たーちゃんのメロディ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おおっと、あの車はここでUターンするのか。
こう分離帯のすき間とかがあると、強引に回る車をときどき見かけるよね。
確かにお店の駐車場にいったん入れるのもおっくうだろうし、ドライバーとしても周囲を気にしてはいるんだろうね。もし、ほかの車の邪魔をするような動きしたら、大バッシング間違いなし。
あと、自分の運転技術そのものにも、多少は自信を持っているとみた。
不慮の事故、不慣れゆえのもたつきなどなど、起こりうる不安要素をねじ伏せて、不問にしてしまうほどの誇り。自覚せずとも、その身に宿っていることだろう。
慣れは自信につながり、やがてはおごりにつながる。
仮に乗物を使わずとも、僕たちは自分の身体の動きに期待をかけているはずだ。
この程度の力で、このように動けば、こういう結果にたどり着けるに違いない……と、経験値から割り出して動いている。
その期待を裏切られると、驚いたり、不満を抱いたり、多かれ少なかれ揺れちゃうものよね。
もし「自分はおかしくないはずなのに……」と思うことあれば、ちょっとだけ冷静になってみるといいかも。
友達から聞いた話なんだけどね、耳に入れてみないかい?
十三階段の怪談。もちろん、こーちゃんならよくご存じだろ?
いつもは段数の違うはずの階段が、13段を数えるとき、そこを踏めば不可思議なことが巻き起こる……と。
昼は違うのに、夜や特定の時間だけ段数が変わる。もし、超突貫工事によって段が削られたり、付け足されたりしていない限り、科学的には踏む当人のコンディションが悪いと見るべきだろう。
階段の数え間違いをしてしまうほどの、体調不良。それであれば13段目を踏んだときに、何かしらの発作を起こして、普段はありえないことをしてしまう、といった感じに。
その十三階段の派生形に、「たーちゃんのメロディ」というのがある。
これは友達の地元で、信号機が青のときに鳴り出す音楽のことで、目の不自由な人向けの対策の一環と聞いている。
曲の本名は、聞けば「ああ、あれね」とたいていの人がわかっちゃうほど有名なものだ。なので、ここでは「たーちゃんのメロディ」と仮称させてもらう。
友達のいる町内では、いずれの歩行者信号機でも、このたーちゃんのメロディが流れるようにさせられていた。
青の間はメロディを流し、歩行者信号が点滅し始めると、それをぶったぎって、カウントダウンを思わせる断続的な音へ変わる。極端な様変わりゆえ、すぐに異状へ気づけるという寸法だ。
場所や時間帯によって、どれほどの長さメロディが流れるかは変わってくる。
当時の友達が通う学校近くの県道は、短めのたーちゃんのメロディが、一周まるまる聞こえてしまうほど、長く響いてきたという。
そのようなことも、友達やそのまわりの人にとっては些末なことに過ぎなかった。
メロディが鳴っていようといまいと、自分たちが通ったり、渡ったりする以外に道は意味を成していないのだから。
ただ、その耳に「いつもの」BGMとして、知らず知らずのうちに刻み込まれていくんだ。
だから、その日の学校帰り。
くだんの横断歩道へ差し掛かった時に、違和感を覚えてしまったんだ。
文化祭の準備で、遅くまで残っていたものだから、あたりはうっすらと暗くなっている。
メロディが長く流れるだけあって、歩道は相応に長い。道路の途中、二カ所も歩行者が待機できる区切れが存在するくらいだ。
とはいえ若者の足で、青になる前から待ち受けているなら、ゆうゆうと渡り切れるほど。
やがて流れてきた「たーちゃんのメロディ」をバックに、友達はてくてく歩道を渡り出したんだ。
急に左折して、こちらへ向かってくる車が来ないかどうかだけは、確認しながら。
が、いくらも歩かないうちに。
――プ、プ、プ、プ、プ……。
たーちゃんのメロディは途切れ、カウントダウンの音が鳴り始める。
「え?」と、うつむき気味だった友達が、顔をあげた。
信号は変わらず青色をたたえている。わずかな点滅だってしていない。
故障なのか? と友達はしばし足を止めたあと、何食わぬ顔で歩き始めたのだけど。
どん、と前から押されて尻もちをついてしまう。
いま歩道を渡っているのは友達ひとり。向こうからやってくる人は、ひとりもいない。
もちろん、壁や柱などは立っていない。自分が勝手に、腰砕けになったわけでもない。
文字通りの、見えない力に襲われたとしか表現できなかった。
間髪入れず、後ろへついた両手が、ガリガリガリと不快な音を立てる。わずかに遅れて、じんじんと強い痛みが。
見た両手の甲には、自転車のタイヤがつける「わだち」にそっくりの痕がくっきりと浮かび、そこかしこで赤いものがにじみ始めていた。
続いて両足。
ほんのつま先、ほんの一瞬だったというのに、重い石に下敷きになったような圧力と、肉と骨のきしみを、友達は耳へ叩き込まれた。
立ち上がれなかった。
力が入らないというより、自分の動かそうとする気持ちを、何メートルも先にある二宮金次郎像へ懸命にぶつけているかのよう。
それすなわち、返事なし。
血のしたたる両手ではいずり、どうにか友達は元居た歩道へ逃げ戻った。
たーちゃんのメロディはおろか、カウントダウン音さえ絶えた歩道まわり。それは本来、赤信号のときにのみ、もたらされるはずだった時空間。
それが正面は変わらず、青信号をたたえたままでいて、この静寂の中を光っている。
もう、友達に歩道へ入る勇気はなかった。
変わらず立つこともできないまま、這いずって、這いずって、遠くの歩道橋まで使って、本来の何倍もかけた下校は終わりを告げた。
手の傷はそこまで深くなかったが、つま先の骨は複雑に折れていたらしく、治療にだいぶ時間を食ったと話していたよ。
いまだ誰が、いやどいつがやったかは分かっていない。
ただ、「たーちゃんのメロディ」が絶えてしまったあの青信号は、友達ではない誰か用の、通行許可だったのだろうなあ。