けっして結えない結び目
メルケルにとって、鉱泉として湧き出す炭酸泉は、むかしから飲みものと決まっていました。
幼いころコケモモのジャムを割っておばあちゃんが作ってくれたサイダーの味。さっそく貰ったコケモモのジャムをつかい鉱泉に割り入れてサイダーを作ります。
いままでに飲んだどんなサイダーよりも美味しい。これを6歳で飲んだ子はどんなに幸せな子どもなんだろうと羨ましくなってしまいます。
翌朝、メルケルはサイダー工場をつくるため次々と様々な会社に電話します。コケモモジャムの仕入れはジャムの瓶の底に書いてあった住所が分かっていましたのですぐに電話をしました。あとは電話交換機のお姉さんに教えてもらった相手すべてです。
昨晩のうちに電話交換機のお姉さんたち10人と友達になっていたから、次々がスムーズに運びます。
サイダー瓶を作ってくれる会社、お願い
サイダー工場を建ててくれる会社、お願い
サイダー瓶にサイダーを詰めてくれる機械を作ってくれる会社、お願い
サイダー工場の看板を書いてくれる会社、お願い
サイダー詰めた瓶に貼り付ける王冠を作ってくれる会社、お願い
サイダー瓶に貼り付けるラベルを印刷してくれる会社、お願い
サイダー12本を一ダースにまとめてくれる木枠箱を作ってくれる会社、お願い
おひると残業したときのケータリングをしてくれる会社、お願い
鉱泉を汲みあげてコケモモジャムを混ぜてサイダーにするまではメルケルが行います。サイダーづくりは企業秘密だから、ほかのひとの手を借りるわけにはいきません。
井戸と建屋はお大尽から譲り受けていますし、お願いした会社から頼んだいろいろが届いたら、それを届けてくれた男たちがサイダー工場の従業員になって働いてくれますし、仕入れの支払いは、サイダーの売れたお金でとはなしは済んでいます。
少しややこしいからと丁寧な説明が求められることまで昨晩のうちにお友達になった電話交換機のお姉さんたち先方に廻っていてくれてますから、次々はスムーズに運びます。
一ダースのサイダーは粗木に釘をぶったいて拵えた木箱に納まりメルケルと一緒にドイツまでの船に乗りそこなったオートバイにリヤカーを付けて配達されます。お客さんとの繋がりは企業秘密だから、他人の手を借りるわけにはいきません。
でも、本当のところは、特別なお客様帳があるわけもなく、お友達になった電話交換機のお姉さんから自分たちのお客さんたちを教えてもらって、工場に近いとことから順々に回っているだけなのです。
なぜって、たくさんのお金を払って、あんな小さなラッパ口の付いた木箱に向かってお喋りしてる人たちだもの、お喋りで喉がカラカラになっているに違いない、そこにカラカラの喉を潤す美味しいサイダーを持っていって、目の前で栓を抜いたら、爽やかなシュワシュワにコケモモの甘い香りが飛び散って・・・・・それを我慢我慢できるお金持ちなんていやしない。
はい、一ダースお買い上げ。一週間たったら空の瓶と引き換えに新しいサイダーを持ってきます。お代金はそのときいただきます。〇〇円ちょうどを用意しておいてください。まいどありがとうございます。
そうそう、メルケルが自分でする一番の仕事を伝えるのを忘れるところでした。
サイダー瓶に「メルケルのサイダー」のラベルを貼ってあげること。これを貼ってあげるとコケモモ入りの鉱泉はサイダーになるのです。
ラベルの模様は、ケルトの結び目とよばれる組紐模様。コケモモのジャムと同じくらいに身の回りに溢れていたから、目をつむっていても描けます。でも結べません。メルケルの家にあったむかしからの紋章です。
描くのはかんたん、でも紐では結べない結び目
お絵描きにあきた5歳のメルケルは紐を外から2回、中から3回してみます。ぐるりと結び直せば出来そうな感じがするのですが、いくらやってもこれが作れません。それを見ていたおばあちゃんはメルケルに言います。「結べるわけはないよ、それは紐でもけっして結わえることのできない結び目なのさ。描くのが得意なら5歳の子でもスケッチできちまうが、どんなに器用な大人だって結べやしない結び目 なのさ」と誇らしげに自慢します。
5歳でそう言われ、6歳の誕生日のときも7歳の誕生日のときも、メルケルは果敢にチャレンジしましたが、けっして結べません。絵の得意なメルケルは5歳のときにその結び目を結べるようにスケッチしたのに不器用だからなのかおばあちゃんの呪文が強いからかけっして結べません。
8歳の誕生日にはもうそれを諦めました。おばあちゃんはその前の日に亡くなったからです。メルケルはほどいた結び目を見てもらえる人と呪文を解いてもらえるひとは同時になくしたのです。