苦手な物
翌日起きると、昨日と同じように村長さんが料理をしてくれて、ご飯を食べてから出発となった。
相変わらず、おじさんは無口となっている。それでも私達を乗せた馬車を走らせてくれるのは、少しは偉いと思う。なんか子供っぽいけども。
でもさ、空気がとにかく悪い。ウォーレンも、無口なおじさんの隣に座らされてとても居心地が悪そうだ。
村長さんは昨日と同じようにお酒を飲んでいる。私も昨日と同じように酔い始めている。
空気は悪いけど、案外昨日とあまり変わらない光景だった。
その日もそんな感じで終わっていき、キャンプをして、次の日も移動。数日が経過しても、私達の周りを取り巻く空気は変わらない。
ただ、さすがに乗り物酔いには少し慣れる事が出来た。そこが一番の収穫というか進歩で、成長したなと思える瞬間であった。
「……カークスさん、相変わらずですね。やっぱり怒っているんでしょうか」
いつも通り馬車に揺られていると、リズが私の耳元で内緒話をするかのように囁いて来た。
耳が、くすぐったい。でも心地良い。
「お、怒っているというより、嫌、なんじゃ……」
「嫌?」
「も、目的地に行くのが……」
もし子供がお出かけすると言われて車に乗せられ、その車内で目的地が歯医者だと告げられたら、どういう反応を取るだろう。
たぶん、泣き叫ぶと思う。そして帰ると訴え、しかし周りの大人達に強制的に連行されていく。
でも大人には、泣いて、帰ると訴える事が出来ない。理性やら体裁やらがあるからだ。だから逆に黙り込む事によって、周囲に行きたくないのだと訴えかけている。
いや、もしかしたら本当にただ怒っているだけかもしれないけど。でも心境としては、歯医者が目的地だと告げられた子供と一緒だと思う。
「安心しな。例え嫌でも、奴は逃げ出さない。そういう厄介な性格だからね。だからこそ、奴はガランド・ムーンの連中と会うべきなのさ。会って、もう過去に囚われるのをしまいにすべきなんだよ」
村長さんも、珍しく小さな声で呟くように言った。
耳が悪い悪いと言う割に、今の小さな声が聞こえるんだね。普通の人よりも耳が良い気がする。
「……過去に囚われる事は、いけない事ですか?」
私は今の村長さんの言葉に、そんな疑問を抱いた。
どうしてそんな質問を投げかけたのだろうと、口にしてから思った。気づいた時はもう遅い。
「いけない事とは言わない。囚われる事によって、そいつが幸せならそれでいい。けど苦しんでいるなら囚われるべきでじゃない。解放されるべきだ」
「……解放」
「シズ?どうかしましたか?」
リズが、心配して私の顔を覗き込んでいた。私は慌ててなんでもない風を装い、心に抱いたモヤモヤを消し去った。
きっと私も、過去に囚われているのだろう。だからあんな質問をしてしまった。でも苦しんでいるかと聞かれれば、そうでもない。なら、村長さんの言葉を鵜呑みにするなら、別にそれでいい。
その時、突然大きな音が響いて、同時に馬車が激しく揺れ動いて止まった。
「──おい、やべぇ!魔物だ!」
同時にそう訴えるウォーレンの声が聞こえて来て、私は馬車から飛び降りる。
と、馬車の行く先に大きな魔物がいた。
魔物は巨大なミミズのような見た目をしていて、胴体に無数の触手を生やして地面を這うように歩いている。先端には大きな口が開いており、口の中にも無数の触手がびっしりと生えている。そして涎をまき散らしている。
どうやら地面から出てきたようで、地面にこの大きな魔物が通れるくらいの穴が開いている。
「ひっ……!」
そんな魔物を見て、私は小さく悲鳴を上げた。
私は割と、虫は平気な方である。カブトムシは持てるし、バッタやカマキリもセミも平気。ムカデもまぁ気持ち悪いとは思うけどまだ平気。
町で遭遇した触手も、まぁ平気。アレは色が水色っぽくて、鮮やかだった。
でもどういう訳かミミズだけはダメなのだ。道端で道を這うミミズを見た日は一日中凹み、地面にひからびた状態で死んでいるミミズを見た日は半日凹む。
今日は、巨大なミミズを見てしまった。コレは一週間は凹むレベルの気持ち悪さである。
「ガンズイーター……!こんな所まで生息してるのかい!」
村長さんも馬車から顔を出し、ミミズを目にして驚いている。
「シズ!?どうしたのですか!?」
私の異変に最初に気付いたのは、リズだ。巨大な魔物をよそに、腰が抜けて動けなくなってしまった私の事を心配してくれている。
それでも私は動けない。嫌いな物を前にして、すっかり身体が萎縮してしまった。
「おい、どうしたんだよ魔族!あの時みたいにやっちまえ!」
あの時とは、リズとおじさん達と一緒に訪れた、サレンド村の時だろう。あの時はゴリラ型の魔物を、私が瞬殺してみせた。だけど今は無理。アレと同じようにこのミミズと戦う事なんてできやしない。
「シズ──!」
「オレが行く!リズリーシャ様は奴を魔法でなんとかしてくれ!ウォーレン、馬車は任せたぞ!」
「はぁ!?」
指示を飛ばしながら馬車を飛び降りたのは、おじさんだ。猛然とこちらに駆け寄って来て、そして私を腕に抱きかかえて来た。
同時に馬車が動き出した。魔物がその巨体を振り下ろしてきたために、それを回避するための行動だ。方向転換をし、来た道に沿って走り出す。私達がそれに飛び乗る暇はない。直後に再び大きな地響きがおき、先程まで馬車や私がいた場所が魔物の巨体で押しつぶされた。
「くそ……!」
私達と馬車は、魔物によって分断されてしまった。
そしてゆっくりと巨体を起き上がらせた魔物がこちらを向く。
「やべぇ!」
それを見て、おじさんは私を抱えたまま道から外れた茂みの奥へと足を踏み入れる。と、後方から魔物が追いかけて来た。幸いにして、足はそれほど速くない。ただ、その巨体によって茂みや木々がなぎ倒されていき、オマケに今気づいたけど奴がまき散らす唾液で草が溶けている。
町で遭遇した魔物の触手の毒と、似たような作用があるのかもしれない。
などと冷静に分析しているようで、内心はパニックだ。気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。ぬるぬるとしたミミズの巨体が、本当に無理。たぶん私は今、この世で一番気持ちが悪い物体と遭遇している。
オマケに男という存在に抱きかかえられている事もパニックに陥る要因がある。でもミミズに迫られる事に比べたら、良い事かもしれない。今気づいたけど、私って男よりミミズの方が嫌いなようだ。そりゃそうか。男を見たくらいじゃ一日中凹んだりしないから。
「ぬおおおおおぉぉぉ!」
おじさんが、私を抱えたまま森の中を駆け抜ける。
背後にはすぐそこまで魔物が迫っている。いくら魔物が遅いとはいえ、障害物をもろともせずになぎ倒して進む魔物と、荷物を抱えるおじさんの足では速度が違う。
「わ、私を、降ろしてください……」
身軽になれば、少なくともおじさんは逃げ切れるかもしれない。ここは荷物の私を捨てるべきだ。そう思い、私はおじさんに提案した。
「はぁ!?ふざけた事言ってんじゃねぇ!ここで……また仲間を見捨てたりなんかしたら、オレは本当にダメになっちまうんだよぉ!」
「仲間……」
そう言ってもらえた事で、私は心が痛んだ。
私は、男が嫌いだ。私はおじさんの事を、仲間だなんて思った事はない。むしろ行くのが嫌なら帰ればいいと思っていた。
私の仲間は、リズだけ。そう思い込んでいたけど、実はそうではなかったらしい。
そもそも、私は魔族だ。正確に言えば魔族ではないけれど、おじさんにとっては魔族であり、恨み忌み嫌うべき存在のはず。それをどうして必死に守ろうとしてくれるのだろうかと不思議に思う。
男は、嫌いだ。でも仲間と言ってくれたおじさんは、死んでほしくないな。
その願いが通じたのか、突然土が隆起し、先端の尖った土がミミズの巨体を貫いた。隆起した土は複数で、周囲に激しい地響きをもたらしながらミミズの身体を次々と貫いていく。
「な、なんだぁ!?」
おじさんも立ち止まって振り返り、その現象に気が付いた。
コレは、魔法だ。こんなに凄い魔法を使える人を、私は知っている。