形をした土に、竜巻のような風。どれも一撃で村ひとつくらいなら滅ぼせそうなものだ。しかし私はそれをすべて無効化して灰髪少女の頸動脈を叩く。そして少女が崩れ落ちたところで、精霊たちに対して再度のお話を始めたのだった。
◆◇◆◇◆
訓練の後、意識を取り戻した少年少女たちにお説教を始める。
「はい、みんな。何がダメだったでしょうか!」
灰髪少女が手を挙げて言った。
「全部が……」
どよーんとして完全に自信喪失、と言ったところだろう。
見ると、他の二人も同様のようで、これは説教と言う感じではないかもなぁと思う。
「いや、そこまでネガティブになんなくても……みんないいところはあったって」
なんだか気の毒になってくる。そうだよ。この子たちはこういう子たちだったんだよね。
そう思ってフォローするも、みんな「どこにもいいところはなかったですよ……」という顔で下を向いてしまう。
しかたなく、一人ひとり具体的にほめることにする。
ほめて伸ばす、これだろうと思ったからだ。
「灰髪少女はあれだよ。複数魔法の並列詠唱がなかなか良かったと思うよ。普通はできないでしょ」
「……でも威力が……」
「あー……それはおいおい上げていこう。特訓だよ特訓!」
「それに最後は精霊が暴走しちゃいました……」
「あれはねぇ。危ないよね。今後気を付けようね」
「はい……」
「次、金髪天使少年アル君」
「きんぱつてんし……?」
「あ、それはいいの。君はあれだね。全体的に弱い!」
「うっ」
「いやいや、そんな、泣かなくても……」
「うう……」
「戦略は悪くなかったけどね。灰髪少女のおとりになったんでしょう?」
「そうですが……」
「君はあれだね。剣をもっと修行しないとだめだね。これから猛特訓しようね?」
「はい……」
「んで、黒学者少年モーリス」
「学者?」
「私の印象。君は優しすぎてダメ」
「えっ?」
「灰髪少女守ろうとしたでしょう?」
「あぁ、まぁそうだが」
「その結果、君はぶっ倒れて灰髪少女が窮地に陥ったのよね」
「そうだったのか……」
「あの場面は予定通りきっちり私に攻撃した方がよかったと思うな。ちょっとくらい怪我しても死ぬよりはいいじゃない」
「判断ミスと言うやつか」
「そういうことだろうね。まぁでも、途中まで詠唱したのに他の魔法にそれを転用できるのは結構すごいことだよ。きっと伸びるから、頑張ろう」
「わかった」
そんな感じで具体的に色々褒めつつ解決策を提示していくと彼らはメモを取りながら頷いている。基本的にまじめでいい子たちなのだ。どうにかして伸ばしてやりたい。
しかしそれぞれタイプが全然違うのである。私が一人で教えるのはどうも効率が悪そうで避けたい気がしていた。
まぁ、そうだな。
人脈を果てしなく使って鍛えることにしようか。
そう思った私はとりあえず知り合いに連絡を取ろうと、その日は解散することにしたのだった。