決戦前の宴
夜になると、暗闇に包まれた平原の真ん中にだけ、明るい光がある。周辺の静まり返った大地に対抗するかのように、その明るい光の中でだけ人々の大きな笑い声が響いている。
あちこちで焚火がたかれ、火を囲って大勢が食事を楽しみながら、お酒を飲み交わしている。皆、本当に楽しそうに笑っていて、災厄と戦う事など忘れているかのようだ。
勿論実際はちゃんと覚えているのだろう。だけど今の時間を楽しむために、心の中にしまっているだけ。
本来ならいつでも災厄と戦うための準備を整えておくべきなんだろうけど、災厄が今すぐ森の中から出て来るとは思えない。イデルスキーさんの経験上、災厄が移動し始める前には前兆があるらしいので、その前兆が今はないという事で宴を開く許可が出た。とはいえ、今回は特別だ。これからは、本当に常に災厄と戦うための準備を整えておくことになる。
だからこれが、災厄と戦う前の最後の宴となる。楽しんでおかなければ損である。
「はぁー……。美味い酒だねぇ。身に染みる」
「そやねぇ。上品で、のどごしがええね」
楽しんでいる皆を見ながら、村長さんとサリアさんがしみじみと呟いた。
私達は、イデルスキーさんが住んでいる家の中にいる。災厄を監視するために建てられたというこの建物は、何度も災厄に壊されながらもその度に修理され、若干歪な形となっている。新しい所は新しく、古い所は古い。形もデコボコとしていて若干気持ちが悪い。
しかし災厄の監視用に使われているという建物最上階のバルコニーは、広くて風通しがよく、気持ちが良い。
そこで私達は、イスに座って周辺の皆を見下ろしながら、皆とはまた違ったのんびりとした時間を過ごしている。
「このジュースは初めて飲んだが、美味しいのう。しかし果実を絞ってその汁で飲み物を作るとは……ちと贅沢な気がしないでもないな」
ユリエスティが飲んでいるのは、オレンジのような果実を絞って作ったジュースだ。ガランド・ムーンの人が道中で拾った果物なんだけど、この世界では割とポピュラーな果実らしい。
私も飲んでみると、酸味が強くて同時に甘く、とても美味しい。
「竜族の里では、どのような暮らしをしていたのですか?」
「それはオレも少し興味があるな」
同じようにジュースを飲んでいるのは、リズとルレイちゃんだ。
皆でイスに座り、お酒を飲んでいる大人組とは一線を画している。
「特に面白い事は何もない。勉学に励み、戦いを習い、あとは母上を見て、王とはどのように振る舞うべきかを見習うだけじゃ」
「竜族にとってのご馳走、等はあるのですか?」
「ご馳走か。ご馳走と言えば、狩りで連れ帰った巨大イノシシとかじゃな。あれは忘れられん。丁度妾の誕生日に、竜に負けずとも劣らん程の大きさのものが取れてな。皆でその肉を分け合って食べたのじゃが、アレは美味かった」
「お誕生日に、丁度、ですか」
「そうじゃ。母上が出かけた先で、偶然とれたらしい」
ユリエスティは偶然と言うけど、偶然だろうか。ユリエスティを陰で可愛がっているランギヴェロンが、わざわざ用意してくれたのではないかと疑ってしまう。
「エルフや人族の暮らしはどうなのじゃ?思えば妾は、竜族の事しか知らんから興味がある」
「オレはエルフの里での退屈な暮らしが嫌で、サリアばーちゃんを追いかけて里を飛び出した。里じゃいつも勉強、勉強で、嫌だったんだよ。オレは、強くなりてぇんだ。強くなるのに頭を使う必要はねぇ。だからサボって、とにかく強くなるためにがむしゃらに体を鍛えた。その内一人で魔物を倒せるようになって、災厄の欠片も倒して力を証明して、それでもオレを咎めて止めようとする奴は、倒してやったぜ」
「エルフとは野蛮人なのか?それともお主が野蛮なだけか?あるいはバカか?」
「オレは野蛮かもしれねぇが、バカじゃない。バカなのは里のエルフ達だ。里の連中は固すぎる。ルールに縛られ、敷かれたレールの上を歩く事しか出来ないバカな連中だ。サリアばーちゃんがいる間はおとなしいけど、心の中じゃ災厄討伐のために魔族を従えるサリアばーちゃんを、エルフの面汚しだって噂してる。だけどサリアばーちゃんはエルフで一番強い。だからばーちゃんの前では黙って媚びて笑うんだぜ」
「エルフは元々、竜族と同じように閉鎖的な種族だったと聞く。もし突然妾の母上がその閉鎖的な生活を開放したら、よく思わん連中もおるだろう。サリアは、強いな。王として、不満を持つ者を従えながらも、皆が進むべき方向を指し示し、尚且つ災厄などという化け物を倒すために努力している。王として、相応しい精神の持ち主としか言いようがない」
「ああ。だからエルフも魔族も関係なく、ばーちゃんの下に集まったんだ。カッコイイだろ?」
ルレイちゃんが、自慢するように笑いながらそう言った。
サリアさんが集めたこの仲間達は、本当に自慢するのに値する存在だ。皆いい人ばかりだし、ちょっと気難しい所がある人もいるけど、基本的に誰もが災厄の討伐を夢見ていて、サリアさんの事が好きなんだと思う。
「人間の暮らしはどうだ?オレも興味あるぜ」
「私ですか?うーん……私は幼い頃から魔術の研究をしていましたね。流行りの服とかよりも魔術の本をねだり、ずっと祖父と災厄を倒すための研究をして育ってきました。しかしガランド・ムーンに入る前は少し大変で……王国の王妃様に、私のこの容姿や態度が気に入らないと目の敵にされてしまい、挙句にあらぬ罪を被せられて処刑されてしまう所でした」
「処刑?お前が?」
「はい。薄暗い地下に閉じ込められ、男達にこの美しい体をどうにかされそうだったその時……シズがやって来て、私を助け出してくれたのです。その後は王国が災厄によって滅ぼされ、全てが滅茶苦茶になってしまいましたが、あの時から私はシズと一緒にいて、気づけばもうこんな所にいます」
リズが、隣に座る私の手を握って来た。私もその手を握り返す。
「人間の暮らしと言うより、リズリーシャの伝記じゃな」
「それを言ったら、お前だって竜族の暮らしっていうより、お前のプライべートな話だったろ」
「お主もだろうが。……しかし何より興味あるのは、異世界での暮らしだとは思わんか?」
「それはそうだな」
「ですね」
皆が一斉に私の方を見て来る。皆異世界に興味があるようだ。
「わ、私がいた世界は……この世界とは景色がまるで違くて、たくさんの大きな建物が建ち並んで、人はいっぱいいて、少しだけ窮屈……でした」
「大きな建物とはどれくらいじゃ?遠くからなら見た事があるが、人間の城のような物か?」
「も、もっともっとです。五十階とか……もっと高い塔だと、もう先が霞んで見えて……」
「五十階より?そんなの上り下りするだけで訓練になるじゃねぇか。お前の世界って、もしかして皆戦士なのか?」
「移動は階段じゃなくて、自動で下から上まで運んでくれる機械を使ってました。だからむしろ、足腰は弱いというか……」
「それはどういう仕組みなのですか?」
「わ、私もよくは知りません。ただ、私がいた世界はとにかく科学が進んでいて、人を運んでくれる物も馬ではなく機械で、馬よりも遥かに早く、休みもなしで移動できます。時には空を飛んで移動したりもします」
「機械でどうやって飛ぶのじゃ?」
「よ、よくは知りません……」
「自分の世界の事なのに、何も知らねぇのな」
そう言われてみれば、そうかもしれない。確かに私は自分の世界の事をよく知らず、なにが、どうやって、どうして動いたり機能しているのかを説明する事が出来ない。
ルレイちゃんは、ちょっとだけつまらなそうに私に向かって抗議の声をあげた。
「それだけ仕組みが複雑だという事なのではないでしょうか。恐らくそれぞれに専門的な方がいて、その方でないと作れない物が多々あるのでしょう?」
「そ、そうです。それぞれで専門の人がいて、その人じゃないと作れない物だらけです」
「なんかめんどくさそうだな」
「作るのはそうかもしれません……」
「魔法はどういった物があるのですか?」
「わ、私の世界に魔法はありません」
「じゃあどうやって魔物と戦うんだよ」
「ま、魔物もいません。動物はいるけど、基本的に一番強いというか……世界の支配者的な存在は人間です。だから人間同士で戦争とかは、よくあります」
「世界の支配者が、人間ね。しかし戦争かぁ。せっかく魔物も災厄もいないのに、もったいねぇなぁ」
「敵がおらんからこそ、戦うのじゃろ」
それはそうかもしれない。私の世界も災厄のような存在がいれば、災厄に対処するために人間同士の争いは減るに違いない。
「で、でも私がいた国は、今は平和で、戦争はありませんでした……。人々は戦う必要がなくて、ほとんどの人がただただ平和な日常を過ごして毎日をのんびりと暮らしています」
「帰りたいか?」
ルレイちゃんが、私の方を真っすぐ見て尋ねて来た。
「……前にも、リズとかに言った事があります。私は、帰りたくないです。私は前の世界で家族に邪魔者扱いされていたし、親しい友人もいなかったから。なんの未練もないし、それに何より……今はリズの傍にいたいから」
「シズ……」
隣に座るリズと目が合うと、互いの唇と唇が磁石のように引き寄せ合い、近づいていく。でもここが人前である事を思い出し、我に返ってこの場で唇を重ねる事を躊躇った。
「──おい、見ろよ!ウォーレンの裸踊りだ!今日のは特別に動きがキレてやがる!」
せっかくいい雰囲気だったのに、下の方からそんな下品な言葉が聞こえて来た。
「ギャハハハ!相変わらずいい踊りっぷりだねぇ!」
「あららぁ。愉快な事するなぁ」
その声を聞いた村長さんが下を見て、大笑いしている。サリアさんも同じように見て、呑気な声をあげながら舌なめずりをして、妙に色っぽい。
聞こえてくる笑い声は、村長さんだけではない。色々な笑い声が聞こえて、皆が楽しそうにしている。
中には竜族の人達も混じっている。竜族も、魔族に混じってお酒を飲み交わし、そして笑っている。彼らもスッカリ溶け込んでいて、それは魔族達が新入りである彼らに対し、気を使ってくれたおかげだ。
私にとっても、本当に楽しい時間だった。忘れがたい、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
災厄との戦いを前にした私達の休息は、とても有意義な物となった。それこそ災厄に勝てる気がしてしまうくらいにだ。オマケに、私達にはリズのおじいさんが残した予言がある。負ける要素なんてどこにもない。
なんて、フラグがたってしまったみたいだけど、実際そうなのだから仕方がない。このまま災厄を倒すため、前進するのみだ。