第23話 人間の侵入
獣骸荒野に足を踏み入れた瞬間、空気の匂いが変わった。
(……静かすぎる)
俺は名のある冒険者だ。魔物を狩り、素材を持ち帰って生計を立てる――。常に死と隣合わせで危険な仕事だが、それでもごくありふれた職業の一つ。この荒野にも、何度も足を運んできた。
死体の臭い。獣の争う気配。遠くで響く咆哮。それらがこの大地の「いつも」だったはずだ。
だが……今は違う。何も……ない。
なのに――
「見られている」感覚だけは、はっきりあった。
「……妙だな。」
知り合いの冒険者から、魔物たちが団結している、人間のように「国」みたいなものをつくっている、という噂は聞いていた。正直、半信半疑、いやユニークな冗談だと聞き流していた。
魔物は狩られる側で、冒険者は狩る側。魔物にそこまでの知能などない。
それが、この世界の当たり前だ。
(……なのに)
足元の砂が、不自然に沈んだ。次の瞬間、空気が震える。
低い唸り声。
「――止まれ。」
人間の言葉ではない。だが意味は、はっきり伝わった。影の中から姿を現したのは、Aランクモンスターの「ハイウルフ」1匹だけ――――いや、違う。この気配は……群れだ。
前後左右。気づいた時には、完全に包囲されていた。
自慢の剣を抜く暇もなかった。鋭牙が首元に触れる。死を覚悟した。
だが――――――
「…………?」
噛みちぎられない。目前に迫った死という恐怖によって、血の気が引き、意識が次第に遠のく。
気を失う寸前、薄目で見ると狼たちは一斉に距離を取っていた。
追い詰めておきながら、殺すのを止めた。冒険者として、そんな対応を受けたことは一度もない。
理解する前に――――――――完全に意識を失った。
***
「ミニア様…………配下たちが人間族を1体、確保しました。」
森狼王レイヴからの報告は簡潔だった。
「服装から、ヴェルナも言っていた『冒険者』だと思われます。魔物を狩る目的で、単独で荒野に入ったと見られます。抵抗は最小限。敵意はありましたが、組織的な侵略意図までは確認されていません。」
ミニアは、静かに頷いた。
「ありがとうございます。では、そのまま、外環区の接触区画に連れていきましょう。」
「え……王城ではないのですか……?」
レイヴの問いは最もだろう。けれど、ミニアははっきりと言う。
「王城に通す必要はありません。相手は、『侵入者』であって『侵略者』ではないようですから。」
その時――
ドシン、と重たい足音が響いた。
「――ミニア様」
魔鬼王ガルドだった。武衛府を率いる王位種。その姿はすでに戦装束である。
「レイヴから侵入者が『冒険者』だと聞きました。すぐに武衛府を動かします。」
ガルドの即断。荒野では正解だった、賢明な判断。冒険者とは、魔物を狩る存在だ。放置すれば、次は城下町の魔物が狩られる。その前にこちら側が狩る。
だが――――
「いいえ。」
ミニアは、即座に制した。
「今回は、武衛府は不要です。待機してください。」
ガルドが、目を見開く。
「…………は?今、何と?」
「この冒険者は、これまで通り『狩り』に来ただけです。蠅王国が明確に存在することを、知らなかった可能性もあります。」
「それでも、だ。」
ガルドは低く唸る。
「人間は、我々魔物を平気で狩ります。それを許せば――」
ミニアは、ゆっくりとガルドを見上げた。
「だからこそ、です」
声は静か。だが、揺れがない。ミニアは、クロの一番の理解者であることを自負しているからだ。
「ここで武衛府を出せば、辺境軍が『殺さなかった理由』を無にします。」
ガルドは、言葉を失った。ミニアは続ける。
「これは、建国史上初めてとなる『対外接触』です。短絡的に考えて行動しては、クロ様の御意志に背くことになるかもしれません。国家としての姿勢をここで明示しましょう。」
王位種は全員理解している。クロに勝るとも劣らない魔力を放つ、宰相ミニアの圧倒的な実力を。そして、クロからの絶大な信頼を。ガルドは、ゆっくりと拳を下ろした。
「…………承知しました、ミニア様の判断に従います。……ですが、明らかな敵意をもって侵略された場合は――――」
「はい、その時は――――」
ミニアは一瞬、逡巡した。「その時は容赦なく殺して構わない」と言いかけたが、果たしてそれで良いのかと。王であるクロの意思は、本当にそれで合っているのかと。一番の理解者と自負しているだけで、本当は何も分かっていないのではないかと――――。
「―――――クロ様が明確な判断を下してくれます。」
その言葉に誰も異を唱えなかった。いや、唱えられなかった。
六将会議で問題点に上がった、曖昧な線引き。ミニアは早急にクロの考えを確認することに決めた。
***
目を覚ますと、石と土で組まれた広場にいた。天井はない。だが、高い壁に囲まれている。
(……牢屋、じゃない)
周囲にいるのは――――――魔物。
だが、誰も殺そうとしない。変な距離感。
やがて、「一人の女性」が出てきた。しかし、よく見ると、ところどころは魔物の特徴がある。明らかな魔物でもなければ、人間でもない。
(……コイツが魔物を束ねている親玉か?)
「初めまして。私は、蠅王国で宰相を務めているミニアという者です。国王に代わり、私があなたと話します」
胸が、ひどく重くなった。
(……宰相だと?)
王じゃない。処刑人でもないようだ。それなのに――――――全く逃げれる気がしない。
魔物にあるまじき圧倒的な力を醸しだし、常に「死」がつきまとう感覚。
「ここは、城下町の一画です。」
ミニアは、丁寧に言った。
「王城ではありません。つまり、あなたを裁く場ではなく、あなたの話を聞く場です。」
冒険者として、魔物にそんなことを言われるとは思わなかった……。
「…………殺さない、のか」
絞り出すように、言う。ミニアは、少しだけ首を傾げた。
「こちらの民は、誰も傷ついていません。ですので、あなたを殺す理由がありません。」
決して、慈悲ではない。国家としてとるべき態度と判断。ただそれだけ。
「ただし――――」
ミニアは、続けた。
「次に、あなたがここへ来た時、私たちを『狩る』ためだった場合、または私たちを『狩った』場合――――」
紅に輝く瞳が急に鋭くなる。
「その時は、この対応にはなりません。」
それが生死の「線引き」だと、本能で理解した。
***
冒険者は、退去処分とした。拘束も、処刑もない。
ただ――明確な境界線を示して返した。
ミニアは、黒蠅城を仰ぐ。王城は、今日も静かだ。
(クロ様……)
秩序を築くとは、線を引くことに違いない。
その最初の線は――――――確かに、ここに刻まれた…………はずだ。
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