隠密の技
合図と共に動き出したのは、グヴェイルだった。それまで鞘に納められていた刀を抜くと、一瞬その場から消えてしまったのかと思うくらいの速度でユリエスティの背後に回り込み、そして襲い掛かる。
しかしその動きに付いてこれていたユリエスティが、尻尾を振り回してグヴェイルの行く手を阻んだ。尻尾に付いた鋭い鱗が地面につくと、地面が破壊される。それにグヴェイルが触れたら、勿論タダでは済まないだろう。グヴェイルは尻尾の攻撃を避けるために退いて、背後からの奇襲を諦める事となる。
「……」
攻撃を諦めたグヴェイルが、片手の人差し指と中指を立てて、何かを呟いた。同時にその体から溢れ出始めた暖かな空気は、リズが魔法を使う時に感じ取った事がある。
「魔力?」
リズが呟いた通り、それは魔力だ。どうやらグヴェイルはああ見えて、魔術師らしい。
一方で私はその手の構え方を見て、忍者かとツッコミたくなった。
何かの魔法を発動させたグヴェイルが、光に包まれる。その光が分裂して光が収まると、不思議な事にそこにはグヴェイルが2人いた。
なんと、グヴェイルは分身して見せたのだ。更に忍者っぽくて、私はちょっとテンションが上がって来た。
分裂したグヴェイルが、すかさずユリエスティの側面から攻撃を仕掛け始める。
『むぅ……!』
片方のグヴェイルに対しては、長い尻尾で対処するユリエスティ。しかしもう片方のグヴェイルには身体の向きを変えて対処する必要がありそうだ。
ユリエスティは尻尾を振り回しながらグヴェイルの方へと向きを変えるも、グヴェイルの方が速い。ユリエスティはグヴェイルの刀によってその体を斬りつけられてしまった。
しかし直後に、ユリエスティに斬りつけた方のグヴェイルに向かって、ユリエスティの口から炎が吐き出された。自らの炎に巻き込まれるのもお構いなしの火炎は、ユリエスティの周囲を瞬く間に火事にしてしまう。
グヴェイルはその動きを察知すると、素早く退避したので無事だ。
一方でユリエスティの尻尾で攻撃されていた背後のグヴェイルが、尻尾の攻撃をかいくぐり、更には火炎の中を通ってユリエスティに攻撃を仕掛けた。火炎を発射するのに気を取られ、尻尾の攻撃がおろそかになったために隙が生まれたのだ。グヴェイルはその隙を見逃さない。
火炎の中を通った事により、グヴェイルの身体が燃えている。手にした2本の刀も火をまとい、その状態にも関わらずグヴェイルはユリエスティの背後からとびかかり、その背中に向かって刀を振り下ろした。
『オオオオオオォォォ!』
グヴェイルの方がユリエスティに触れる直前に、ユリエスティが咆哮をあげた。その咆哮は、大地を揺らして衝撃波をうみ、ユリエスティに斬りかかろうとしたグヴェイルを吹き飛ばす力となる。
「きゃ!?」
「ひぃ!」
リズとサンちゃんが、大きな咆哮に耳を塞ぎながら驚いている。私は音よりも、周囲に飛ばされた衝撃波に驚いた。たぶん音じゃなくて、咆哮と同時に何かの力が生まれたんだと思う。
この平原で吹き荒れる風をも吹き飛ばし、衝撃波が過ぎ去ると一瞬風がやんでしまった。
私は衝撃波に飛ばされないよう、2人を抱いて庇うだけで手いっぱいだった。
「分身がやられた。さすがは、メスの竜族。オスとは全く違う」
ユリエスティに襲い掛かった方のグヴェイルは、衝撃波をもろに浴びた直後にその姿が跡形もなく消え去った。
本体の方は、割と無事だ。私達の傍に退避してきて、冷静にそう呟いている。
「……己の分身を生み出す魔法は、昔隠密が得意とした魔法です。時代が移り変わり、災厄が登場してからは隠密の意味をなさなくなった結果、廃れていった魔法ですね」
「さすがリズリーシャさん、物知りっすね!うちとグヴェイルにーちゃんのご先祖は、隠密として名をはせていたんすよ。確かに隠密が必要とされない世界になっちゃったすけど、その技術は失われる事なく子へと受け継がれ、うちらの中にもちゃんと生きているっす」
『面白い術じゃが、妾の敵ではないのう。先程受けた攻撃も、妾の鱗に傷一つつけておらん。かような優しき攻撃では、妾は勿論シズにも勝つ事が出来んと思うが?』
「……」
「まだまだこれからっす!にーちゃんは全然本気を出してないから、本気を出したらユリエスティ様も驚くっすよ!」
グヴェイルの代わりにサンちゃんが反論すると、その反論に応えるようにグヴェイルを纏う空気が変わった。改めて、徐に2本の刀を構えると、その動きが揺らいで見えるようになる。
魔力が彼を包み込み、再び何かを呟きながらユリエスティに向かって駆け出すと、先程とは比べ物にならないくらいのスピードになった。更にはその動きが歪んで見えて、彼が右へ左へとフェイントでもしているかのように見える。
でも実際は真っすぐユリエスティに向かって突進しているだけだ。幻覚のような物を見せる魔法でも発動しているのだろう。
しかしユリエスティにその動きは通じない。ユリエスティは正面から向かい来るグヴェイルに対し、口から炎を吐いて扇状に焼き払う。
グヴェイルはあえなく炎に飲み込まれてしまい、その姿を消した。焼かれて死んだかと、一瞬思ってしまった自分がここにいる。しかしグヴェイルは勿論生きていて、炎に飲まれる前に空高く舞い上がっていた。舞い上がったグヴェイルは、空中で光の土台に足をかけ、土台を蹴る事で素早くユリエスティの側面に回り込むと、手にした刀を合わせて×の字にした状態で斬りかかる。
空中に出現した土台は、たぶん魔法で生み出された物だ。更には構えた2本の刀にも、黒い光が宿って魔法の気配を感じる。
『むぅ!』
対応しようとしたユリエスティだけど、間に合わない。グヴェイルの刀がユリエスティの身体に直撃し、×の字に振りぬかれた。すると、ユリエスティの鱗に×の字に傷が入り、僅かながら出血も見られる。
直後にユリエスティの尻尾がグヴェイルに襲い掛かると、グヴェイルは退いて回避した。それ以上の追撃は許されなかった形だ。
『なるほど。さすがはシズに挑もうとするだけの事はある。お主のその腕、中々のものじゃ』
「……」
ユリエスティに褒められつつ、グヴェイルは次なる攻撃を仕掛けようとステップをとっている。
しかし突然ユリエスティの身体が光り出すと、元の人の姿へと変わってしまった。人の姿になったユリエスティの脇腹の部分が、×の字に切れて少しだけ血が出ている。竜の姿の時の傷が継承されているけど、一応大した傷ではない。
でもユリエスティの肌に傷がついているのを見るのは、何かちょっと嫌だ。
「ここまでにしておこう。結果は妾の負けでよい」
「……最後までしなくていいの?」
「お主の実力は分かったし、妾も十分身体を動かせた。もう満足じゃ」
ユリエスティはそう言うと、私の方へと歩み寄って来た。そして私の背中を押してグヴェイルの方へと近づけようとしてくる。どうやら、交代だと言いたいみたいだ。
「そ、そうだユリエスティ。コレを持っていて、もらえますか?」
戦うのはいいとして、腰につけている刀が邪魔だから、私は刀を外してユリエスティに差し出した。
「良いが……前から思っていたが、不気味な刀を持っておるのう。というか武器も持たずに戦うつもりかお主は」
「は、はい。それを使って戦ったら、たぶん手加減とか出来ないから……」
千切千鬼は、絶対に味方に向けて振るってはいけない。下手に振るったら、一瞬で真っ二つにしてしまうから。
「いやいや、いいんすかシズさん!?相手はグヴェイルにーちゃんすよ!?素手で戦うなんて、シズさんの方が怪我しちゃうんじゃないすか!?」
「た、たぶん大丈夫、です」
「で、でもっすね……」
「戦ってみれば分かる事じゃろう。無理そうなら適当な武器を持ってきてその武器で戦えば良い。とりあえずは素手のシズにどこまで通用するかじゃ」
ユリエスティは私の刀を受け取ると、大事そうに両手で抱えてそう言った。
「私も、仲間であるグヴェイルさんにこの刀を振るうのは危険だと思います。私はその刀の威力を目の前で何度も見ていますから……」
リズも、過去の刀で斬った物を思い出し、私に賛同してくれた。
こうしてとりあえず素手でグヴェイルと戦う事になったんだけど、すぐに決着がつくことになってしまう。グヴェイルは速いけど、ついていけない程ではない。攻撃も強烈だけど、当たらなければ意味がない。分身は本体よりも身体的な能力が落ちるようで、ちょっと軽く叩いただけで消えてしまう。
私は攻撃を避けながら、傷一つつく事無くグヴェイルに寸止めの拳を何度か放つと、グヴェイルが敗北を認めて決着となった。
「──ふ、はは!完敗だ、シズ!君はやはり、強い!」
敗北を認めたグヴェイルは、いつもの不愛想な表情ではなく、笑顔だった。