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第7話 名前という証

夜風が冷たい。だが、魔蠅になった俺の身体は、進化前よりもずっと強くなっていて、この世界の温度差では動じなくなっていた。


後方では、小さな蟻の魔物が必死に追いかけている。足が短いせいで、俺が少し飛ぶだけで距離が思ったよりも開いてしまう。

(ごめんごめん、スピードと高度を落とすわ)


俺はふわりと高度を下げ、小蟻の歩幅に合わせて移動することにした。すると、小蟻は嬉しそうに、ちょこちょこと俺の横にやってくる。

(……こうして見ると、かわいいなコイツ)


荒野で、たまたま救っただけ。なのに、ずっと俺の後をついてくる。

「仲間」というか、まるで――

俺が「主人」であることを疑ってないみたいな目をしている。


(そういや……名前、欲しいよな)

前世。俺には「黒崎悠斗」という名前があった。だけど今は違う。

俺はもう、人間でもブラック企業の社員でもない。ハエから進化した魔物だ。

(……違う生き物になったんだから、新しい名前が欲しいよな)


自由に生きていくために。人間の俺とは違う道に進むために。

俺はふと、自分の黒く光る外骨格に視線を落とした。

(黒……黒い……デーモン……)


浮かんだのは、短くて、響きの良い名前。

(……「クロ」)


それは、前世の名前「悠斗」とは似ても似つかない。

けれど、俺の新しい姿には似合っている気がした。

(「黒」崎って名字も気に入っていたし……、よし俺は今日から「クロ」だ!)


自分の中で決意のように名前を飲み込む。羽音が、どこか心地よく響いた。


次に、俺は横でついてくる小蟻に目を向けた。黒い瞳で俺を見上げてくる。

丸っこい身体。小さすぎる脚。一生懸命で、頼りないけど、どこか憎めない。


俺の仲間第1号で、めちゃくちゃ大事な存在だ。


「ブブッ、ブブブブブブッ?」

(なぁ、お前って名前あるのか?)


もちろん、返事はない。だが、つぶらな瞳をキラキラと輝かせて、俺を見上げ続けている。

「ブブブブブブッ、ブブブブブブブブッ?」

(もしかして、俺に名前を付けてほしいのか?)


小さい蟻はコトンッと頭を下げた。

(マジか……)


俺は少し考えた。小さな蟻……。ミニサイズのアント(蟻)か……。

(よし……)


「『ブブブ』ブブブブッ?」

(「ミニア」ってのは、どうだ?)


言葉は正しく伝わらない。けれど、意思疎通はできているように感じる。

小蟻は俺の前に立つと、嬉しそうな表情(虫なので表現なんてあるのかは分からないが、俺にはそう見えた)を浮かべて、深く頭を下げた。

それが何を意味しているかなんて、考えなくても分かった。

(ふっ……気に入ってくれたか)


俺――クロは、魔蠅の羽を軽く震わせた。


***


ミニアと共に歩きながら、複眼を広範囲に動かす。

(……なんだ?)


遠くで複数の魔力反応。しかも、そこそこ強い。バラバラではなく、群れのように動いている。

(魔物の群れ……?)


それは、ただの弱小魔物の群れではない。中型の魔獣を含む集団の気配。

俺たちのいる荒野に、どうやら大きな勢力が移動してきているらしい。

ミニアも異変に気づいたのか、小さな体で俺の脚のそばへ寄り添ってきた。

(大丈夫だ、ミニア)


小さな仲間の震える身体を見て、俺の中で自然と「守りたい」という感情が湧く。

(俺はもう、ただのハエじゃない……「魔蠅」だ)


風が、荒野を走り抜ける。

(……やってやるよ。大事な仲間は俺が守る)


クロとミニア。

小さき者たちの小さな旅が、またひとつ進み始めた。

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