京都湾海戦(中編)
和田岬中央砲台を進発して東進を始めた旗本衆は富田岬を通過して細川艦隊の前を横切る。
旗本衆たちの顔が強張りその額からポタポタと汗が滴っていく。
しかし旗本衆たちのそんな緊張を他所に、細川艦隊の兵士たちは、普段と変わらぬ様子でまるで旗本衆なんぞ目に入らぬ様相でなんやら出向の準備をしているのである。
自分たちの仕事に忙しいらしく旗本たちのほうを見向きもしない。
勿論、これは細川克元が下手に旗本を刺激するな厳命したこともあるが、暫く大きな戦から遠のいている細川の将兵においては昨今、緊張感のない事甚だしいことの現れなのだ。
その姿に拍子抜けしそして安堵する旗本衆たちは東進を続ける。
「ほれ見たことか!やはり細川は動かない!あの年寄りの取り越し苦労であったな」よしひろ様は鼻を鳴らした。
「それはさておき、この奇襲はうまくいくものであろうか」
よしひろの本心としては旗本衆の奇襲は万に一つも成功するとは思っていないし、それを気に病むことはない。
旗本衆の名誉番頭でありよしひろの軍師でもあるルカシコフがいみじくも言った通りに、よしひろにとっては出撃の口実ができればいいのだ。
さらにはこの戦勝を自らの功績で鮮やかに彩るためには、旗本衆は程よく負けてもらったほうが都合がいいさえある。
さて、今更いわずもがなの話であるが、大変動後の地球においては洋上での通信が一番やっかいである。
地上と違って有線が使えない海上においては狼煙や伝令といった原始的な通信手段に頼らざるを得ないが、前者の場合はさらに海霧というやっかいな問題があり、後者については時間的なロスがある。
そのためによしひろは旗本衆との逐次のやりとりを諦めて、陸続きとなっており夢舞洲に一番近い伏見岬の観測要員を送り、戦況の状況を随時送るように手筈をしていたのだ。
そして観測員からはすでに旗本衆が夢舞洲の北岸に到達したという連絡が入ってきた。
「さて皆のもの、まさにここが地獄の一丁目の曲がり角!覚悟はよろしいな!」
旗本衆たちの中ではひときわ大きな銀色の機体の風防を開けて身を乗り出して号令をかけるルカシコフ。
彼が乗っているのは、まさに彼が15年前に亡命の際に使ったMEG25に改修を重ねていった代物だ。
おうううう!
旗本衆たちが雄叫びが海に広がっていく。
「ではいくぞ!」ルカシコフが先陣を切って右舷に舵を切り突進していく。旗本たちがそれに続いていく。
???
「何故じゃ?」
そこには、いるはずの解放軍の艦隊の姿がなかったのである。
「敵の艦隊はどこだ!探せ!」そうルカシコフが叫んだ刹那、
ドーン!
大きな水飛沫とともに彼の僚機が粉微塵に吹き飛んだ!
「どこからだ!敵の攻撃はどこからだ!」
ルカシコフは愛機のコックピットから身を乗り出して当たりを見回す。
「島からでござる!島からでござる!」
堀田と呼ばれた旗本の一人は夢舞洲のほうを指して叫ぶ!
「くそっ!よもや島に伏兵とは!」
ルカシコフは歯ぎしりをする。
みやるに夢舞洲の小高い丘の上に配置された多数の巡機装が絶え間なく砲弾の雨を降らしているのである。
MEG19-C。解放軍第三世代巡航機動装甲強襲砲撃型と呼ばれる機体であった。
MEG19は現在の主力機であるMEG21よる一世代前の機体。
その汎用型はMEG21への更新によって退役しているのが、強襲砲撃型といわれるこのタイプは、多脚型故の砲撃時の安定のよさからいまだに現役兵器として重宝されているのである。
主武装としては57ミリ単装砲であるが、「イシューナル信管」を積んだ分裂砲弾を利用している。
「イシューナル信管」は極めてデリケートな信管であり、海面に触れただけ爆発する。
分裂砲弾は、対第一世代巡機装攻撃専用に開発された砲弾であり、爆発するとショットガンのように無数の鉄球をあたりにまき散らす。
その威力は決して高くないが軽量化を図った幕府軍の第一世代巡機装には十分な致命傷を与えることができる。
であるので幕府軍の第一世代巡機装よりもさらに軽量化を図った旗本衆の巡機装は一溜まりもない。
ぼわっ
巡機装から漏れ出した燃料に引火して海面一体が火の海になる。
基本的には洋上戦と艦上戦のみを想定していた旗本たちにはもはや島に陣取るMEG19-Cに太刀打ちするすべを持たない。
まさに地獄絵図と化した真っ赤の燃え盛る海の上、旗本たちは右往左往と逃げ惑うだけである。
高所にある伏見岬にてその一部始終を俯瞰していた観測要員はつぶさにそれをよしひろに報告する。
要は、解放軍は夢舞洲に伏兵を配置した後、南周りで進軍してきた旗本を避けるように北周りで島の西岸に出たのである。
もちろんそれを旗本たちに伝えるすべはない。
そして各艦隊はその4隻の軍艦を単縦陣として、2つの艦隊を並べてゆっくりと湾内に侵入しているのである。
その報告を受けたよしひろは小躍りして喜んだと言う。
犠牲となった旗本衆には気の毒であるが、結果として夢舞洲の裏側にいた解放軍を押し出して湾内にひきづりこんだのである。
解放軍の背後には夢舞洲にあるのでこれで完全な包囲殲滅戦が可能である。
解放軍の司令官はなんと愚かな事かと思わず哄笑するよしひろ。
そうして自ら率いる艦隊(足利摂津艦隊)の陣形を右に傾斜させた斜線陣として出航するように各艦長に伝令する。
これは、左舷の細川艦隊が六隻であるのに対して右舷の京極は三隻。
万一敵が右舷の京極に攻撃を集中して突破を試みた時にはすばやく援護に入れるようにするためである。
「よし、それでは全艦、微速前進である!」
足利摂津艦隊は、備中級巡機装母艦「綾部」を先頭として、旗艦「摂津」がそれに続き、備中級巡機装母艦「卜部」を最後尾としてゆっくりとそして堂々を港を離れていく。
佐々木道珍は旗艦「近江」の艦橋にて自ら双眼鏡を覗き足利摂津艦隊の様子を見遣っていた。
そして艦隊が湾の外側に向けてゆるゆると動き始めた事を見ると、その青白い坊主頭を掻きながら大きなため息をついた。
彼は、常に軽妙洒脱。おおよそ悲嘆とか深刻という表情が最も似合わない人物とされているが、この時はこの男にはめずらしくどことなく寂寥とした表情であったと言う、
そして自らの艦隊「京極近江艦隊」に出航を命じた。
後に彼はこの直後の行動と、さらにはそのしばらく後に起こした驚天動地の行動について、この時すでにそれを決めていたのかと尋ねられたことがある。
普段はこのような質問を受けても、洒落で誤魔化し韜晦するのが常ではあるが、この時には「自分は常にいくつかの選択肢を用意しており、その後の状況を見て適切と思える道を選んできた」と彼らしくない真面目な回答をしたのであった。
その事は事実らしく、彼の薫陶は臣下に行き渡っていて、「全艦出航」という彼の言葉に動揺するものはいなかった。
腹の座った佐々木道珍に対して、細川克元は動揺と逡巡している心を隠せないでいる。
解放軍の前進とそれに呼応した副将軍よしひろの動き。
よしひろと同様に斥候から夢舞洲の戦闘の状況はつぶさに把握している。
そして凡そ、解放軍の前進は、旗本衆の殲滅する策の一部であり一時的なものであり、すぐに反転して夢舞洲の裏側に戻るであろうと想像する。彼らにはこちらと正面から戦う意思はないのだと。
まあこれが万人の考える常識である。
しかしあの佐々木道珍が、あの戦上手で知られる青坊主があえて解放軍に船首を向けて動き出したとはどういう事か?
彼は脳内で最悪の状況を想定する。
京極と副将軍が解放軍と交戦する。艦隊数は6対8で幕府軍が劣るし、装備の質についてもいわずもがな。
さらには先日の第一艦隊が敗北した際に解放軍は我らがまだ知らない特殊兵器を利用したとの話も聞いている。
京極と副将軍を撃破した解放軍がその余波で我らを襲ってくるのは必定だ・・・
「艦隊、東に向けて前進だ。船足は京極艦隊に合わせよ」そして細川克元は半ば消去法的にいくべき道筋を決めた。
「東進でありますか?解放軍と事を構えると?」彼の臣下は突然の命令に目を丸くする。
「まだだ、それは状況次第だ。仮に足利摂津艦隊が攻撃を開始しても我らはまだ撃つな!あくまでも京極の動きを見てきめる」
ここにいたって克元は完全に自分の意思を捨て運命を佐々木道珍に委ねている。
解放軍に向け前進を始めた京極と細川の両艦隊の姿を見てよしひろは歓喜した。
「どうだ!俺の言った通りである!我勝てり!」
「これ全て将軍様のご威光の賜物かと」側近は、すかさずよしひろを阿諛する。
「その呼び名はちょっとまだ早いぞ。よし、船足を京極と細川に合わせるように落とせ」よしひろは上機嫌である。
幕府艦隊と解放軍の艦隊は徐々にその距離を詰めていく。