カブキ
「霧笛確認。幕府軍備旗艦摩尼拉、備中級母艦Aならびに備中級B母艦の音紋登録が完了しました。」
重そうな密閉型ヘッドフォンを付けモニターを凝視していた一人の兵士が船務科長のコワルコフ少佐に顔を向ける。
「よし、ビルケン中尉。メインモニターに回せ」コワルコフ少佐は命じる。
おおおう!これか!
CIC内に感嘆の声を広がる。
「ほう、これが音紋レーダーという代物か、すごいものだな」クロードウィッグ艦長はその細い目を思わず見開いた。
CICのメインモニターには方眼紙のように細かくグリッド線の入った海図が表示され、その上に幕府軍第一艦隊の各艦船の位置がプロットされている。
【音紋レーダー】
バンアレン帯の大規模な破壊による強力な磁気嵐の発生によって使用不可能となった電波式レーダーに代わりとして「対象物の発する音」でその距離・方位を特定する仕組みのレーダーである。
実際はかなり以前に近代重工によって開発されていたものらしいが、本日ようやく日の目を浴びたのである。
当然、スターリンには建造時から装備されていたものではあるが、今の今までは誰の目にも触れずに、先ほどの「火器使用統制権限」の解禁に伴い、その存在が明らかとなったのである。
したがって今まで誰も実際に稼働している姿を見たものはいないわけで、今、全員がその威力をまざまざと見せつけられているのである。
「メッシュ密度はミニマムで10メートル刻みまでいけます」マニュアルを見ながらのコワルコフは少し自慢げである。
「艦長、これを使えば、よもやここからでも主砲の通常弾を直撃できます!」砲術科長のイワノフ少佐は鼻息を荒だたせる。
「イワノフ少佐、ぶっつけ本番でか。そもそもこれが本当にあっているのかも今の我々にはわからんのだ。まずはこれがどの程度のものかを確認するとしよう。」
「艦長、そうですね。近代重工を、いや大佐を信じるしかありませんな」
「さてな、もしかすると大佐は逃げ出したのやもしれんぞ」
・・・しかしこれはちょっとはひどい冗談だな・・・まああの大佐にしてこの部下だ・・・クロードウィッグは自嘲する。
「では予定通り高密度EFP弾にて備中級母艦Aならびに敵備中級B母艦の間の海中を狙います。照準合わせ、撃て!」
【高密度EFP弾】
これもまた、たったいま解禁されたばかりの兵器である。
自己鍛造弾ともよばれる一発の砲弾が分裂することで複数の砲弾を鍛造させ落下させる、主には面制圧を目的とした特殊砲弾である。
ちなみにスターリンの主砲口径は240ミリであり、その有効射程は8キロ程度。
今までの幕府軍、解放軍は艦船の主力として装備している76ミリ砲とは桁違いの威力である。
通常弾であれば一発命中させれば、備中級母艦を撃沈できるほどのものである。
しかし先ほど放った高密度EFP弾は12個に分裂するものなので。その分1発あたりの威力は小さくなる。
だから幕府軍が分裂したこの砲弾の1発があげる水柱を見て、それを76ミリ砲相当だと考えるのはいた仕方ない話である。
CICメインモニターの海図上に12個の点が突如現れて消えた。
そしてすぐ直後に二隻の備中級母艦が左右に回避行動を開始した事からも砲撃は成功したようであった。
「音紋レーダーによれば、目標の直径500メートル以内に全弾に着水、敵艦への命中なし・・」予想していたとは言えイワノフ少佐は少し残念そうである。
「イワノフ少佐、これでよいのだ。重要なのはまずは備中級と巡機装を旗艦から引き離すことだ。それを忘れるな」クロードウィッグ艦長がたしなめる。
しばらくすると音響レーダー上の大きな3つの点から多数の小さな点が現れ半円放射状に離れていく。
さらに二隻の備中級母艦が旗艦長摩尼拉から徐々に離れていくのが見て取れた。
「艦長、どうやらはこちらの誘いに乗ったようです」笑みを浮かべる船務科長のコワルコフ少佐。
「この数からして摩尼拉の直掩部隊も索敵に出ているようだな」クロードウィッグ艦長がうなずく。
さて今更ではあるが、このスターリンは幕府軍第一艦隊から6キロ以上離れた場所にある。
だから索敵範囲を2キロ程度と考えている幕府軍から見つかる可能性は低い。
しかしながら今回はあくまでも陽動である。備中級2隻を引き離して都合のいい場所に誘導する。
ついでにできるならば、分散して索敵をしている小型艇も一ヵ所に集めて殲滅してしまいたい。
そのために「スターリン」自らあえて敵の捜索範囲に入っていく方法もあるがそれにもリスクはある。
通常の艦隊戦なり巡機装同士の戦いであれば、装備・技量から見て今のスターリンが負けることはないだろう。
しかし解禁によって艦船の撃沈を考慮しないでいい現在の戦局においては、幕府軍が自暴自棄の攻撃を仕掛けてくる可能性も否めない。
いや自暴自棄でないにせよ、むしろ作戦として爆装した小型艇で特攻をしかけてくるやもしれないのだ。
実際、以前の壱岐島攻略作戦においても、解放軍の上陸部隊が島に残っていた幕府軍の巡機装から爆走特攻を受けて甚大な被害を出したという事例も存在するのである。
であるために・・・
「よし、マルコスキー中尉、出ていいぞ」
艦長の呼びかけに応じて、CICのメインモニターにパイロットスーツの兵士の顔がアップになる。
にやけた不敵な表情をした、しかしながら十分に美男子と言えるその青年の顔は見るからに不機嫌そうである。
「マルコ、なんだその顔は?不満そうではないか」クロードウィッグ艦長は思わず窘める。
「MEG35に乗せてくれるって聞いていたのに何でこのおんぼろなんだよ!」マルコと呼ばれたその男は乱暴な言葉を吐き捨てる。
「作戦のためだ、つべこべ言わずにとっとと出ろ、敵にはまだこっちをレーニン級と思ってもらわないとならんのだ」
「はいはい、で、ターゲットは?」
「敵の捜索隊の中で一機突出しているものがあります、ポイントを送ります。そこに向かってください。」船務科長のコワルコフ少佐は何故か丁寧な言葉づかいだ。マルコはこの船でもめんどくさい男の範疇なのだ。
「一機突出かよ!」途端にマルコスキーが目を輝かせた。
「そうだ、そこに行って、いつものように被弾してこい。被撃沈王マルコスキー」クロードウィッグ艦長の棘のある言い方は変わらない。
「あいよ、マルコスキー、MEG21出る!」
マルコスキー・イワンコフ。
総被撃沈数12回の被撃沈王。
これは彼はいかに激戦をくぐり抜けてきたか、そして彼の生命力のしぶとさを表す数字である。
自機をなんども沈むられても飄々と生還してくる不死身の男。
もちろんその10倍以上の撃沈数を誇る歴戦の勇士である事は周知の事実である。
彼のMEG21はスターリンの前部スロープを下りゆっくりと海に出ると、一気に加速した。
そして彼は巧に左右上下に舵を切る事で見事に波に乗る。
まるでプロのアイススケート選手かプロサーファーの如く華麗に海面を滑るように自機を駆っていくのである。
やがて彼は猛スピードでこちらに向けて突進してくる「二つ引両」の影を見つける。
しかし、その瞬間!
ドドドド!!!
激しい銃撃音が鳴り響き、MEG21の右腕部が吹き飛ばされる!
歴戦のエースは素早く舵を大きく切って体勢の立て直しと回避行動を同時に行う。
そんな並大抵でない技量をもつ彼は、そんな自分に初弾から命中させてきた兵の姿を目で追った。
「カブキ!!!やはり貴様かあああ!」
マルコスキーの目に赤黄黒緑を基調とした派手なペイントを施した「二つ引両」の姿が飛び込んでくる。
「ほう、あの動き、シノワスの撃沈小僧であるか」
二つ引両のコックピットの中で不敵な笑みを浮かべる男。
その姿は異様である。
赤と金をあしらった膨らみがあり、多数の装飾を施した和装。おおよそパイロットには似つかわしくない。
さらに異様なのはその大きく上に膨らんだ髪を深紅に染め、顔には白塗りを基調とした鬼のような化粧をしているのだ。
まるで旧世紀のカブキ役者のそのものである。
さよう。彼こそが幕府軍の中ではもっとも有名な巡機装パイロット。敵味方の双方から「カブキ」と呼ばれる男である。
しかしその素顔も本名もはっきりしておらず、やんごとなき身分の方の末裔の噂さえある謎の人物。
派手な化粧は素顔を隠すためであるとかないとか。
そして異様なのは、その見た目だけではない。
巡機装の操縦についても神がかったものを持つ幕府軍のエースである。
実際、マルコスキーの過去12回の被撃沈のうち9回はこのカブキの手によるものなのだ
「くそ、奴に借りを返してぇところだが、これも任務だ。しかし被弾偽装用の煙幕まで用意してのに無駄だったな」
マルコスキーは緊急レバーを引いてフロートを切り離すと洋上航行モードに切り替えてスロットルを踏み込んだ。
カブキはそれを追うそぶりも見せずに遠くなっていくMEG21の機影を眺めている。
「ふん、いつもの小僧らしくもないな。恐らくは我が軍を誘導するのが目的か。まあいい。ヒデの命も幕府の命運も俺にとってはどうでもいいものだしな」
そうつぶやいたカブキは敵遭遇と救援要請の閃光信号弾を打ち上げた。
すると間もなくカブキの元に友軍がかけつけてきた。
カブキはマルコスキーの逃亡した方向を正確に伝え、その方向に敵艦があるだとうと伝える。
彼は、それが囮だとか罠だとかそんな余計な事は一切口にしない。
そして自分の機体は故障しているが、自分で直せる範囲なので、自分に構わずにこの事をすぐに母艦に戻り知らせてほしいと告げる。
僚友は彼が一人海に取り残される事を心配してか、持っていた予備の食料や水などを差しだし名残惜しそうに去っていった。
カブキは僚友の姿は消え去るのを確認すると、コックピットから出る。
そしてコクピット、センサー、マニピュレータなどの巡機装を構成する主要ユニットをパージして海に沈めた。
もはや単なる一艘の小舟になった二つ引両の上でカブキはつぶやいた
「これであれば一番近い伊勢島にはたどりつけるであろうな、いやむしろあそこに行ってみるか」