京都湾海戦(前編)
「師好、何故、出撃せんのか!」
「その必要がないからです。よしひろ様」
幕府軍大本営にて副将軍よしひろと足利家執事である高師好は堂々巡りの議論を続けている。
幕府軍の海上戦力は細川6、京極3、副将軍よしひろ3、高師好3。都合15隻。
対する解放軍は8隻に過ぎず船の数では倍に近い。
その幕府軍は鶴翼の陣を引き、京都島からいくらでも補給が可能である。
対する解放軍は遠征軍であり補給はないに等しい。持久戦になれば撤退するしかない。
だまっていても幕府軍の勝利は確実なのである。
しかし副将軍よしひろは、艦隊を前進させ、解放軍を湾内に誘い込み三方向から袋叩きにして殲滅すべしと主張する。
仮に解放軍が誘いに乗らなくても、それにより早期に敵を退却させることができる。
壱岐島の二の舞を踏む事になるぞ、いまは一刻も早く外患を排し内憂に専念すべしであると。
それに対して高師好は、そもそも細川と京極が信用できないので三包囲からの殲滅など机上の空論である。
特に細川は密かに解放軍と手を結び、我々を裏切る可能性さえある。我らを横撃してくるやもしれん。
それを見てあの風見鶏の京極が細川につく可能性だってあるだろう。
今、この大事に細川克元も佐々木道珍もここ(大本営)に姿を見せない事がなによりの証拠ではないか。
まさか旧世紀の「関ヶ原の合戦」の経緯をご存じない事はなかろう
師好はよしひろに反撃する。
であればなおの事、我らが動く事が細川の逆心の有無を炙り出しきっかけになるではないか。
万一動かぬ時は旗本衆を出して恫喝する、それでも動かぬ時は成敗すればいい。
それこそが、「関ヶ原の合戦」の故事に倣うこと処であろう。
よしひろは自説を曲げない。
それに対して師好は、細川は我が軍における最大戦力である。ここで我らが分裂すれば、それこそ解放軍の思うつぼである。
それに、壱岐島とはまず地理的条件が違う。補給線の長さが違う。
兵站が成立しない解放軍は、我々は隙を見せねばほどなく撤収するであろうと反論する。
実のところ師好の推察は真の相をついている。
今回の解放軍の侵攻の目的は、幕府軍内の内紛の誘発と幕府の後継者選びを遅延させる事にあった。
副将軍よしひろが将軍職に就き、自らの権威付けを行うためにも積極的に攻勢に出て戦勝の最大の功労者にならんと考えているだろう事も解放軍にはお見通しであった。
「よしひろ様、わざわざそんな無駄な事をしなくてもこの師好が将軍にしてさしあげますのでご心配めさるな」
「なんだと!」師好のこの不用意な言葉がよしひろを激高させた、
「将軍にしてやるだと!師好!貴様は何様だ!」よしひろはそう言って椅子を蹴り飛ばして退出してしまった。
副将軍よしひろと高師好との会談が激しい口論の末、物別れに終わった事はすぐさま佐々木道珍に伝わる。
その話を聞くや否や、道珍は上陸させていた陸戦部隊の収容を開始した。
京極勢が陸戦隊を撤収させた事が細川にと伝わると、細川もまた陸戦部隊を撤収させたのあった。
「どう見るか?名誉番頭どのは」
「よしひろ様、これは吉報でありましょう」名誉番頭と呼ばれた金髪碧眼の男。
シノワスからの亡命者であり副将軍よしひろの側近でもあるルカシコフである。
そして彼は後の世では「幕府軍の近代化を15年以上遅らせた」と非難させている人物でもある。
15年前、第十四代将軍足利よしひこの治世に現在でもシノワス軍の主力となっているMEG21の後継機と目されていたMEG25の試作機を伴って亡命してきたのであった。
彼が実際に亡命してくるまではMEG25の性能はベールに包まれていた。
しかし諜報機関によって現在の最新鋭機体であるMEG35に匹敵する第5世代機であろうと推察されていた。
第三世代の配備さえも十分ではない幕府は大きな危機感を抱き、一気に第5世代機の導入に多額の軍事予算をつぎ込む決定をしたばかりである。
そんな折に思わず労せずして敵の最重要機密を手に入れた幕府は歓喜する。
機体を力づくでも奪還すると威嚇してきたシノワスに対しては、返却のために搬送中だったが水難事故で海中に没したなどと言ってはぐらかしを続ける。
そしてその機体を徹底的に調べ上げた結果、それはMEG21を大型化しただけの代物という事実を知る。
最高速度は向上しているものの大型化と重量増加により格闘戦能力はむしろMEG21を下回り、噂されていたステレス対策がどこにも見られなかったのである。
これを持って幕府は第5世代機の導入の無期延期を決定してしまう。
後にこれはシノワスがMEG35の開発を隠すための策略であった事が判明する。
ルカシコフがスパイであったという証拠はない。
むしろ亡命後の彼の人生を見るに、彼もまたシノワスによって踊らされた被害者であるという見方が主流とさえなっている。
もちろん彼の亡命当初であれば幕府もそんな裏事情があることは露も思わずに、彼を要人として厚遇し、名誉番頭の称号を与えた。
そして現在、彼は軍師の一人にとして副将軍よしひろの傍に侍っているのである。
そんな彼が言う。
「よしひろ様、恐らく細川は元々は海戦で起こる混乱に乗じて陸戦隊で御所に攻め入り御茶丸様を迎え入れての襲名の儀を強行せんと考えていた節に思われます。
しかし今、陸戦隊を引き上げたのは、まずは後継者争いよりも外敵を排除する事が先と思い直したのでございましょう。
これもよしひろ様が断固たる覚悟を示したことが細川にも伝わった証であると。
細川もやはり大和の血が流れるもの、その大和魂は私にはうらやましゅう感じます」そう言ってルカシコフは目元を押さえた。
「ルカシコフの言やよし。まさに俺もそう思っている。しかしあのわからずやの年寄りが!」
「よしひろ様、細川や京極に叛意がない事をしめせればいいのですな?」
「そうだ。それを明らかにするためにもわが軍は今動くべきである。しかし我が艦隊にあってもあの年寄りの顔色を伺うものばかりなのだ」
「では、不貞このルカシコフが旗本衆とともに先陣を切らせて頂きます!」
「なんと!やってくれるのか!ルカシコフ、しかし旗本衆だけの兵力だけでは・・・まさに死にに行くようなものではないか!」
それに対してもちろん決死の覚悟であるが、全く無謀な作戦ではないとルカシコフは説明する。
ところで旗本は小領主であるからもちろん空母なんぞ保有していない。せいぜい1~2機の巡機装を保有するのみだ。
その巡機装の殆どが旧式の払い下げ品を改造したものばかりであった。
そして、かつて旗本たちは「陣借り」と言って将軍家や国主が所有する空母に相乗りして戦場に向かうのが常であった。
しかし軍の近代化に合わせて正規兵中心の時代になると規格外の巡機装で陣狩りする旗本は邪魔な存在でしかなくなった。
旗本たちは軍における居場所がなくなり生活にも困窮するようになった。
そんな折に将軍からも覚えめでたいこの亡命者は、旗本の所有する巡機装を単独長距離航海をできるように改修して、特殊任務や小規模紛争、警戒や哨戒任務にあてるべしと主張したのであった。
船体の軽量化や積載する燃料を増やすための油槽の増槽、さらには燃費のよいエンジンへの換装、そういった事を施して単独行動のできる巡機装にするために幕府が補助金を出すことを説得し実現した。
彼はめざとくもその改修作業を行う事業を起こしてそれを独占し自分の懐を増やしたのだが、旗本たちは新たな役割を与えられた事で、自らの存亡の危機を乗り越え、ルカシコフを救世主を崇めたてるようになった。
そんな彼が言う。
長距離航行が可能な旗本の巡機装であれば、空母なくしても解放軍艦隊に肉薄して奇襲する事ができる。
解放軍が我ら旗本衆を十分に研究していない事は私が保証する。
解放軍は突然の奇襲に狼狽するだろう。
そのような状況になり、なおも細川が叛意を示す行動に出ない事を示せれば、高師好が反対する理由は霧散するであろうと。
旗本衆が解放軍を混乱させる事ができればそれでよし、幕府軍にとって絶好の出撃のきっかけになろうし、逆に旗本衆が窮地に陥れば、それを救うという名目にて出撃する事も可能である。
むしろ後者のほうが将軍候補としてのよしひろ様の勇名と器の大きさを知らしめる事になりましょうと。
このルカシコフの巧言令色に踊らされたよしひろは、「まずは特殊部隊が奇襲をするので、それに応じてわが軍も動く事となったのだ」と将兵たちを言いくるめて自らの艦隊に出撃準備をさせた。
次にルカシコフが向かった先は旗本衆が集結してた和田岬中央砲台であった。
そしてさきほどよしひろに語った同じ内容を話す。
「いまこそ、先代様とルカシコフ様の大恩に報いる時である!」
「ルカシコフ様の命をかけた大業に参加しないものがおろうか!」
旗本衆たちは色めきたった。
感動と興奮で泣きだすものも出てくる始末である。
このような状況では、ルカシコフは緻密な作戦を立てても、それが実現できると思わなかったので、以下のようにおおざっぱな作戦指示を伝える。
我々は富田岬に陣する細川の前を横切り、京都湾の沖合の湾内で一番大きな夢舞洲の背後にいる解放軍の艦隊に仕掛ける。
艦と艦の間に割り込み混戦状態を作り、敵の旗艦に乗り込み、その首魁を討ち取る。
狙うは敵対象の首のみ
なお、富田岬を横切る際にもし細川から攻撃があった場合は、作戦を中断して細川と交戦すべし。
さらには・・・
ルカシコフの説明も終わらぬうちに旗本たちは陣所を飛び出し和田岬中央砲台近くの係留していたそれぞれの愛機に飛び乗っていく。