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近眼と老眼と乱視の混ざった目で電車の窓からそれは見つかったのです

 仕事が変わって、今度の事務所には電車で通うようになりました。

 いままでに何度も転勤(てんきん)はありましたが、いままでの事務所は近いところは自転車(バイスクル)を遠いところは自動車(オートモービル)を使ってのところばかりで、駅から近いところは一度もありませんでしたから、こんな(よわい)になってからの初めてが、電車通勤(でんしゃつうきん)が、とても嬉しいのです。

 思えば機関車(きかんしゃ)の時代から、わたしは列車(れっしゃ)のお出かけが大好きでした。自ら(みずから)が動いているというよりも、運ばれていくようなわたしではない外の景色がこちらに手繰(たぐ)られてくる感じが大好きなんです。

 だから、勤め人の誰もが圧を感じる(あつをかんじる)日曜日の夕方も月曜日の朝も大丈夫(だいじょうぶ)な、お出掛けのルンルン気分はぜんぜん変わらないままの一週間を繰り返すことが出来るようになりました。

 わたしは()むことなく健康な毎日を過ごすようになったのです。


 大きな駅までの電車の中は割合(わりあい)に混んでいて、いつも窓に向かって立っています。

 寒くなったいまの時期は、すぐにメガネを(はず)し、マスクを掛けます。コロナやインフルエンザに気を付けてマスクを掛けるように躾け(しつけ)られているからです。メガネを掛けたままだと曇ってしまうのですが、ぼんやりでも窓の外が見えてた方が嬉しいのでメガネは外すのです。健康にはなったけれど近眼と老眼と乱視が混ざってる身の上ですので、ぼんやりするのは廻りばかりで我が身(わがみ)さえぼんやりしてきます。


 わたしの住む処(すむところ)には、とても大きくて長い砂丘(さきゅう)があります。

 もう、そのことを、気にするひとはひとりもいなくなりましたが、こうして電車の窓から真っ直ぐ順々に線路伝い(せんろづたい)に伸ばした小路(こみち)を見ていると、どの小路も上へと向かう坂道ばかりです。

 小路の坂道(こみちのさかみち)を登り切った先には、すぐに海があるのです。北の海ですから南のひとからは夏でも冷たい海の感じがするでしょう。そんな海があるのです。でも、坂道の上っ面(うわっつら)が邪魔をして、海は一度も窓に映りません。

 が、わたしは、電車の中からでも上っ面の先(うわっつらのさき)にあるはずの海を感じながら、夏でも冷たい風を運んでる北の海を感じながら、この短い小路の坂道に色とぢどりのテープを貼っていき、順々にそれを(なが)めていくのが楽しいのです。

 色とりどりですが、テープはいつも薄っぺらですぐに()がせる養生テープです。

 なにか作業するときに身代わり(みがわり)汚される(よごされる)のが身の上(みのうえ)の、薄くて、()ってもすぐに()がされるテープです。


   同じような三角屋根に瓦をふいた家並が続く坂道にピタリ

   てんでバラバラのかたちと色遣いのトタン屋根が並ぶ坂道にピタリ


 海が見えない代わりの波音のリフレインを聞いているような楽しさを繋げていきます。 

 しかし、ひとつだけ、テープ貼りの手を止めてずっと見ていたい場所があります。

 それは、明治の御代(めいじのみよ)よりも昔の、物を運ぶのの中心が船だった時代に、のべ10万人もの人の掌で掘ってつくった小さな細い運河(うんが)を過ぎるときです。百年このかたとおる船はありませんが、運河は生きてます。悪水(あくすい)に悩まされた砂丘のひとたちが堀った排水路(はいすいろ)ではない、河と川を繋ぐ(かわとかわをつなぐ)運河として細々(ほそぼそ)とではありますが今でも生きているのです。

 この運河を渡るための小さな鉄橋の上を電車は通ります。

 地面のなくなった電車の車輪は少し間延び(まのび)した軋み(きしみ)に変わります。


   ガタンゴトンガタンゴトンはグーダラゴトングーガラゴトンに一瞬だけ(いっしゅんだけ)変わります。


 その先に海があるのです。

 すこしかがんでやると車窓の切れ目から地図に描かれた小さな四角形した海がみえます。まばたきしないでじっと凝視しないとすぐに消えてしまううくらいに細くて青いかぎ裂き布(かぎさきぬの)のような海を過ぎると、ちょうど同じ四角形の青い布がかがった空き地が目に入ってくるのです。


   明治の御代(みじのみよ)に建てられたサイダー工場(サイダーこうじょう)のあった(あと)の空き地

 

 毎日みているのに、メガネを外し近眼(きんがん)老眼(ろうがん)乱視(らんし)の混ざった目で今日初めて見つけてようにそれを観る(みる)のです。


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