14. 日常が欲しいだけなのに 〜神格者は今日も図書館勤務〜
――神格承認から三日後。
聖都における政治と信仰のバランスが大きく揺れるなかで、ただ一人、何も変わっていない者がいた。
図書館司書、クロウ。
――神格者。
――語るだけで世界を変える存在。
――世界律に登録された、“無意識の創世者”。
それなのに。
「……ふむ、この巻物……分類が“超常学”になってるけど、“現代錬金理論”だよね?」
「クロウ様、こっちは“語られし幻獣一覧”という資料でしたが、語ったことありますか?」
「いや知らんよ!? 俺そんなの語ってないってば!!」
今日も図書館は平常運転――という名の混沌。
デルフィアはクロウの横で神託記録帳を開き、
ゼクスは巡回のように館内を歩きながら、時折「クロウ様、ご加護を」とか言い始める。
「……なんか最近、信者が図書館に増えてない……?」
「はい。“本が好きな神様”という噂が広がり、信仰者が“静かな祈り”を捧げに来ております」
「お願いだから静かにしてて……読書の邪魔になるから……」
◆
そんな中、ひとりの少女が現れる。
小さな体にボロボロの外套。
怯えた表情で、図書館の扉を恐る恐る開けた。
「……あの……クロウ様、いらっしゃいますか……?」
デルフィアがやわらかく微笑み、案内する。
「こちらへどうぞ。語りの主・クロウ様は、あちらに」
少女は、おずおずとクロウに近づき、懐から一枚の紙を取り出す。
「これ……母の病気を、どうか……“語って”いただけませんか……」
クロウは絶句する。
だが、その目は真剣だった。
(……俺の語りで、救えるかもしれない。
いや、本来そんなつもりじゃなかったけど……“世界が信じている”以上、無視できない)
クロウは静かに、紙を受け取り、目を閉じて――
「かつて、“影の国”に棲むという癒しの風があった。
それは病に触れれば、音もなく痛みを拭い去ったという――」
語る。
それはただの、優しい物語。だが――
その瞬間、少女の懐にしまっていた小瓶が淡く光った。
中に入っていたただの水が、やわらかな銀光を帯びる。
「……これ、“影の風の雫”……?」
デルフィアが頷く。
「クロウ様の語りにより、世界が“そうである”と認めたのです。
これは、語られた癒しの物語……」
少女は涙を流しながら、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、クロウ様……っ」
クロウはそっと苦笑する。
「……もう、“語らない”ではいられないのかもな」
◆
夜。
閉館後の図書館で、クロウはひとり本を眺めていた。
「……俺は、ただの語り部だった。
でも……誰かが“その言葉に救われる”って信じてくれるなら……」
デルフィアが静かに寄ってきて言う。
「クロウ様。あなたの語りは、もう“ただの妄想”ではありません。
それは、“この世界が待ち望んでいた物語”なのです」
クロウは空を見上げた。
「……それでも俺は、“物語の中心”に立ちたいわけじゃない。
ただ……語りたいことを語って、誰かが笑ってくれれば、それでいいんだ」
語られた日常。
静かな図書館の中、ひとつの“神話”が、またゆっくりと、世界に染み込んでいく――。