表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

明治の御代にサイダー工場を始めたのはドイツ人のメルケル

 方々(ほうぼう)に散らばっていたそれらの部材がサイダー工場の跡地(あとち)搬入(はんにゅう)され組み立てが始まり設置されるまでに掛かったのは、わずか3時間でした。3時間を「わずか3時間」というのは、それまでに大勢の職人によるてんで勝手のおおばらこくたい(散らかって)の作業を含めると全部で十日掛かりでしたから、3時間なんて本当にもう「あっ」という間な感じだからです。


 まず、はじめに、跡地のその辺りに作業人らしき人が集まり、モゾモゾを始めたました。

 職人ですから皆んな(みんな)その道のプロという感じで、自分の頼まれた仕事に選りすぐり(えりすぐり)の道具を持参して誇らしげにそれらをキビキビと使い、自らの分(みずからのぶん)を終えるとサッサと帰っていきます。作業をする人と道具はあんなにも溢れているのにそれらが向かう相手の材料の何ひとつ運ばれていない現場は、夕方になるとお祭りのあとのように仕事にかかる前の朝と何ひとつ変わったところは見つかりません。


  お天気の日も雨の日も、それは続きました。


 大勢が行き来し、大勢が囲み、たくさんの作業があってもいままでと同じサイダー工場跡地のままです。なにか古いものを甦らせたり、新しいなにかが出来たりの気配は感じられません。

 此処(ここ)はおおよそ130年前の明治の御代(めいじのみよ)に雪の深いこの街にやってきたメルケルという名前のドイツ人が始めたサイダー工場の跡地(あとち)です。それ以来(いらい)の跡地です。シュワシュワのサイダーを薄青(うすあお)のかかった分厚いガラス瓶に詰めて。削り出しの荒い木箱に20本づつ納めて出荷していった工場があった跡地です。

 

 そのドイツ人の山師(やまし)女子が売り(おなごがうり)のこの街に10日間居続け、連れてきてくれた船はあきれて帰ってしまい、仕方なくこの街のお大尽(おだいじん)に頼まれた井戸を掘って、暮らすことになりました。

 あてがわれた住処(すみか)に、馴染み(なじみ)から貰った使い古しの打掛(うちかけ)を肩掛けに、俯き加減(うつむきかげん)の腕組みなんかしてると、()けっぱなた(おもて)の方から声が掛かります。


「井戸を掘っておくれ。家族中のものが、店中のものが、皆んな一斉に入れるようなヒノキ風呂を拵えるから、そこにたっぷりの水を張るための井戸を掘っておくれ」 

湧水(ゆうすい)()み出しておくれ。両抱え(りょうがかえ)してもはみ出すくらいに大きな三色(さんしき)の鯉をウヨウヨ泳がす池を拵えるから、池が波打つくらいに力強い湧水を掘っておくれ」

「温泉を()かせておくれ。雪を一度も見たことないような南の海に温泉が湧くのに()てつく北の海に湧かないなんてはずはないから、冬になってもすぐに真っ裸になりたくなるくらい熱い温泉を掘っておくれ」

 ドイツ人の山師は、そんな喧しい(やかましい)注文にもお大尽たちがぐしゃぐしゃの笑みをうかべる満足する井戸を湧水を温泉を次々と掘り当てていきました。

 でも、顔をグシャグシャにするほど満足してたのはドイツ人の山師です。

 ここに住む人たちは誰ひとり知らないのだ。ここはホンシュウで一番大きな砂丘があるのを。水脈(すいみゃく)を見つけ(まなこ)さえ(ととの)えば、針り師(はりし)(はだ)を突くように砂丘の中に溜まった大昔からの水が噴水のように(ひね)り出てくるのです。

 

 そんなドイツ人の山師にも風向きが変わりました。風に良い風も悪い風もありません。ただ向きが変わっただけです。

 街一番のお大尽に頼まれて堀った井戸からは、炊事(すいじ)をする水もなく風呂代わりの温泉でもなく、シュワシュワする冷たい水が湧いてきました。「おぉー、これは素晴らしい炭酸泉だ」と、ガラスコップにいれて、そのシュワシュワ泡の出る水を大事そうに美味しそうに飲んで見せてやりました。

 ところが、炊事や風呂(すいじやふろ)には使えず熱い温泉(あついおんせん)でもないシュワシュワするばかりの冷たい()()()()にしたお大尽は「このペテン師め」の捨て台詞(すてぜりふ)()くと、ここいらのものをすべてうっちゃらかして、とっとと帰ってしまいます。

 たくさんの炭酸の入ったすばらしい鉱泉のうまさにうっとり顔のメルケルは、真っ赤になったお大尽の顔もこの後もらえるはずだった大金もすっかり(わき)に置き、すっかりあたまに血の上ったお大尽から、びた一文(びたいちもん)渡さないと言われた代わりに、うっちゃらかしたこの土地を譲り受ける念書(ねんしょ)をちゃっかり貰って、「なんて、もったぇねぇ。知らないとはまるで金をどぶのように扱うことだてぇ」と、ここいらの婆さん言葉でほくそ笑みます。


   

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ