緊急執筆・福岡県中学二年生自殺から。
福岡県の中学二年生男子が
「いじめ」
を苦に自殺した。
この事件について、県教委は
「いじめ」
があったことを認めた。教師からの
「いじめ」
もあったという。 ここ1、2ヶ月の間に子供の
「いじめ」
による自殺が報道されることが多い。マスコミが取り上げる数が多いだけで、報道されない
「いじめ」
による自殺も多いのではないだろうか。
しかし9、10月に起きた
「いじめ」
による自殺は全国に報道され、その事件の矛盾と人間の愚かさを内包した内面を外に晒してくれた。
福岡の中学二年生少年は教員に
「いじめ」
をされていることを知られていた。しかし教員や県教委は何の手段も施そうとはしなかった。これは教員が
「いじめ」
の存在を肯定したことになる。
「いじめ」
を知らなかった、というのは罪にはならないかもしれない。だが
「いじめ」
があることを知ろうとしなかった、または知っていたということは、何の行動も起こさなかったという時点で罪である。
学校での
「いじめ」
はどう対処するべきだろうか。
私は
「真」
の教員による被害生徒との相互コミュニケーションをするべきであると思う。
「真」
とは担任教員やメンタルケアをしてくれる教員ではなく、分け隔て無く生徒に、または状況を酌量して接する教員である。特別な位置にいるのではなく、人情家としての教員である。
しかし人情家としての教員というものは教員採用試験などでは測れないものである。これからの教育の問題は
「学力低下」
に焦点を集約するのではなく
「いじめ」
を含めた
「学校教育にある諸問題」
と改め、それを解決するための
「良き恩師となる教員」
の育成に力を入れるべきである。