撤退
・・・儂はなんで今こんなところにおるのか?・・・
・・・何故、ここに来ているのか?・・・
・・・もしわかるならこたえよ、そこの坊主・・・
鏡に映った自分の姿をみて佐々木堂朕は問いかける。
大和一の大天狗と呼ばれた男
その恐るべき韜晦の術によって、その本心は誰も推し量る事ができない
それもその筈だ
儂は、儂自身が佐々木堂朕という人間をよくわかっていないのだから・・・
思わず苦笑しながら、双眼鏡を手に取る。
海霧の中にぼんやりと見える灰色の島はかなりの大きさのようだ。
時折、晴れる霧の晴れ間からその島の街並みも伺える。
大きな町だ。
そして不機嫌そうな町だ。
彼は今、京極艦隊旗艦「近江」の天守閣にいる。
さて彼の乗艦である「近江」は異様な見た目である。
備中級母艦の2倍はあろうかという幅広の船体の上に筒状を基本とした巨大な楼閣がそびえ立っている。
そしてその高さたるや、今は海の底深く眠っている幕府軍総旗艦「摩尼拉」を軽く上回っているのだ。
船というよりはむしろ海上を移動する城塞といった感じである。
一体、この船はなんなのか?誰もがそう思うだろう。
しかしこの船が作られた理由を知ればその異様な造形への理解も深まるかもしれない。
そもそもこの船は巡機装母艦ではないのだ。
長年、幕府は叡山を始めとする反政府勢力、いわゆる「一揆」というものの鎮圧に手を焼いてきた。
そして叡山のような大規模勢力は別にしても、ほとんどの小規模な一揆勢力は比較的小さな島に根拠地を構えて小舟をもって通商破壊や海賊行為を行っていた。
そういった一揆勢力の討伐に昨今活躍したのが旗本衆であったが、それよりも遥か以前から一揆勢力の鎮圧を任されてきたのが京極家であった。
しかし神出鬼没の一揆勢力を洋上で捕捉したとしても彼らは早船でそそくさと逃げてしまう、
それでそういった一揆衆を拠点毎潰してしまえとしてということで京極家が建造したのがこの船である。
まさに洋上を動く砦と言えるものだ。
もとより拠点制圧はともすれば時間がかかり大量の物資・人員を必要とするものだ。
そういった長期戦に備えて本船は大量の物資・人員を積載できるキャパシティを持つ。
加えて地上攻撃用に203mmという強力な榴弾砲を装備しており、一揆衆にとっては最も恐るべき存在なのである。
その一方では船足は遅く旋回性能も悪く砲の速射能力も低い。
積載する巡機装も平四ツ目結など陸戦を得意とする機体が中心であり、海上戦闘用の巡機装を即時展開することもできない。
すなわち海上戦闘には全く不向きな艦種なのだ。
そのために「近江」に随伴する艦は備中級といった標準的な巡機装母艦である。
全くの余談であるが幕府の第三世代巡機装である「平四ツ目結」はその機体を小さく折りたためる構造となっているが、これは「平四ツ目結」の開発の大きく関わった京極家ができるだけ多くの巡機装を艦船に積載したいという兵站的要望を取り入れたものであるらしい。
さておき、その異様な姿の動く城塞が霧の中から忽然と現れた時に、シノワスの主島ウラジオストクの住民たちが恐怖に陥ったのは想像難くない。
島を守るべく軍艦はすべて遥か彼方に出払っている。
外征にかまけて主島を守るべく対策を怠っていた。
そもそもシノワスには、壱岐島以外に幕府軍が侵攻してくるなどとはまともに考えたこともなかったのである。
国境を接する京極家は弱小一揆の鎮圧ばかりしている山名や細川とは格下の存在として侮っていた節もある。
そして佐々木堂珍は住民たちの心理的恐怖を物理的恐怖への変えるべく行動に移す。
ウラジオストクの市街地に向けて203ミリ砲での無差別砲撃を開始したのである。
住民たちは絶叫して逃げまどい、そしてこんな事態を招いた無能な政府を罵った。
山名艦隊と解放軍第三艦隊を撃滅した細川克元は京極艦隊によるウラジオストク島包囲の報に接した際に、もっていた軍配を思わず落とすほどに驚愕したと言われている。
この逸話をもってして京極艦隊のウ島包囲は事前に細川と打ち合わせされたものではないと主張される根拠にもなっている。
真偽のほど明らかではないが、事実としては細川克元はすぐに京都に向けて全艦を発進させた。
ゲラシメンコにとって、いやほとんどすべてのシノワス軍人にとって京極の急襲は青天の霹靂であった。
さてどうするか?
ウ島を捨てて京都をとるか?
労せずとは言え、敵の中枢を占拠していることは大和幕府政府の消滅とシノワスによる実効支配の他には代えがたい証明である。
例え一時的に京極がウ島を占拠したとしても、京都を占拠している我らの半数以下の戦力である。
我々の京都占領以上に彼らの長期占領は困難であろう。
であれば、我々は、現在、京都に向かっている細川艦隊の殲滅する。
さすれば我々の最大の脅威を排除することができる。
その上でウ島を奪還すればいい。
聞く話によれば、京極艦隊は海戦に対して脆弱そのものらしいのだ。
一見、この案は最前に思える。
しかし、我々がその行動した時には、京極は間違いなくウ島に本格的な攻撃を仕掛けてくるだろう。
ウ島に上陸して住民を人質にとって我々に政治的交渉をしてくるに違いない。
その時は京都からの撤退を交渉のカードとして使わない手はない。
結局は、京都からの撤退となるのではないか?
純粋に軍事的な最良策が政治的な最良策とはならないものである。
「ここらあたりが潮時というわけか」ゲラシメンコの気持ちは京都撤退に傾く。
「それしかないと思いますが口惜しいですな。やはりスターリンで奇襲をかけるわけにいかないでしょうか?」
「ああ、船の故障のほうは大したことないが、肝心のコンスタンティン大佐がいまだ行方不明だ」
「彼以上にあの船を動かせるものもいませんしな、一体生きているのやら死んでいるのやら」
「そもそも彼を山名挟撃に向わせたのは我々だ。スターリンが作戦続行不能になってもなお寡兵をもって敵に向かった彼を責めることなどは誰もできないだろ」
ゲラシメンコは、ついには京都からの全軍撤退を決定して、それを世界に向けて発信する。
京都から出航する解放軍艦隊と入れ替わりに細川の艦隊が入港した。
入京した細川は、幕府体制に変わる新政府樹立を宣言し管理機構への届け出を行った。
叡山にいるとされている十五代将軍の嫡男御茶丸の存在などはもはや彼の頭にはないようだ。
まるで示し合わせたように京極艦隊はウ島の包囲を解いて撤退していく。
しかしその後は、京都に入ることなく、自領にとどまったままだ。
堂珍はまだまだ一幕あると考えているのだろう。
ウ島に戻ったゲラシメンコは辞任し、党のナンバー2である国家公安局局長アンドロポスが後任となった。
行方不明とされていた大佐は、山名宗兵を叡山に送り届けると、SV-125からフライトレコーダーを取抜き取り、鴉とともにエデンに戻り、スターリンのクルーと再会する。
もう二度と大佐とは口をきかないと子供のような拗ね方をしていた楠木は、大佐を姿を見つけるやいなや前言撤回してその体に抱きつき、それこそ子供のように泣きじゃくった。
そして、すぐに近代重工からの尋問に呼び出された彼は「SV-125の実戦における結果と量産化の課題」という数十枚に渡るレポートを1時間程度で書き上げてフライトレコーダーとともに提出した。
それはSV-125への非難、不信、恨みつらみ、いけてなさ、その諸々の罵詈雑言に溢れていたという。
そしてスターリンと共にウ島に戻った彼を待ち受けていたのは、解放軍艦隊の再編という大仕事であった。
さて一連の戦いに一応の決着がついた現在、幕府側の保有する母艦級軍艦は9隻、奇しくも解放軍と同数になった。かつて24隻8個艦隊と解放軍のほぼ倍を誇っていた大艦隊の面影は昔日の感がある。
そしてシノワスにとってもその戦力比が大きく変わったことで従来の艦隊編成の考え方を見直す必要が出てきた。
そこで解放軍はより機動的な作戦行動を可能とするために、いままでの4隻1個艦隊から3隻1個艦隊の3個艦隊に再編成する事を決定する。
第1、第2艦隊からそれぞれ1隻づつのレーニン級を外してスターリンを旗艦とする第4艦隊に編成する。
艦の特徴、性能があまり違いすぎるスターリンとレーニン級がともに艦隊を組むことにはデメリットしかないことは自明であったが、以前の通り作戦の性質によっては、スターリン単独行動をありうるという条件とつけてなんとか折り合いをつけた。
そして新たな第二艦隊は壱岐島に向かい守備を固め、第一艦隊はウ島防衛を考慮にいれた装備の見直しと陸兵と連携した演習を実施する。
これは今回の侵攻による政府に対する民衆の不満へのデモンストレーションを多分に含むものであった。
そして第四艦隊は、まずは基本的な艦隊行動の訓練から始める予定であったが思わぬ邪魔が入ってしまう。
大佐を呼び出した新総裁のアンドロポスは鋭い眼光で大佐をにらみ、挨拶も抜きにいきなり本論に入る。
「コンスタンティン大佐、先日の山名艦隊挟撃作戦の際のスターリン触雷事故には、様々な疑念があるのだ」
「総裁、その件は報告書の通りでございます」
「まあ、そのことはいいさ。しかし問題なのは敵対勢力の最重要人物である山名宗兵をお前が独断で逃がしたという事だ。」
「お言葉ではございますが、そんな大事を私個人の手でできましょうか?」
「まあ、そうだろうな。ではこれは管理機構、いやエデンの意思と考えるべきか?」
「そのような事実はありませんが、もし私がそのような行動をとる動機があるとしたら、愛するシノワスのためを思っての事かと思います。」
「ふん、そうか、まあ、その話はここまでにしておこうか。その愛国心溢れる大佐どのに飼い主様から手紙はきているのだ、ほれっ」
そういってアンドロポスは書簡を投げてよこす。
「貴様は、また長期出張らしいが、第4艦隊のほうはちゃんと引き継ぎを用意しとけ」