III.届かぬ想い
放課後になり、絵理を1‐Aの教室へと迎えに行った。まだ残っている生徒は既にまばらで教室は閑散としていた。
絵理は楽しそうに隣の席の男と話をしている。細身で美女と見紛うほど顔立ちが整っているから、男だと判別できたのは制服のおかげだった。もっとも、今ではよく知った仲なので間違えることはないのだが。
「絵理さん、迎えが来たみたいだけど」
「む。そうか。青司、いつもつき合わせてしまって申し訳ない」
「いや、俺が好きで一緒に待ってるんだし。バイトまで暇だったからね」
こちらから声をかける前に、絵理と青司のそんな会話が聞こえてきた。
……相変わらず仲が宜しい事で。
絵理と青司は恋人同士だから仲がいいのは当り前といえば当り前なのだが、その様子を目の当たりにするのはいつになっても慣れないものだった。
絵理はわざわざ教室まで迎えに来させるという過保護な扱いは元々望んでいなかった。だが春にトラブルに巻き込まれて以来、生徒会のない日は絶対に教室で待っているようにオレが約束させたのだ。
その頃はまさか絵理に恋人が出来るなんて考えてもいなかったし、オレが本当に彼女に好意を持ってしまう事になるとは夢にも思わなかったわけで。
自分がさせた約束が原因で毎日毎日自分の感情を持て余す事になろうとは。つくづく昔のオレは阿呆である。
絵理はそんなオレの感情など露知らず、青司と二人連れ立ってオレのほうにやってきた。一緒にいることが当り前の空気が二人の間に出来上がっている。この二人が表立っていちゃついてるところなんて見たことがないし、交わされている会話もパソコンで行っているチャットのログも恋人同士特有の甘い会話なんて一つもない。それでいてこと恋愛に関して他人が入り込む余地など全く感じさせない。
その事が悔しくて、苛立たしくて、悲しかった。
この後は三人で一緒に校門まで行って、そこで青司と別れるというのがお決まりのパターンだった。無言で歩いてるわけではないので、移動している間にも取り留めのない雑談を交わしているわけなのだが。
「ところで青司よ。そなたは甘いものは好きか?」
「甘いものか……。冷蔵庫が空のときはブドウ糖をなめて飢えをしのいでいたなあ」
「わざわざそんなもん買う金があったら普通に食料買えよ!」
「バイト先の先輩から貰ったんですよ。プロテインとセットで」
確かこいつのバイト先は駅前の執事喫茶だったはずだ。以前絵理に連れられて冷やかしに行った事があるが、小洒落た店員のイメージとボディビルダーを連想させるサプリメントの組み合わせになんともいえない違和感を感じた。
「……そういう事ではなくて、好きかどうかを聞いている。その、例えば、ちょ、ちょこれーとは食べたりするのか?」
後半の言葉はしどろもどろになり、チョコレートに至っては声が裏返っている。何を意図した質問かは明白だった。
「チョコは好きだよ。イライラしている時に食べると落ち着く気がするし」
挙動不審な絵理に全く言及せず、いつもの調子で青司は答えた。
何かあるとすかさず突っ込んだりいじったりするのがこいつの習性なのにこの反応は明らかにおかしい。外国暮らしが長かったとはいえ、絵理のように日本のバレンタインの慣習を知らないというのも考えられない。
単に関心がないだけなのか、絵理の意図を汲んで素知らぬふりをしているのか。どちらにせよ、余裕綽綽で羨ましい限りだ。
「そ、そうか。確かにチョコレートは栄養価も高く、コンバットレーションにも同封されているくらいだからな。遭難してもチョコレートのおかげで生き延びたという話も聞くし……。まあその、なんだ。あれは良いものだ。うむ」
「レーションといえばアメリカのは食えたもんじゃなかったなあ。でもチョコだけはうまかった。日本でも普通に市販されているんじゃないかな」
「ああ、あの口内で溶けても体温では溶けない、という売出し文句のマーブルチョコレートか。私も食べた事があるが、糖分補給に丁度良かったな」
何でそこで軍用野戦食や遭難の話になるのか。というか、何で青司はそんなもの食ったことがあるんだ。この二人の会話は放っておくとどんどん殺伐とした方面へ転がっていく。
絵理から聞く限り二人きりの時でも同じような調子らしい。この殺伐とした会話が絵理と青司なりの二人の世界の構築の仕方なのだろう。
この二人を見ていると、羨ましいと思う気持ちとこんな殺伐とした恋人同士になるのは嫌だと思う気持ちが複雑に絡み合い、嫉妬すら満足にできないのだった。