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IV.彼女のヒミツ

 青司と別れ、迎えに来た高級車に乗り込んで帰路に就いた。絵理は何だかそわそわして落ち着きがない。屋敷に着くとそそくさと自分の離れに引っ込み、机の上に置いてあった箱の中身を確認し始めた。

 明らかに様子がおかしい。

「絵理サマ。何をしていらっしゃるんですか?」

 オレが絵理の背後から声をかけると、彼女は文字通り飛び上がった。その動きがあまりにも小動物的で型通りだった為、思わず噴き出してしまいそうになった。

 だか狼狽したのも束の間、絵理は勢いよくこちらを振り向きざまに言い放った。

「おのれ何奴!」

 お前は襲撃を受けた武芸者か。

「何奴と言われても。この離れに常駐してるのはオレくらいしかいないだろ。

 なあ絵理、お前さっきからおかしいぞ。目は泳いでいるし挙動不審だし」

「きょ、挙動不審とは何事か!

 私はいつも通りだ。陣こそ、背後から気配を消して忍び寄り一体何をするつもりだったのだ!

 世が世なら振り向きざまに切り捨てられても文句は言えぬのだぞ」

 絵理の時代錯誤な発言はいつもの事なのでこの際気にしないことにして。問題は一体何故彼女はこんなにも平静を失っているかという事だった。

 絵理は机の上の箱を背中で隠すような格好でオレを睨んでいる。

 顔が真っ赤になっているのは驚かされた恥ずかしさのせいだろうか。

「で、その後ろに隠してるものは一体何なんだ」

「う……。気にするな」

「お前なあ。その発言は気にしてくれと言っているようなもんだぞ。まさか、闇ルートからやばい物でも取り寄せたんじゃないだろうな」

「私がそのような事をするわけがなかろう! これはれっきとした合法品だ!」

「じゃあ見ても問題ないよな?」

「いや……。それはその……。プライバシーの侵害に当たるから残念だがお引取り願おう」

 プライバシーときましたか。そう言われるとますます気になる。

 オレは絵理に近付くと、肩越しに後ろの箱を覗き込んだ。

「こ、こら! 勝手に見るでない!」

 絵理は慌てて箱の蓋を閉めようとして手を滑らせ、箱が机の上から床へ逆さまに落ちた。

 箱から飛び出してきたのは大量の高級チョコレート。ラッピングされたものではなく、製菓用のチョコレートだった。

 チョコレートに紛れて『NAPOLEON』と銘打ったブランデーの瓶も転がり出てきた。

 ……これって確か五万円位する酒だったような。

 絵理は慌ててチョコレートをかき集め、ナポレオンの瓶を掴んであたふたと箱にしまいこんだ。

 絵理は息をつくと、オレに向き直り、厳かに告げた。

「見られてしまったからには仕方がない。陣。この事は他言無用ぞ」

「……たかがチョコで一体何を深刻になってるのか知らんが、別に言いふらしたりしねーよ。おおかた、バレンタインの手作り用だろ」

「……うむ」

 絵理は顔を真っ赤にして小さく頷いた。いつもの物怖じしない彼女からは考えられないほどの可愛い仕草で、思わずオレまで赤面しそうだった。

「しばし給湯室にこもって作業をする。私の作業が終わるまで、適当にくつろいでいてくれ」

 言外に「お前は引っ込んでいろ」と言われてしまい、少々困ったが仕方がないので書斎の本でも読んでいることにした。

 箱に入っていたベルギー製のクーベルチュールチョコレートは下準備が少々面倒だが、うまくできればそこらの市販チョコなど軽く凌駕できる。

 何故そんな事を知っているのかと言えば、まだ母が健在だった頃に店に出す洋菓子作りを手伝わされていたからだ。

 特にバレンタインデーには来店した客に手作りチョコを茶菓子サービスとして提供していたのだが、それが大変好評で毎年バレンタインデーになると母の経営している喫茶店は一日中満席状態だった。

 そんな状況で母一人で作ったのでは数が足りるはずもなく、オレもチョコ作りに狩り出されていたという訳だ。

 そのおかげで基本的なチョコ菓子は大体作れるようになったし、わざわざ温度計を使わなくても下準備に最適な温度が解るようになってしまった。

 バレンタインのチョコ菓子に限らず、人手が足りないときはオレが作った軽食やデザートも客に出したりしていたのだが、好評だったようなのでそれなりの味にはなっていたのだろう。

 まあ、こんな環境で育ったせいもあって、素人の手作りチョコなんか貰っても有り難味よりも欠点の方が目に付いてしまうわけで。

 特に中学の頃なんか一番調子付いて天狗になっていた時だから、あげる方の気持ちなんて全く考えていなかったわけで。

 高校に入ってからは貰ったチョコはみんな千沙子に没収されていたわけで。

 結論。

 あげる相手とあげる品はちゃんと選ぼう。

 オレは悪くない。多分。

 のんべんだらりと過去を思い出しながら書斎の本棚を眺めていると、給湯室から爆発音が聞こえた。

 オレは身を翻すと慌てて給湯室に向かった。勢いよく引き戸を開けると、給湯室に充満していた焦げ臭い煙がなだれ込んできた。

「絵理! 大丈夫か!?」

「陣!? こ、こら! 入って来るでない! くつろいでいるように言ったであろう!」

 慌ててはいるが元気な返事が返ってきて、オレはひとまず安心した。

 改めて現場の状況を見てみると、ガスコンロには焦げ付いてお釈迦になった鍋がそのまま置いてあり、電子レンジは煙を上げて昇天している。爆発音は電子レンジが天に召された時の断末魔だろう。

 中を確認するとチョコレートが入ったステンレスのボウルが不自然に端に寄せられた形で置いてあった。

 鍋の内側には焦げ付いて油分が分離した無残なチョコレートの残骸がこびりついている。

 オレが絵理に向き直ると彼女はばつが悪そうに顔を逸らした。

……そう言われてみればオレは絵理が料理をしているところなど見たことがなかった。

「絵理、お前もしかして」

「黙れ!」

 うん、とりあえず料理が壊滅的に苦手な事と、それに対して多大なコンプレックスがある事は解った。

「ま、怪我がなくて良かった。とりあえず換気して鍋片さないとな。こんな状態じゃ作業できないだろ」

「……うむ……。そうだな」

 恥ずかしさよりも現状を何とかしなければという思いが勝ったらしい。絵理は大きく息を吐くと焦げた鍋の片付けを始めた。

 レンジからボウルを取り出して改めて中を見てみたが、どうやら完全に壊れてしまっているようだ。金属を電子レンジに入れても、余程の事がない限り爆発などしないのだが、偶然に偶然が重なってこのような惨事になったようだ。

 直接的な原因は端に寄せた事でボウルとレンジの壁面が接触し、そこから火花が生じたせいだと思われた。

 ボウルの中にはチョコレートがほぼ溶けずに残っていた。金属はマイクロ波を遮断するし火花が飛ぶ危険もあるのでステンレスのボウルを電子レンジ調理に利用するのは愚の骨頂だ。しかし今それを指摘しても絵理をへこませるだけなので口には出さなかった。

「電子レンジはもうダメだな。後で新しいのを買ってくるか」

 オレがそう言うと絵理は肩を落として落胆した。やれやれと頭を振り、自嘲気味に呟く。

「まさかチョコレートを電子レンジで溶かすのがこれほど危険な行為とはな……。つくづく己の無知が嫌になる」

「いやその。それチョコじゃなくてボウルのせいだから」

「何!?」

「金属を電子レンジに入れると危険だって知らなかったのか?」

「それが……。電子レンジを使ったのはこれが初めてなのだ。説明書を探したのだが、見つからなかった。仕方がなく見よう見まねで使ったらこのざまだ。笑いたければ笑うがいい」

 しょんぼりと肩を落としている絵理に追い討ちをかける気にはなれず、別の質問をしてみた。

「ところで絵理。チョコレートの作り方、ちゃんと知ってるのか?」

「溶かして再凝固させればよいと聞いた」

「……オーケー。まずはその認識から改めようか」

 おおかた直火にかけて溶かそうとして失敗して、電子レンジで溶かす事を思いついたのだろう。

「その、もしかして陣は正式なチョコレートの作り方を知っているのか?」

「まあ、売り物に出来る程度の物は作れる」

 その言葉を聞いて絵理は暫くオレの顔を凝視していたが、やがて意を決したようにこちらに向き直ると、いきなり床に手をついて頭を下げた。

「この御剣絵理、恥を忍んでそなたに頼み申し上げるっ! どうか私に正式なチョコレートの作り方を教えてはくれまいか! 私にできることなら何でもする。だから、どうか!」

 絵理の素っ頓狂な行動には耐性がついてきたつもりだったが、いきなり土下座されて思わず狼狽した。

 困惑して頭を掻いた後、絵理を抱き起こしてその場に立たせた。

「んな大げさに頼まなくたって教えてやる。いつもみたいに言いつけてくれりゃいいんだよ。オレはお前の執事なんだから」

 ベタな漫画とかだったらここらで交換条件を持ち出すんだろうけど、そもそも何で絵理がこんなに必死になってるかといえば青司の為であって。

 ここで弱みに付け込んで絵理を表面的に自分のものにできたとしても、空しいだけなんだよな。

 絵理は呆然とオレの顔を眺めていたが、突如オレの背中に腕を回して抱きついた。思わぬ行動に心臓が早鐘のように鳴り、全身が熱くなっていく。

 背中に回した腕に一層力を込めた絵理はオレの胸に頬を寄せたまま沈痛な声で呟いた。

「不甲斐ない主ですまない。陣の心遣い、本当に感謝する。……ありがとう」

 引き寄せられるようにオレの腕が絵理の背中に回され、黒絹の髪を撫でた。

 身体の前面と腕から伝わる体温が全身を痺れさせ、彼女の事しか考えられなくなる。

 まずい。このままだとチョコ作りどころじゃなくなってしまいそうだ。

 オレは残った理性をフル動員して絵理から離れた。

 純粋は時としてひどく残酷だ。さっきの行為だって、親愛と感謝以外の感情は伴ってないのだろう。そして、それに気がつかないふりをして自分の感情のままに突っ走る事ができるほど、オレは子供でも大人でもなかった。

「ま、料理が苦手な奴なんかそこらじゅうにいるさ。これから練習してできるようになっていけばいいだけだ」

「……そう言ってもらえて救われた気分だ。料理もできないくせに今まで主面(あるじづら)をしていたのかと(とが)められるのが怖かった。だが、真に恥ずべきはできない事を隠そうとした浅ましさだ。……その事に気が付けたのは陣のおかげだ」

 全く、変なところで生真面目で変なところで大胆だからこっちは振り回されっぱなしだ。

「バーカ。お前は真面目すぎるんだよ」

 茶化すように絵理の額をつついて、彼女に向かってニッと笑ってみせた。

「ば、馬鹿とは何だ! さすがに言いすぎであろう!」

「はっはっは。悪い悪い」

「人が神妙な気持ちになっている時に限ってここぞとばかりに茶化しおって! そんなに私をからかうのが楽しいか!」

「ま、少なくとも落ち込んでる姿を見るよりは面白いなあと」

「……たわけ。別に落ち込んでなどおらぬわ」

 絵理は口を尖らせてふくれっ面をした。いつもの調子に戻ったようで何より。

 無事なチョコレートを確認してみると、未開封のものが大量に残っていた。どうやら失敗を見越して多めに注文していたらしい。

 幸い、焦がした鍋は一つだけだったので別の鍋を使えば作業ができそうだった。

「しかしなあ。そんなに苦手なら市販品でも良かったろうに。前にも言ったけど、下手な手作りよりも市販品の方が美味いし、それでいいと思うんだが」

 調理器具を用意しながら、気になっていた事を絵理に尋ねてみた。ここまでコンプレックスを持っていながら、何故手作りチョコを渡そうなどという無謀な事をする気になったのだろう。

「……バレンタインというものは、恋人同士にとって特別なものだと聞いたからだ。私は、青司に恋人らしい事が何一つできない。恋人らしい、というものがどういうものなのか、未だに理解できていないからな。

 だから、せめて慣習という手本があるときくらいは恋人らしい事をしたかったのだ。

 多分……んは……いから」

 か細い声で付け加えられた絵理の言葉の最後の部分は断片的にしか聞き取れなかった。

 恋人らしくない、か。あれだけ隙のない空気を作り出しておきながらそんな風に思っているなんて、笑わせてくれる。

 熱に浮かれているだけならば、幾らだって奪える自信はあるのに。

 他の誰よりお前が好きだと、自信をもって言えるのに。

 青司と一緒にいるお前を見ると、そんな想いもどこかに吹き飛んで、唯唯打ちひしがれるだけだなんて、おまえが知ったらどう思うのかな。

 それでも恋人らしくないだなんて寝言が言えるんだろうか。

「で、青司にあげるチョコはどんなものを作る気だったんだ?」

 基本的な器具は出したものの、肝心の内容がわからないと作業に入れない。

 一口に手作りチョコといっても様々な種類があるのだ。

「実は……。青司は洋酒が好きだから、中にブランデーの入ったチョコを作るつもりだった」

 ありえないチョイスに思わずフイタ。

「よりによってブランデーボンボンかよ!

 むちゃくちゃ難易度が高いんだぞそれ!」

 難易度以前に未成年の飲酒は違法である。しかし、菓子に酒を使うのはよくあることだし、この際無粋な事は言うまい。

 だが、いくら菓子作りに対して無知とはいえ、いきなり難易度の高いものを持ってくるとは……。てっきりベタな型抜きチョコかトリュフあたりだと思ったのに。

「もしかして、陣でも無理なのか? それを作るのは」

「誰に向かって無理と仰っているんですか絵理サマ」

 無理と問われて闘争心に火がついた。

 幾多の客を唸らせて来たオレの菓子作りの腕前をなめるなよ。

 こうなったらあの生意気な青司が平伏(ひれふ)すような菓子を作ってやる。

 ククク、青司め。オレの日ごろの恨み妬み嫉みを思い知るがいい。

 後で冷静になって考えるとかなり間違った方向に思考が行ってるのだが、熱くなった頭では気がつかない。

 こうしてオレは腕によりをかけて恋敵に極上の菓子を作るという妄執に取り付かれてしまったのだった。

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