第十五代将軍足利・マルコス・よしひで
第十五代将軍「足利・マルコス・よしひで」は、フィリピン人の母をもつ大和国で最初の混血児将軍である。
元来、将軍足利家の正室は、純血な日本人の家系である日野家から迎えるものと決まっており、その事で今まで将軍家の純血性が保たれてきた。
第十四代将軍「足利よしひこ」は、従来のしきたり通りに正室として日野家の長女芙美子を迎えたが、彼女は長らく男子を懐妊することがなかった。
将軍家の執事であった高師好は将軍家の血統が断たれることを恐れて、当時人気だった今様の歌い手であり、かねてよりよしひこが熱を入れていた保志を自分の養女としてよしひこの側室に入れた。
高師好は、後日、保志の素性を十分に調べていなかった事を明かし反省している。
すぐさまに保志は懐妊して待望の長子よしひでが生まれた。
その10年後になんと芙美子にも男子よしひろが生まれ、そして第十四代将軍足利よしひこは特に後継者を指名することもなく亡くなった。
従来庶子であっても長子相続が原則であったので、当然側室保志の子よしひでが将軍を継ぐ形になる。
高師好はすでに将軍家の執事であり、その上さらに将軍家の外戚となると、細川や山名からの相当の反感を受けるであろうことを恐れ、養女の保志をさらに日野家へ養子に出し体裁を整えようとした。
そしてよしひでがまさに将軍職を襲名する直前に事件が起きた。
保志は純血の日本人ではなくフィリピン人移民の二世であることが判明したのである。
大和国は表向きは民族融和を謳っているものの、純血の日本人以外をひどく差別する民族性と風潮がある。
フィリピン系に限らず移民の二世などは各下の存在として見下していた。
しかし、それなのにフィリピン人の母親の腹、下賤の者の腹から生まれた将軍なんて!
純血派は憤り、さらに自分のお腹を痛めた産んだ子よしひろを将軍にしたいという芙美子の妄念が燃え上がった。
だが、比較的な開明的思想の持主である細川家当主の細川克元と高師好は芙美子の妄念と純血派の憤りを一切無視してよしひで襲名を強行しようとした。
そこで芙美子は細川に敵対する山名家の当主、山名宗兵を頼るのである。
大和国を二分する大乱となったが、結果的には大和国の人口の七割を占めるフィリピン系移民を味方につけた細川派の勝利となり、よしひでは第十五代将軍となった。(なおこの大乱にかこつけて山名氏の所領であった壱岐島にシノワス軍が侵攻、占領し要塞化したのであった。)
従来、大和国にはミドルネームを名乗る風習はなかったが、よしひでは自分を支持してくれたフィリピン系移民への感謝の気持ちを表し、自分を民族融和の象徴とすべく母親の本当の姓である「マルコス」を正式に名乗ることにした。
第十五代将軍となったよしひでは、長い戦乱で山名、細川の両氏が疲弊していた事を好機に捉えて、幕政の改革・強化に乗り出した。まず長らく対立関係にあった叡山と和解し後背を固める。
そして細川、山名をけん制させる第三勢力として京極家(佐々木家)に優先的に欠所を与えるなどして、国力を伸長させるように仕向け、半国から一国の国主として「管領家」への格上げを行った。
京極家の当主である氏高、後の佐々木道珍はよしひでの腹心となり京極家はほぼ身内扱いとなった。
結果、大和国は、元来おおよそ生産力・人口などを等しい8つの行政区(国)に別れており、大乱前には将軍直轄領1.5、細川3、山名3(シノワスに占領された壱岐を含めれば4)、京極0.5という勢力割合であったが、大乱後の改易などを通じて現在では、将軍直轄領3、細川2、山名2、京極1という勢力割合となり、将軍家の国力は名実ともに著しく伸長した。
次によしひでが着手したのは軍の再編と近代化であった。従来より幕府軍は将軍直轄の兵力が少なく必然的に細川と山名の兵に頼らざるを得ない状況であり、また兵を動員する場合は、国主(細川や山名の当主)の同意があれば保有する戦力の二分の一を動員できると決まっていた。
まずそもそものこの各国の兵力というものが国主からの報告によるもので国主たちも自兵力を過少申告しているなど信憑性にたるものではなかった。
そこで幕府中央から役人を派遣して兵力の実情の調査を行い、兵役賦役の決定をするように変えた。
また国主の同意なしであっても各国の兵力を二分の一までであれば将軍権にて動員できるとし、同意があれば全兵力を動員できるものとした。
国主側の軍権を大幅に削ぐものであったが、それでも細川、山名がそれに従ったのはシノワスによる壱岐島の占領以降増大するシノワスの脅威の認識と全面戦争への覚悟他ならなかった。将軍直轄領の倍増に伴い直轄軍も強化され、幕府内の最大勢力となったことも理由に挙げられる。
大幅に権力を削がれたのは細川、山名といった国主だけではなかった。いやそれ以上に打撃を受けた人たちがいたのである。
それが「旗本衆」と呼ばれる比較的な小さな領地領民をもった小領主たちであった。
彼らは、幕府の中心である山城島の将軍御所の周辺に屋敷を持ち、小規模であるがそれぞれ独立した兵力を所有していた。
彼らは将軍の親衛隊とも言える存在であり、かつての将軍直轄軍の中で大きな存在であったが、これが幕府軍の統制を乱し近代化を阻む原因となっていた。
そこでよしひでは、刻限を定めて小領主たちの保有する領地・領民・武器を幕府が買い取る「旗本解体令」を発布したのであった。流石にこれには反感が大きく領主権返上は遅々として進んでいない現状ではある。
シノワスもこの旗本衆こそが大和国の最大のアキレス腱とみて、しきりに旗本衆への工作を行っている。
しかし前述のとおりに幕府がフィリピン系移民に対して寛大な態度を見せた事が、移民が多い末端の下士官、兵士たちのモチベーションアップにもつながり、国民のよしひでへの期待と支持は日に日に高まる一方であった。
大きな大乱を経てようやく大和国も軍閥連合による封建制国家から国民国家と進化して挙国一致してシノワスを打倒すべしという思想が熟成されてきたのであった。
さて幕府が運用する戦略兵器の中核である巡機装とその母艦については、かねてより一国あたり大型母艦一隻中型母艦二隻を保有するものと決まっており、ベースとなる船体は共通化されていたもののその艤装・兵装などの決定は各国主に委ねられており統一性もなかった。
そもそも「世界資源技術管理機構」のもう一つの顔であるこの世界唯一の軍事産業「近代重工」からの調達は国主が行っていたほどである。
かつては山名、細川はお互い同士を仮想敵とみなしていたため、シノワス軍を敵として研究するという事はなかった。
また近代重工と国主たちは癒着しており、近代重工は型落ちの装備品を大和国に収める事で巨利を得ていたのである。
結果として大和国の装備品はシノワスより一~二世代前という状況になってしまっていた。
それを今後の新造艦については、幕府の軍事中枢である侍所がシノワスを仮想敵として研究し、仕様決定と発注を行うものと改めたのである。
その新制度での一番艦こそが、まさによしひでの座乗艦、大和幕府軍総旗艦「摩尼拉」である。
本艦は現在のシノワス軍の中核となっている第四世代巡機装母艦レーニン級の思想を大幅に取り入れたものであり、第四世代型巡機装が垂直離着陸できる広い飛行甲板と、水上機がクレーンなしで着水できる前面スライダーを有する。
ただし現状では幕府軍の巡機装の多くが懸架式の離着水する方式となっているための船体の両側面に多数のクレーンを装備している。
国民からの大きな期待に応える事と軍の改革の一応の成果を確認する二つの意味から、今回の「壱岐島奪還作戦」を決定し、まずは山名管轄の全艦隊六隻を先行させ壱岐島を包囲し、自らも僚艦二隻を従えた総旗艦「摩尼拉」に座上して陣頭指揮をとらんとするよしひでの表情は決して明るいものではなかった。
摩尼拉の巨大な艦橋の最上部、いわゆる天守閣にて落ち着かない表情で水面を見つめるよしひでに対して侍所の別当である高師丞が声をかける。師丞は将軍家執事である高師好の長子である。
「上様は、浮かぬ顔をしておりますな。我が艦隊が山名勢に合流すれば九隻、これはやつら艦隊の二倍以上であり、我らの必勝は間違いないものでありますのに」
「師丞よ。確かに数は重要であるがやはり中身よ。こと軍備に関してはわが幕府軍はシノワスに対して十年、いや二十年近くの遅れがある事は事実であろう」
「しかし、上様、この摩尼拉はやつらのレーニン級に匹敵、いやそれを大きく凌駕する世界最大の巡機装母艦でありまする。この艦を中心とした作戦を行うことによって・・」
「ふん、レーニン級を凌駕か。所詮この艦も備前級を二隻繋ぎわせただけの急造品よ。そもそも飛行甲板もスライダーも肝心の巡機装がなければ宝の持ち腐れではないか」
「上様、確かにそうではありますが・・・」
「師丞よ、そもそもお前はこんな雑談をするためにここに上がってきたのではなかろう?」
「はあ、そうでした。ご報告遅れましたが先般管理機構の監察官が下船する際に・・・」
「監査官が下船だと!そんな話は聞いておらんぞ!」
思わず声を荒げたよしひでに師丞は身を縮める。
「申し訳ございません。件の監査官についてはかなりの小心者でして、乗船したからと言うもの常に下船させろ、戦場にはすでに山名の艦に搭乗している監査官がいるので自分を不要である主張し、あまりに煩かったので・・ 」
「先の停泊地にて下船させたというわけか」
「もちろん、その主砲の安全鍵は受け取っておりますので、それと手紙を受理しておりますので後ほど・・・・」
「ば、ばかな・・・」
頭の中に一気に暗雲がたちこめて顔面蒼白となるよしひでであった。