V.仁義なきチョコ作り
「んじゃ、早速始めようか。言っとくが、このオレに教わっておきながら無様なものを作ったら承知しないからな」
オレの宣言に絵理はゴクリと唾を飲み込んだ。一瞬怯んだように見えたがすぐに瞳の輝きを取り戻す。
「元よりそのつもりだ。至らないところがあれば遠慮なく指摘して欲しい」
なぜか絵理は『必勝』と書かれた鉢巻を取り出し、自分の額に巻いた。おそらく気合を入れるためだろう。
「さあ、どこからでもかかってくるがいい!」
絵理は片手鍋とゴムベラをまるで二刀流の剣のように構えて気合と共に言い放った。
かなり間違った光景だが、今この場にはこれに突っ込む者は誰もいない。
「いい覚悟だ。じゃあ、まずコーンスターチを取ってこい」
「へっ!?」
オレの口から出た言葉が予想外だったのか、絵理は虚を突かれて固まった。
「料理長に頼んで分けてもらってくればいいだろう」
「いや、しかし、何故コーンスターチなど」
「使うからに決まってるだろうがヨォ! オレが行ってもいいが、その間に下準備やら何やら済ませられるのか? ええ?」
「……できません」
素直で結構。
「じゃあ行って来い。その間に下準備をしておいてやる」
「はいっ!」
絵理は片手鍋とゴムベラを装備したまま母屋の方へと駆け足で向かっていった。その間にオレはコーンスターチを敷き詰める型を準備する。この型というのは何でもよくて、コーンスターチを敷き詰められるなら何でもいいのだ。
タルト用の型があったのでそれを使うことにして、次はグラニュー糖、水飴、水の分量をそれぞれ量り、こちらに残っていた片手鍋に投入した。加熱するにはまだ早いのでそのままにしておく。
ブランデーを量ってボウルに入れ、後の手順で使う器具を全てそろえ、すぐに使えるように並べた。
冷却用の濡れ布巾を準備し終えたところで絵理が戻ってきた。
「取って参りましたッ!」
武術の稽古のときのノリなのか、完全に口調が敬語になっている。
「よし、じゃあそれをそこのタルト型に敷き詰めて平らに慣らした後、低温のオーブンで湿気を飛ばすんだ。この作業をしっかりやらないと失敗するから気をつけろ」
「はいっ!」
オーブンが電子レンジと一体型でなかったことが幸いした。
元気よく返事をしたものの『低温のオーブンで加熱』というところで早くも絵理は躓いた。使い方が解らないらしい。
オーブンの使い方を教えながら、コーンスターチの敷き詰められたタルト皿を加熱した。しばし時間がかかるので、その間に窪みを作る凸版を用意する。
絵理が用意した型抜きチョコ用のハート型があったので、それを使って窪みを作った。
あまり大きなものだと作業効率が悪くなるため使えないのだが、今回用意してあったものは幸いにも一口サイズ用のものだった。
さて、ここからが本番。さっき用意した糖類を110度まで熱し、ブランデーと混ぜ合わせなければならない。
火からおろしただけでは温度が上り続けてしまうので、濡れ布巾を使い鍋底の温度を低下させてやる必要があるのだ。
加熱を絵理に任せるのは無謀なので、説明しながら自分で作業をした。
温度計がなかったが温度を見た目で判断する事などオレにとっては造作もない。
火からおろし濡れ布巾で鍋底を冷やして鍋を絵理に手渡した。
「よし、これをブランデーと混ぜ合わせればいいのだな!」
なぜかずっと装備していたゴムベラを勢いよく振り上げた。よほどお気に入りなのだろうか。
「まさかとは思うが、それで混ぜる気じゃないだろうな」
「む。駄目なのか?」
「糖度ってのは繊細なモンなんだヨォ! ゴムベラで撹拌なんぞしたら大失敗の元だボケェ!」
「申し訳ありませんッ!」
オレが活を入れると、絵理は縮こまって謝った。
「では、どうやって混ぜたら……」
「簡単だ。糖液を静かにボウルに移したら、またボウルから鍋に移すんだ。これを何回か繰り返せば自然に混ざる」
「畏まりました」
「んじゃ、やってみろ。静かに、だぞ」
「はい」
絵理は殊勝に頷くとおそるおそる糖液をボウルに注いだ。移し終えただけで大量のエネルギーを消費したらしく、大きく息を吐いた。そしてまたブランデー入りの糖液を鍋に移し入れ、無言で息を止めたままこの作業を繰り返していた。
あんなにおっかなびっくりやる必要はないのだが、気を抜いて雑になってしまうよりはいいだろう。
混ぜ終わる頃には、絵理はすっかり消耗していた。
肩で息をつき、激しい組み手を終えた後のようになっている。極度の緊張状態のまま作業をしていたのだろう。
この後はこれを水差しに移し、さっき作ったコーンスターチの窪みに流し入れ、上からもコーンスターチを茶漉しで振り掛けるだけだ。
注意してやらないと一気に糖液が流れ込んで型から溢れてしまうので、消耗しきった絵理には難しそうだ。
そんなわけでこの作業も自分で行い、絵理には仕上げの振り掛け作業を担当してもらう事にした。
……重要な部分はほぼオレがやってしまったような気がするがまあいいか。
これで作業はいったん終了。後は糖化するのをひたすら待つだけだ。
チョコでのコーティング作業はまた後日。バレンタインまでにはちゃんと間に合いそうだった。
「よし、これでひとまず終わり。後は寝る前に一度ひっくり返せば、朝にはもうできてるはずだ」
「……終わったの、か?」
「工程の半分ってところかな。明日学校から帰ったらテンパリングから何から全部教えてやる。ちゃんとマスターしろよ」
「電波リング? 何だその奇怪な代物は」
「……テンパリング。意味は自分で調べろ」
「もしやそれがチョコ作りの秘訣なのだな。解った。明日の作業までにはきちんと調べておく」
ちなみに、テンパリングというのはチョコレートを温度調節して結晶を整え、口当たりを滑らかにする作業だ。これがうまくいっていないとざらついていたり、口溶けの悪いチョコレートになってしまう。
ただ、これさえマスターしてしまえばデリケートなチョコ菓子も思いのまま。面倒な作業だが挑戦してみる価値はある。
正直、一度や二度でマスターできるほど簡単ではないのだが、意気込みというのは重要である。
予習を促した甲斐もあり、チョコを直火にかけて変質させるという真似はもうやらなくなった。
微細な温度調節にはやはり四苦八苦していたが、これをあっさりクリアされてもオレの立つ瀬がない。
オレも直接手伝い、何度か繰り返してようやく満足のいくものができた。多少時間はかかったが、スタートがレンジ爆発と鍋丸焦がしだということを考えたら、たった二日でよくここまで成長したものだ。
前日に作ったブランデーボンボンにテンパリングをしたチョコレートをコーティングして、完成。完璧なブランデーチョコボンボンが出来上がった。
後はラッピングして当日に渡すだけ。
絵理は出来上がったチョコレートを不思議そうに眺めていた。オレに手伝ってもらったとはいえ、自分で作ったという事実がまだ信じられないらしい。
「せっかくだし、味見してみるか?」
「……いいのか?」
「いいも何も、渡す前にちゃんと味見は必要だろ」
オレは苦笑して完成したばかりのチョコを一つ絵理に手渡した。
「……おいひい」
中に入っているブランデーのせいなのか、赤くなった顔で絵理は呟いた。
「陣も食べてみりゅといい。納得できりゅ味になっていりゅか判断してくりぇ」
どうやら絵理は酒には弱いらしい。未成年なのに酒豪だったらそれはそれで嫌だが。
「大丈夫かよ。ろれつ回ってないぞ」
絵理は二人で作ったチョコを一つ、オレの口元まで持って来た。手では受け取らず、そのまま口で受け取った。
ハート型のチョコが口の中でほどけてアルコールの熱い味が広がる。
甘く甘く、熱い熱いチョコレート。
体が火照り、そのままとろけてしまいそうだ。
「……まあまあかな」
嘘である。
美味い。
めちゃくちゃ美味い。
二人で作ったチョコだと思うと更に美味い。
青司なんぞにくれてやるのは惜しいが、そのために作ったのだから仕方あるまい。
オレと絵理の愛の結晶を食って悶絶しやがれクククフフフアハハハハハ。
「陣、何をそんなにニヤついているのら」
絵理が不審そうにこちらを見たが、そんな事は気にならないくらい気分が良かった。
「いや、やっぱ手作りのチョコは美味いなって思ってね」
オレは数日前とは正反対の見解を述べ、幸せな気分のまま暫く絵理の顔を見つめていた。