井戸は枯れてしまい、メルケルは80年ぶりに早川さんに電話をしたのです
明治の御代が終わり、大正になって、14年経った後の昭和が始まってもメルケルとメルケルのサイダー工場は何も変わりません。
世間様が、我儘だったり几帳面だったりの模様替えに忙しく着替えていっても、朝からの4時間は井戸から炭酸泉を汲んでコケモモを合わせたサイダーづくりに充て、午からの4時間をリヤカーを引かせたオートバイでお客様に出来立てのサイダーを運んでいき、あわせて次の配達の営業に充てるメルケルの一日は少しも変わっていきませんでした。
メルケルの周りで変わっていったのは、「もう、工場、辞めますから」の雇われ人と「もう、サイダー、要らないから」のお客様だけです。商売においてこの二つはどんな世界でも時代でも流れていくものですから、各々の顔は変わっても顔数さえ変わらなければ、それは何も変わらないことと同じなのです。
サイダー工場は経営ですから、そうした気分屋の人たちとは別に紆余曲折はあります。
メルケルのサイダーの命である炭酸泉を汲みだしてくれるこの井戸だって、いつまでもコンコンと湧き出てくれるとは限らないのです。ドイツにいた頃のむかしから山師だったメルケルは、直感と経験を上手に組み立てていくのはお手のものです。
三月分の利益が見えたら、それで配達の途中に目星を付けていた空き家を買い取り地下室を掘るのに充てます。
そうして、その日に作ったサイダーの半分は配達に、半分は地下室に納めます。
半分のですから、折半ですから、売り上げたサイダーの本数と貯めとくサイダーの本数は一緒です。そうです、メルケルはサイダーで儲かった利益をお金のままにしておくのでなく、サイダーで貯金していったのです。工場を始めたときから始めたのですから、サイダー貯金がどれだけ貯まったかを勘定するのはとても簡単です。
いままでに売れたサイダーの本数と貯金してるサイダーの本数は同じ数なのですから、別々の二つの数字を見なくてもいいのです。
配達するときに見かける公園で男の子と女の子の幼い子どもふたりの乗ったシーソーがギッタンバッコンしないまま水平に均衡してる姿を見つける度、メルケルはサイダーの売上と貯金にその姿を重ねるのです。
いつもそこに存在しているかたちがメルケルを幸せな心地にしてくれます。
そんなたった一つの井戸から湧き出す炭酸泉商売よりほかに手を広げないメルケルに、お大尽の仲間たちは遠ざかっていきます。でもそれはいいんです。お大尽とはそうした輪っかでくくった仲間だけを仲間としてる人達ですから。始めっからメルケルには仲間でもなんでもなかったっだけのことですから。お大尽はメルケルの周りで変わっいった気分屋の人達の勘定には入っていない人達ですから。
雇われ人とお客様とお大尽たちから置いてけぼりをくらっても、メルケルはこの街で孤独ぼっちを味わっていたかというと、そんなことはありません。
メルケルには電話交換のお姉さんがいるのです。早川さんがいるのです。
工場で掌のあいたとき、電話機のハンドルを素早くに二回転回せば、それがメルケルの発信だと分かってくれていますから、早川さんは出てくれます。早川さんの掌と口がほかのお客のために塞がっていれば、新参者のお姉さんとのお話しに興ずることができます。
「あらあらメルケル、はじめまして。こんにちわ。わたし昨日から入った相良よ、よろしくね。早川さん、いま、何度も何度も同じお話をしなけりゃいけない面倒くさいお客様に掴まっているの。それまでは私とお話ししましょ。サイダーのお話を聞かせて、お国のお話をきかせてよ・・・・ねぇ、メルケル」
はじめてでも電話交換手のおネェさんは、やはりお姉さんです。この三つ年上のお姉さんにメルケルは得意の鼻濁音を使い、どんなレコード歌手よりも心地よくお話しします、聞かせます。
炭酸泉の湧き出る井戸のこと
一番美味しいコケモモのジャムのある故郷のこと
そして、描けるけど決して結えない結び目を描いたサイダー瓶のラベルのこと
それから、結えない結び目は代々のケルトの紋章であって、小さな仔どものころから誰よりも上手にそれを描けて、一番のコケモモのジャムをつくってくれるおばあちゃんとのことにまでお話が進んでいったころ、新参者のお姉さんの頭の中のあくびが聞こえてきます。
でも、ほんとうのあくびは声にも顔にも出しません。だって、新参者でも、電話交換手のお姉さんですから、プロのテレフォンレディですから。お客様にはそんな顔を面には出しません。それに、いくら面倒くさいお客様だろうと、早川さんならそんな爺さん(メルケルが思う嫌な客はみんな爺さんの顔をしてるのです)を、気分を害することなく、いい子いい子しながら受話器を置かせてしまうはずです。なぜって、お話するのをずぅーと待っているメルケルのことが頭から離れないはずですから。
そんなとき、いつも、この街が女の街と言われているのをメルケルは思い出します。
それは、この街が花街と呼ばれ朱色に染められていることよりも、電話交換手のお姉さんと繋がってる顔も身体も見えない銅線が無数に走ってるからだとメルケルは思います。
花街さえ静まり返った深夜、早川さんとお喋りしながら晴れた夜の空に輝くたくさんの満面の星を見ていると、この空のかたちがそのままこの街に降りてきて、銅線の電話線をキラキラさせながら夜のお喋りの花を同じように赤く咲かせているように感じるのです。
そこには他人はいません。時間も空間も平らにならした中のたくさんのメルケルと早川さんがお喋りしてる世界をメルケルはいつも見ています。
だから、電話機のハンドルさえ回せば至福の時間があり、ひとりぼっちを味わうなんて日本語が自分に当てはまるなんてこれっぽっちも考えたことはないのです。
いつもそこに存在しているかたちがメルケルを幸せな心地にしてくれます。
メルケルが思う早川さんとの繋がりには、もう一つがありました。
明治の御代が終わり、大正になって、14年経った後の昭和が始まり20年経っても、メルケルがサイダーの配達を続けてるお客様がいるのです。
毎日一緒に一本ずつメルケルの炭酸泉を飲み続けているお客さんがいるのです。
1ダース12本のサイダーを毎日1本づつ飲んでるだろうのそのお客様は、12日ごとに新しい1ダース12本入りのサイダーをメルケルが配達するのを一度も間違えずに空瓶を入れた木箱を玄関先に置いています。
メルケルは、今朝汲みたての炭酸泉で作ったサイダー12本の入った木箱を置いて、サイダーと王冠12個が抜けた分だけ軽くなった12本の空き瓶の入った木箱を回収します。
そのお客様のときだけ、メルケルはオートバイのエンジンを切るのです。ほかのお客様の時は、エンジンを切ってしまうと60年乗ってるオートバイですから、すぐにエンジンが掛かる保証はありません。だから、サイダーの入った木箱をおろし声を掛け声を聞いてサイダーの入いってない木箱を積みこむまでの1分の間、オートバイは唸ったままなのですが、そのお客様のときだけはお客様の声をそんなエンジンの音に汚されたくはないから、エンジンを切るのです。
「ありがとうメルケル、ごくろうさま。次もおねがいね」
玄関は閉まっていますけれど、曇りガラス越しの人影は見えます。
影はくぐもってはいます。が、ドアで遮断され小さくなってもその声は、まっすぐにメルケルの耳に届きます。
いつもそこに存在しているかたちがメルケルを幸せな心地にしてくれます。
ー 早川さん
銅線を通してでない、生の早川さんの声とくぐもった影を再び見ることの出来るのは、また12日後です。
先の大戦の空襲で、炭酸泉は枯れてしまいました。
大戦ですから、食べるものもやっとこさの毎日がずっと続いてましたから、早川さんとメルケルを除いた誰もがもうサイダーのことなぞ忘れてしまっていました。メルケルのサイダー工場は、「お国のため」に着飾った着物を一枚一枚剝がされるように供出させられました。あんなに張り巡らされていた銅線も、深夜に電話交換手とお喋りできるような隙間は「贅沢は敵だ」からと供出させられました。
早川さんとの繋がりはサイダーの配達だけになったのです。
大戦が始まってからはサイダーの売上はメルケルと早川さんが毎日飲む2本だけですから、貯金のサイダーが増えるのもそればかりになっていきました。それでも細々頑張ってた炭酸泉でしたが、とうとう枯れてしまったのです。
なくなってしまったのはそればかりではありません。
あちらこちらの空き家の隠した12本入りの木枠箱も半分は爆弾で粉々にされてしまいました。ふたりの飲めるサイダーの本数はあと数十年の有限の本数だけになったのです。有限の本数になったといっても、毎日二本づつの引き算ですから、いずれ無くなってしまう現実を危ぶむ説得力は未だメルケルにも早川さんにもありません。
日常は有限のもので出来上がっています。
でも誰もそれに気に止めようとはしません。気に止めないことで日常は出来上がっているからです。19歳の同い年カップルに「あと50年であんたち死ぬよ」と占い師が指差ししても、何も刺さっては呉れません。反対に、69歳のカップルに「あんたたちにも、あんな19歳の頃があっただろう」と言っても、時間は遡るような出来ないことに擦り減らすのはもう辞めた齢ですから、刺さっていかないのは目に見えています。
それでも90歳を超えてしまったら、残りの少なさばかりが目につきます。
100歳どころか、140歳、160歳の年嵩になっても、増えていくのは年嵩ばかりで、残りが増えていったのだの安らかさは訪れてはくれません。
有限の呪縛から解き放たれることは永遠に来ないのです。
ただふたりを外し、誰ひとり同じ時間を過ごしてきたひとが周りに一人もいなくなっただけなのです。
とうとうサイダーを保管してる空き家は1軒だけになりました。残りの箱の数が指で折らなくても数えられて、残りの本数は計算しなくてパッと数字が浮かぶ程に減っていいます。
メルケルは早川さんに80年ぶりに電話をしました。「お国のため」と「贅沢は敵だ」を連呼していたラッパスピーカーがなくなってから80年が経ったのです。ふたりとも無頓着なまま80年が過ぎたのです。電話線はもう銅線ではありません。世界中に張り巡らされ、ハンドルを手回ししなくてもいつでもお話できるようになりました。それでもメルケルは早川さんにお喋りの電話は一度もしませんでした。いったん終わった深夜のお喋りは、「知りたいことができたら、いつかは」と思いながら、80年が過ぎたのです。
そして、どうすれば枯れたサイダー工場の井戸から再び炭酸泉を湧き出すことが出来るのかを教えてもらうために80年ぶりに電話をしました。
120年経ってもメルケルは山師です。井戸を掘りあてることは出来ます。でも、枯れてしまった井戸を元どおりする術は分かりません。
けれど、早川さんなら何とかしてくれるはずです。120年前にサイダー工場を始めたときと同じように、メルケルの知りたいことを何もかも教えてくれるひとなのです。
電話交換手のお姉さんは、知らなくてもいいことは何ひとつお喋りせずに、知りたいことを教えてくれるプロですから。