第2話 繭への眠り
オオカミのような魔物が逃げ去り、エルフの少女が森の奥へ消えていくのを複眼で見届けたあと、俺は深く息をついた。いや、ハエに深呼吸があるのかは知らないが、それでもそんな感覚がした。
(……なんとか生き延びたな)
羽の震えがまだおさまらない。最弱の虫の身体だからこそ、恐怖の余韻も長いのかもしれない。
周囲を見回すと、荒野の真ん中には再び「死体の山」が広がっていた。
(うへぇ……相変わらずすげぇ匂いだな)
オーク、ゴブリン、リザードマン、オーガ……。どれも魔力が抜けかけているが、さっき自分が吸って得た経験値を思い出す。
(……食えば強くなれる、ってことなんだよな?)
俺はまだ「ただのハエ」だ。この荒野では、最弱であることはそのまま死を意味するに違いない。
(……吸うしかねぇか。)
俺は決心して、死体の山へと突っ込んだ。
最初に目についたのは、倒れたオークの死体。俺は覚悟を決めて降り立ち、口器を押し当てた。
ぺたっ。
【魔力吸収:成功】
【経験値+3】
(くっ……気分的には最悪だが……仕方ねぇ)
次の死体へ移動する。スライムの残骸。腐敗したゴブリン。黒焦げのバッタのような魔物。
どれも、かつての俺なら絶対触れたくなかったものばかりだ。
だが――――
【魔力吸収:成功】【経験値+2】
【魔力吸収:成功】【経験値+1】
【魔力吸収:成功】【経験値+4】
(……意外と慣れるもんだな)
「食う」というよりは、「吸う」という表現が適切だろう。だからこそ、耐えられるのかもしれない。
そして、死体を吸うたびに「魔力」みたいなものが、体内に溜まっていく感覚がある。
(胃袋……じゃなくて、魔力袋みたいなのがあるのか?)
そんな疑問を抱きつつも、俺は黙々と吸魔(?)作業を続けた。
気がつけば、夕日が荒野を赤く染めていた。
(さて……どれくらい溜まった?)
【現在の経験値:40】
(……よし、あと10!)
思ったよりも進んでいる……と信じたい。
(もうひと踏ん張り……!)
俺はさらに死体の山を漁る。腐敗した匂いも、血の気配も、もう気にならない。
【魔力吸収:成功】【経験値+2】
【魔力吸収:成功】【経験値+1】
【魔力吸収:成功】【経験値+3】
(よし……あと4)
最後に目に入ったのは、半分だけ残ったリザードマンの死体だった。
(……お前、最後の一押しになってくれ)
俺は静かに降り立ち、口器を当てる。
ぺたっ。
【魔力吸収:成功】
【経験値+4】
【進化条件を達成しました。これから進化準備に移行します。】
(……っ!)
全身が熱に包まれた。
(あ、やば……)
体の内側から、何かが弾けるような感覚。羽が震える。脚に力が入らない。
そして――
【進化開始。一定時間、行動不能になります。】
(えっ……マジで!?)
次の瞬間、視界が暗転した。全身を黒い膜が包み込み、俺は岩場の上で、ゆっくりと転がった。膜は固まり、殻のように硬くなる。
(これが……繭……?)
意識がどんどん遠くなる。
(……頼む……生き残らせてくれ……)
荒野に風の音だけが響いた。こうして俺は、最初の進化へ向けて深い眠りについた。
それは、最弱のハエが「次の段階」へ進む瞬間だった。
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