道筋
「──ひいいぃぃ!」
おじさんの前に魔物が姿を現わしたのは、そのすぐ後だった。でも普通の魔物だ。私を見て逃げたあの魔物とは違う。
だから現在おじさんは、ただひたすらに逃げている。叫びながら、多くの魔物を引き連れ、全力で。
『キィキイィ!』
おじさんの逃げ足は、中々だ。戦わずに逃げ、攻撃が届かないおじさんに魔物達がイライラしているようにすら見える。
一方で私はリズを腕に抱え、廃墟から廃墟へと飛び移りながら見下ろす形でちゃんと追いかけている。魔物達に気づかれないギリギリの距離を保ちながらだ。
「カークスさん、大丈夫でしょうか……!?」
さすがにおじさんの息が上がって来ていて、その逃げ足はやや遅くなって来ている。追いかける魔物との距離も縮まってきている気がする。
リズはその事に気づき、心配して私に尋ねて来た。
「あ、あまり大丈夫じゃないかも……?」
「やっぱりそうですか。どうしましょう。一旦作戦を中止した方がいいでしょうか」
「うーん……」
限界までやるのは危険だ。仮に目当ての魔物に遭遇した後も、逃げたり戦ったりする必要がある。力は残しておく必要があるので、作戦中止するなら今の内かもしれない。
そんな事を考え始めていた時だった。走って来るおじさんを待ち構えるかのように、廃墟の中からおじさんを覗いていた魔物が、おじさんを攻撃する事無く素通りさせた。
「あ、あの魔物……!見つけました。シズ!」
「行きます!」
リズもそのシーンを見ていたようで、2人で確信を得る事が出来た。私はおじさんを覗き込んでいた建物の上から飛び立ち、リズを抱いたまま一気に今の魔物がいた建物へと飛び移る。
と、さすがに周囲の魔物達が私達の存在に気づいた。上空を飛ぶ私とリズに向かい、鳴き声をあげて威嚇をしてくる。
目当ての魔物が潜んでいる建物に降り立つと、この建物に向かって魔物達が群がって来た。おじさんを追いかける魔物と、この建物に群がる魔物は半々といったところか。
早く目当ての魔物を倒さないと、敵に紛れてどれがそうなのか分からなくなってしまう。
「──大地よ。我が呼びかけに応え、今こそ隆起せよ。フロアスーン」
リズが魔法を唱えると、建物に群がろうとしていた魔物の足元が隆起し、壁を作った。その壁もすぐに乗り越えられそうだけど、少しだけの時間稼ぎにはなる。この時間だけでも、十分だ。
建物に降り立った私は、建物の下にいる魔物に向けて飛び降りると、地面に着地。
『キィ!?』
突然目の前に着地した私に驚いた魔物が、すぐに方向転換して逃げ出してしまう。しかしその動きはあまり速くはないので、走ってすぐに追いつくとその足を掴み取った。それから片手で振り回してから地面に叩きつけ、動けないようにしてから蹴り飛ばす。
私の蹴りにより、魔物の身体は2つに分断された。もう逃げる事は出来ず、地面を這いずる魔物。
「……」
その魔物を見下ろすと、切断された部分からポロリと赤い小さな塊が出てくるのを見た。それは間違いなく、災厄の欠片の核である。
私は容赦なくその核を踏みつぶそうとしたけど、その時核から黒い影のような物があふれ出し、私の足を弾き返して来た。
「シズ!」
「っ!」
上に置いて来たリズが、心配そうに私を見ている。
今私の目の前で、この核から災厄の欠片が生まれようとしている。そうなればまた災厄の欠片を相手しなくてはいけなくなり、厄介だ。出来れば今この場で核を潰して全てを終わらせたい。
なので私は、弾かれた足の代わりに腕を伸ばした。その腕に黒い影が襲い掛かり、侵食し、私の腕を闇が飲み込んだ。飲み込まれた腕は私の二の腕から先を失わせ、あまりにも呆気なく私は片腕を失ってしまう。
「──大海を彷徨う氷塊。冷たい海よりも冷たい身を持つ、冷気の塊。空から降り注ぎ、我が敵を踏みつぶしてその身の一部とせよ。レインフォルジャー!」
そこへ、空から氷の塊が降って来た。私は慌てて退いて、氷の塊を降らせたリズの下へと避難する。
リズが放った魔法により、空中に青い紋章が浮かび上がり、紋章の中から大きな氷の塊が現れた。氷は災厄の欠片の核に向かって降り注ぎ、核から溢れ出る黒い影が氷の塊を押しのけようとせめぎあっている。
「っ!」
やがて、負けたのはリズの氷の塊だった。氷の塊は闇に飲み込まれながら砕け散ってしまった。
氷の塊を砕け散らせた闇が、そのまま盛り上がって来て人の形へと姿を変えていく。
「──……」
そして姿を現わしたのは、災厄の欠片だ。巨体が姿を現わすのと同時に、私とリズに向かってその手に握った剣を振り下ろしてくる。
その動きを察知した私は、リズを抱いて退避した。両手でちゃんと抱こうとしたけど、先程片腕を失ったことを思い出す。
すると、私のなくなった腕にリズが手で触れて来た。そして何かを呟くと、少し痛みが引いた気がする。たぶん、癒しの魔法をかけてくれたのだろう。
「──うおおおおあぁぁぁ!」
私はボタボタと血を流しながら、建物から建物へと飛び移って魔物の群れ追い越し、魔物達を引き連れて叫びながら走っているおじさんの横に着地した。
「ま、魔族の嬢ちゃん……!」
「ご、ごめんなさい。失敗、しました」
「はぁ?何言って……って、嬢ちゃん腕どうしたー!?」
私のなくなった片腕を見て、おじさんが叫んだ。青ざめた顔から、私の事を心配してくれている事が伺える。
でもこんなのを気にしている場合ではない。先程出現した災厄の欠片が、私を追って駆け出している。その巨体で腕を振りながら、全力疾走のように走る姿はちょっと怖い。
「さ、災厄の欠片……!」
その姿を見て、私の、失敗したという意味をおじさんも察してくれた事だろう。
「カークスさん、笛を!シズもこんな状態ですし、一旦仕切り直します!」
「お、おう!お、おおう……!?」
リズが笛を吹くように指示を出したものの、おじさんは自分の身体をまさぐるばかりで笛を取り出してくれない。待てど暮らせど笛は出てこず、おじさんの顔面が青ざめていく。
私とリズは、その様子を見て察した。
コイツ、笛を落としやがった。
察しながら災厄の欠片を見ると、走る災厄の欠片のお尻から、ポロポロと魔物が落下していく。それらは地面に着地すると、すぐに態勢を整えてから災厄の欠片に追従する。けど、一匹だけその場に留まり、周囲の魔物を見送る個体がいた。
たぶんあの魔物が、災厄の欠片の核を持っている魔物だ。
「すぅ……」
私は迫り来る災厄の欠片を見つめつつ、リズとおじさんの方を向いた。
「今度こそ、私が災厄の欠片……の、核を持っている魔物を倒します。リズとおじさんは、少しだけ耐えてください。……出来ますか?」
「任せてください。けど……どうか、気を付けて」
リズが私の、腕が失われた方の残った腕を優しくさすってくれる。本当は心配で心配でたまらないという、リズの優しさを感じ取る事が出来る。私だって同じだ。本当はリズが心配で、置いていきたくはない。けど片腕はこんなだし、全力を出し切るためには一人の方が都合がいい。
「はぁー……笛をなくした責任は、とる。嬢ちゃんは、オレの命に懸けても守ってやる。だからお前は、自分がすべき事に集中してくれ」
おじさんもカッコつけてそんな事を言って来るけど、そもそも笛を無くしたこの人の責任はとても大きい。命懸けでリズを守ってもらうのは当たり前だ。
私は冷めた目をおじさんに向けつつ、災厄の欠片の向こうにいる、核を持つ魔物を睨みつける。
「絶対に、死なないで」
最後にリズに向けて力強く訴えると、私は地面を地面を蹴った。踏ん張りすぎて地面が凹んで足をとられ、一瞬慌てたけどバランスは崩していない。勢いよく飛び出した私に向け、同じように全力疾走で向かってきていた災厄の欠片が剣を振るってきた。
私はその剣を、更に加速する事によって回避した。剣は私が通り抜けた後の地面を飲み込み、私はそのまま災厄の欠片の足元を通って通り抜ける事に成功。
その次に、魔物達が襲い掛かって来た。大量の魔物が私に手足を向けて串刺しにしようとしてくるけど、私の勢いはとどまる事を知らない。全くスピードは緩めず、倒せる魔物は拳を突き出して破壊し、回避できる物は回避するけど、ただの体当たりのようにぶつかってしまう個体もいる。体当たりを受けた魔物は、吹っ飛ぶか木っ端微塵だ。
本気となった私を止められる程の力は、この魔物達にはない。私は後方で今頃災厄の欠片に襲い掛かられていると思われるリズのために、止まる訳にはいかないのだ。一刻も早く、核を持つあの魔物を倒すために更に加速してただ一点──私が殺すべき魔物だけを見据えて走る。
そんな私の行動を察したのか、魔物達に新たな動きが見られた。魔物達が一斉に動き出し、私が見据えている魔物を庇うかのように自らの身体を使って壁を作り出す。
「あ……!」
その壁によって、核を持っている魔物が視界から隠れてしまった。その隙に魔物達の中に紛れられでもしたら、もう見つける事は出来なくなってしまう。
そこへ、背後から猛烈な勢いで迫って来た炎が、私のすぐ横を通り抜けて魔物の壁に突っ込んで行った。炎は壁の一部に穴をあけてくれて、私が倒すべき魔物への道を切り開いてくれた。
こんな事が出来るのは、リズしかいない。リズが私の後方で魔法を使って、援護してくれたのだ。
私は感謝しつつ、振り返らずにリズが作ってくれた道を駆け抜ける。炎が通った道を走り抜け、そして壁に空いた穴にジャンプして壁も通過。その向こうにいた魔物に向かって本気の拳を突き出した。
大地が一瞬揺れ動き、風を巻き起こした私の拳は、その魔物の全身を一瞬にして吹き飛ばした。先程のように、核を探って半殺しのようにはしない。本気の一撃を繰り出す事により、この小さな魔物を一撃でその全身を消し去るつもりで攻撃を繰り出した。
繰り出した拳の中で、魔物の身体ではない小さな何かを砕く感触を、確かに感じとる事が出来た。
確かな勝利の感触を手に感じつつ、私は勢いを殺す事が出来ずにバランスを崩してしまい、地面を転がるのであった。