第1話 最弱の目覚め
――まず最初に感じたのは、「音」だった。
耳元というより、頭のすぐ近くで、
ぼうっとした世界を震わせるように響く微細な振動。
ブゥゥゥゥゥン……。
(……何だ、この音?)
目を開けようとしたが、どうも勝手が違う。いつもと焦点の合い方がおかしい。
視界が丸い………ような気がする。いや、丸いどころじゃない。
視界が………多い?
上下左右、斜め、さらにその隙間まで、
ぜんぶ同時に「見えている」という異常な感覚。
(なんだこれ……?)
ようやく意識がはっきりしてきた。
見えるのは、岩場。灰色の石が積み重なり、まるで大きな生き物の背の上にいるようだ。
地面から漂い上がるのは、強烈な腐臭。
そして――目の前には巨大な“何か”が倒れていた。
(な……に、これ……?)
それは、緑色の皮膚をした大柄な生き物。人間の二倍以上の身長。猪のような鼻に、太い腕。
――オーク。
ゲームやファンタジーで見た典型的な魔物だ。
(オーク……ってことは、ここ……異世界?)
夢とか、妄想とか――そういう軽い話じゃない。
圧倒的な現実感。腐臭も風も、岩のざらつきも、全部「リアル」だ。
だが、本当の異常はここからだった。
(……なんで、俺、浮いてるんだ?)
体が地面からふわりと浮いている。意識しなくても勝手に上下する。
羽の振動――そう、あれが自分の体の音だと気づいた瞬間。
俺は、おそるおそる、視線――いや、複眼の一部を下に向けた。
(……嘘だろ)
そこには、黒くて、小さくて、軽くて、六本脚で、丸っこい胴体の――「ハエ」がいた。
(ちょ……!? え? え!?俺、これ? この虫!?)
もう一度、必死に体を動かすと、目の前のハエも同じように脚をじたばたさせ、羽をブブッと震わせた。
「ブブッ!?」
(えっ、声までハエ!?)
絶叫しようにも、出るのは間抜けな羽音だけ。人の喉も声帯もない。ここにあるのは、ただの「虫の体」。
――俺は本当に、ハエに転生してしまったのだ。
***
(なんで……なんでハエなんだよ……)
頭の奥がガンガンする。人間としての自我はあるのに、体はハエ。
しかも、あの音――
ブゥゥゥゥ……
勝手に飛ぶ。風に流されるし、操作も難しいし、すぐ頭がクラクラする。
(マジで悪夢だ……)
だが、さらに追い打ちが来た。倒れているオークの死体から、黒い「何か」がもわぁっと立ち上っている。
(え……何これ?)
気づくと、自分の体がそっちに吸い寄せられていた。
(おい待て!止まれ俺!それは俺の尊厳が…!!)
全く止まらない。まるで本能のように、オークの肉に口――いや、口器を押し当てている。
ぺたっ。
「ブブブブッ!?」
(く、食ってるぅぅ!!?)
悲鳴を上げる俺をよそに、身体は勝手に動き続け……
不思議な「力」が全身を満たした。
【魔力吸収:成功】
(魔力吸収!? 俺そんな能力持ってんの!?)
【経験値+5】
(えっ……!? 経験値!?)
つまり――
死体から経験値と魔力を吸える、特殊なハエってことか。
(いや、これ……案外、悪くない?)
希望がほんの少しだけ灯った瞬間。
【現在の経験値:5】
【進化条件:経験値50の取得】
(進化!?)
進化すれば――もしかしたら、“人型”になれるかもしれない。
まだまだ分からないことだらけだが、そう信じないと精神的にもキツい……。
(よし……やってやるよ。ハエでも、なんでも……俺は生き残る!)
意気込んだその時だった。
――カサッ。
(……ん?)
背後から気配を感じて振り返ると、森の茂みの向こうから一人の少女が姿を現した。
長い銀髪。尖った耳。美しい翡翠色の瞳。
――エルフだった。
(うわ……エルフだ……本物のエルフ……!)
しかし彼女の視線は、俺のすぐ近くにいた。
「……うわ、最悪。それに気持ち悪いハエまで飛んでいるなんて。」
(えっ、それって俺のこと!?!?)
彼女は弓を構え、矢の先端は俺へまっすぐ向いている。
(ちょ、まっ……)
放たれた矢が、凄まじい速度で迫る。
「ブブッ!!」
俺は反射的に飛んだ。
矢が通り過ぎ、風圧で吹き飛ばされる。
(危ねぇぇぇええ!!)
だが――
彼女の背後からオオカミのような魔物が飛び出し、その鋭い牙がエルフの少女に迫った。
「ガァァァッ!!」
「きゃっ!」
(うわやばい!このままだと彼女食われる!)
ハエの心臓(どこにあるのか知らんが)が激しく震えた。
(……よし、やるしかない!)
「ブブブブッ!!」
俺は全力でオオカミ型魔物の目の前を飛び回り、攪乱した。よく分からないが、口器から何か出せそうだったので、思いっきり力を入れてみると、ドス黒い液体が勢いよく飛び出た。
(毒とかだったら良いんだけど……。自分で出しておいてだけど……何か気持ち悪いなこれ……)
「ガッ!? ガァッ!?」
その液体がオオカミ型魔物の顔面に付着すると、一気に混乱して顔全体を鋭利な爪で掻きむしり始めた。その隙に、エルフの少女は逃げ出した。
「はぁ……っ、助かった……!」
少女は森の小径へと振り返りもせず駆け込んだ。その姿が緑に飲まれるのを見届け、俺は羽音を落とした。
(……よし!やった!)
オオカミ型魔物はずっと鼻や眼球を掻きむしりながら、少女とは違う方向に逃げ去っていった。
【経験値+10】
(……進化、少しだけど道のりが見えてきたな)
ハエになっても、誰かを助けられる。その事実が、ちょっとだけ誇らしかった。
――これが、「蠅王」へ至る俺の最初の一歩だった。
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