第四話 将軍が堺を動かす
戦国の戦いは、軍だけではありません。
この回から将軍の「内政」が動き始めます。
夜明け前の京は静かだった。
二条城の石垣の上で、私は町を見下ろしていた。
堺を動かす。
それだけで、この国の流れは変わる。
冷たい風が頬を撫でた。
「……軍ではない」
私は小さく呟いた。
「金だ」
背後で足音がした。
「将軍様」
光秀だった。
その顔には、まだ迷いが残っている。
「堺の商人を動かすとは……私には、理解が及びませぬ」
光秀は誠実だ。
だからこそ、武士の価値観から離れられない。
「十兵衛。そなたは堺をどう見ておる?」
光秀は少し考えた。
「……商人の町。鉄砲と金の集まる場所。しかし、武士の支配が及ばぬ……厄介な地です」
「厄介、か」
私は笑った。
「堺は、日本で一番自由な町だ」
光秀が眉を寄せる。
「自由……?」
「武士の支配外。金が流れ、鉄砲が作られ、商人が町を治めている」
光秀は息を呑んだ。
「……そんな町が」
「戦国には一つだけある。それが堺だ」
光秀の表情が変わった。
理解ではない。だが、何かが揺れた。
「十兵衛」
私は光秀の方を向いた。
「商人は武士より恐ろしい」
光秀の目が大きく揺れる。
「武士は名で動く。だが商人は──損得で動く」
「損得……」
「だから裏切らぬ」
光秀は完全に言葉を失った。
その時、藤孝が駆け足でやってきた。
「将軍様。宗久の件、確認いたしました」
「宗久は信長についたな」
「はい。堺の商人は、信長公の速度を恐れつつも……その力に賭けております」
光秀が眉をひそめる。
「信長公の速度……?」
私は頷いた。
「速い支配は壊れる」
光秀が息を呑む。
「……壊れる……?」
「十兵衛。信長は未来を作る。だが速すぎる未来は、必ず歪む」
光秀は黙って私を見つめた。
私は藤孝に向き直る。
「宗久に伝えよ」
藤孝が姿勢を正す。
「はっ」
「信長は天下を取る」
光秀が驚いた顔をする。
藤孝も息を呑む。
私は続けた。
「だが──天下は商人のものになる」
光秀の瞳が大きく揺れた。
藤孝は震える声で言った。
「……将軍様……それは……宗久にとって……」
「最も甘い餌だ」
私は静かに言った。
「信長の天下は、速すぎる。速すぎる天下は、必ず商人の手に落ちる」
光秀は震える声で言った。
「……将軍様。それは……信長公を……」
「倒すのではない」
私は首を振った。
「動かすのだ」
藤孝が深く頭を垂れた。
「……承知いたしました」
その時、足音が駆け上がってきた。
「将軍様! 堺より、返書が……!」
藤孝が受け取り、封を切る。
目を走らせた藤孝の表情が変わった。
「……将軍様」
「何と?」
藤孝はゆっくりと読み上げた。
「宗久はこう申しております──“面白い将軍だ”と」
光秀が息を呑んだ。
私は静かに目を閉じた。
──堺が動いた。
遠くで、京の鐘が鳴った。
光秀が小さく呟く。
「……将軍様」
私は答えた。
「まだ何もしておらぬ」
「ただ──」
「歴史を、少し押しただけだ」
将軍の戦いはまだ始まったばかりです。
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